犯人CO(カミングアウト)とは?第1回(全2回)

こんばんは、OneEaterです。本日は首題のテーマについて、記載いたします。長いです。3000文字くらい(読み終わるまで目安約10分)。そして明確な結論は出さずに、「見方」と「考え方」を考察したいと思います。

0.前提となる犯人COとは?

犯人CO(カミングアウト)とは、「マーダーミステリー」プレイ中に、犯人が(または狂人が)「私が犯人です」ということである。

このCO(カミングアウト)表現は人狼ゲームで、「狂人」という役職がいる場合に「人狼を名乗り出て人狼をかばう」時に使う「人狼CO」や狂人が「占い師としてウソをつき人狼を守ろう」とする「占い師CO」の場合、または占い師が占い結果を言うための「占い師CO」をする場合、として人狼ゲームでは使われます。

これは良くある話で、では、今ここで、なぜ「犯人CO」という議論がされたかというと、こちらのツイート が発端です。
「犯人による犯人COへの言及です」別に私はこれに是非を問うつもりもなく、むしろマーダーミステリーを日本に持ってこられた方なので、私は何かを問う権利も持ち合わせておりません。

ここでは、そもそものこの議論に対しての「見方」と「考え方」を記載したいと思います。まずは第一回では「見方」を考えます。

1.何に対して犯人COがダメなのか

実は結構そこが捉え方で曖昧だったりします。
それはゲーム(作品)として必要かどうか、とプレイヤーとして必要かどうかです。

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1-1.ゲームとして必要とする:(A)or(C)の場合
一番シンプルな例で、人狼ゲームを考えてみます。狂人がいる人狼ゲームは一般的に犯人COが必要となるケースがあり、「ゲームの流れで、狂人と人狼で過半数を超えている場合等は、人狼が人狼COをする場合や狂人が人狼COをする場合があり(A)」となります。よって(A)または(C)どちらもあり得ます。

1-2.ゲームとして不要とする:(B)or(D)の場合
狂人がいない人狼ゲームは(D)「作品として不要であり、プレイヤーとしも行わない」です。これは普通のゲーム。
ここで人狼COを行う人がいる場合、つまり(B)のケースはプレイヤーとして NG とされています。

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以上をまとめると、何の問題もなさそうですが、今回の「マーダーミステリーの犯人CO」はどこで議論されているのでしょうか?
その議論のポイントを見てみます。

現在のツイートなどを拝見させて頂くと、「マーダーミステリーはゲーム(作品)として犯人COはない」=「マーダーミステリーゲームは犯人COが不要である」とされているので、1-2の考えとなり、(B)はプレイヤーとしてNGで、「(D)プレイヤーも犯人COは行わない」が正しくなります。よって【「マーダーミステリーはゲームとして犯人COはない」場合、プレイヤーは犯人COを行わない】は、当然のことだと思います。

そこで、なぜ議論になるかというと、その前提となるは、「マーダーミステリーはゲーム(作品)として犯人COはない」=「マーダーミステリーは作品として犯人COが不要である」という点、が問われているのだと考えられます。

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2.作品で犯人COが発生する状況とは?

では、マーダーミステリーが犯人COが不要であるとする場合、そもそも「犯人COはありませんよ」というルールを作品として決めておいたものは「その作品としては犯人COはない」ことになる、ので今回の対象ではありません。
よって、「特に何も明記されていない場合の一般的なマーダーミステリーというもの」においてどうあるべきかを考えます。
すると、結果的にマーダーミステリーで犯人COが発生する状況はどのような状況でしょうか?以下に分類してみます

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今回は犯人が犯人COを行う場合ですが、犯人COしてもゲーム上は犯人だとわからないので、
作品として必要と感じたかどうかと、どういうプレイヤー立場で行うか、で見てみます。

2-1.作品として求められていると感じた:(1)or(3)の場合
何らかの理由で犯人COが求められていると感じた場合、犯人役(1)であろうが、狂人役(3)であろうが、それは作品依存です。(勿論ある程度プレイヤーがどう感じるかに依存はしますが)よって、このケースで犯人COをした人がいた場合、それは「作品によるもの」であり、先述の「マーダーミステリーとして犯人COはない」のだとすれば「犯人COを求めるような作品はダメだ」
ということになります。
言葉を借りれば、これは「作品によって誰かを現実に殴ることを求める作品」「ゲームを放棄して家に帰ることを求めるような作品」と同義で「絶対ダメだ」ということになります。

2-2-1.(何かの理由で)犯人として犯人COした:(2)の場合
例えば「開始早々犯人とばれたので、終わらせたいからCOをした」「どうしようもなくなったのでCOをした」「場を混乱させようと思った」というプレイングの場合でしょうか。これは確かにプレイヤーとして望ましいとは思えません。(作品も良くなかったと思います)
しかし、そのことは他の人はわかりません。
犯人が自暴自棄になったのか、2-1.のようなケースで作品として求められてしているのかはわかりませんので、絶対と言い切るかどうかは別ですが、
「プレイヤーとしても作品としても望ましくはない」と思えます。

2-2-2.(何らかの理由で)狂人として必要となった:(4)の場合
2-1.と曖昧な部分もありますが、「例えば、犯人を愛しているからロールプレイと判断して」犯人をかばって犯人COした場合でしょうか。これは(ゲームやロールプレイへの依存性が高いので一概に言えませんが)今回は「犯人が犯人COを問題視」としているので、狂人プレイヤーとしては問題ありません。
しかし、犯人CO以外の方法もあると思えますし、犯人が自暴自棄になったのか、ロールプレイなのか、2-1.のようなケースで作品として求められてしているのかはわかりません。
「今回ダメと言われる事例にはダイレクトで該当しない」と思いますが、プレイヤーとしてそれが最適だったか、作品としてそうさせてしまったことが良かったかという疑問はあります。

以上をまとめると、

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結果的には、2-2-1.記載してた(2)の場合に問題がありそうです。ここで、2-1.のようなケースを封殺しておけば「犯人が求められてもいないのに、犯人COをする」という「望ましくない」ケースにまとめれるので、大きな矛盾がありません。しかしそれは他の人にはわからないのです。また(4)のケースで犯人が言っている可能性もあります。

そうすると、ここで賛否が起こる原因があります。
・一つは「犯人COを封殺すること」が良いのか
・もう一つがロールプレイとして狂人を感じて犯人COをする人が、犯人ではなく狂人の可能性もはらむ。
というものです。今回、この2点の見方があり、それぞれが賛否をよんでいる原因と思われます。

3.今回の「犯人COが絶対だめだ」の見方に関して

「犯人COが絶対ダメだ」に賛成の方は、
プレイヤーとして「1-2の(B)のケース"犯人COしちゃいけないゲームなのにするプレイヤー"や、2-2-1.のケース"犯人として犯人CO"」がプレイとしてNGなのでダメだ。

作品として、そうさせる2-1.のケース"犯人COをしてしまう"のような作品はダメだという方がいらっしゃるのではないでしょうか。


反対の方(つまり「犯人COはありえるの方」は
主に、作品として、2-1.犯人COを封殺する考え方(ゲーム/作品を制限するようなもの)が良くないのではないか。

次に、プレイヤーとしては2-2-2 (4)狂人としての犯人COの場合もあるから問題ない場合のあるのでは?、と言う方がいらっしゃるのではないでしょうか

結論は、まず今回は「見方」として作品に対してか、プレイヤーに対してか、を統一させて見た方がよい、というものです。じゃないと論点がぶれてしまいます。

次回は、今回の賛否に対しての考え方をまとめたいと思います。


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