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三千世界への旅 魔術/創造/変革63 理性と非理性


前回の投稿から1か月半経ちました。

この間、色々な勢力が自分たちの価値観を正しいと信じる主観的な確信の成り立ちと、そういう主観から外に出て物事を見るにはどうしたらいいのかについて、僕なりにあれこれ考えながら、メモをとってきました。

「魔術・創造・変革」という切り口で、この先どれだけ行けるかまだわかりませんが、1人で考えていると行き詰まってしまいそうなので、そろそろまた投稿していこうと思います。

内容的にはこれまで書いてきたことと重複することが少なくないので、堂々巡りしているように見えるかもしれませんが、旋回しながら少しずつ螺旋状に上昇していこうと努力しているところなので、よかったらお付き合いください。


「理性」的なものの見直し


この「魔術・創造・変革」というエッセーを書こうと考えたのは、「人類史まとめ」と「自分を知る試み」を書いているうちに、近代以降の世界をリードしてきた科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みが、一般に信じられているほど正しいわけではないというか、あまりまともに機能していないことに気づいたからでした。

そこで、この科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みがどんなものなのかを明らかにするために、そこからはずれた考え方や仕組みが、世の中が変化するときに魔術として現れることを、歴史の中の様々な事例を通じて見てきたわけです。

最初のもくろみは、ただ科学的・理性的・合理的な近代の考え方や仕組みについて考えるだけでなく、歴史の中で魔術と見なされた、怪しげな考え方や方法の中に、時代の変革をもたらすような、創造的で革新的なものが隠れていることを明らかにすることでした。

最初に検討したのは、ルネサンス期の科学が、当時支配的だったカトリック教会によって異端とされ、弾圧されたという事例です。今の科学につながる考え方が、当時のカトリック的な常識からは非科学的な魔術に見えたという歴史には、今の世界を支配している、科学的・理性的・合理的とされる原理の限界を突破するヒントがありそうに見えました。

そこからユダヤ教や古代ギリシャのソクラテス、初期キリスト教団のように、当時の権力から迫害されたり弾圧されたりした考え方の歴史的な事例を見たり、近代以降の科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みと、それに反抗する運動や勢力の考え方についてあれこれ検討したわけですが、そこから見えてきたのは、魔術的なくらい創造的で革新的な考え方というのは存在せず、むしろ自分・自分たちを科学的・理性的・合理的だから正しいと信じている人や勢力の、信じ方そのものに問題があるということでした。


理性・非理性の二人三脚


たとえば近代の先進国は、宗教による抑圧的な支配から脱して、科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みを活用することで豊かになり、その考え方や仕組みを世界中に広げたと見ることもできますが、同時にその仕組みによって獲得した技術的・経済的なアドバンテージを武器に、世界中に植民地を広げ、多くの地域と人を支配することで富を築いたと見ることもできます。

この侵略や征服、支配は先進国が正しいからではなく、単に強いから可能だったわけですし、そこには色々な技術や戦略を考え駆使する理性が働いたでしょうが、その根底にある自分たちの勢力を拡大し、より豊かになりたいという意欲、衝動といったものは、別に理性的でも合理的でもありません。

一方、欧米の先進国に比べて、海外進出が遅れたり、まったくできなかったりした国々は、遅れて近代化していくことになりました。

そうした国々は、先進国からもたらされる科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みを無理して取り込みながら、それでも先進国に追いつけず、経済的にも政治的にもゲームに勝てないことで、国民の中に不満や憎悪、不安が蓄積していきました。

これがヨーロッパではドイツやオーストリア、スペイン、ロシアなどのナショナリズム、ファシズム、ユダヤ人の迫害や大量虐殺など非理性的な運動・現象が生まれたメカニズムです。

アジアの中では日本が先進国の技術や仕組みを導入して、科学的・理性的・合理的な考え方による近代国家をめざしましたが、ここでもヨーロッパの後進地域と同様、遅れて科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みを強引に導入したことによるストレスから、不満や憎悪、不安が蓄積され、非理性的な天皇崇拝や軍国主義が力を増大させていきました。

今でもアジア・中東・アフリカ・中南米に、理不尽で強権的な軍事政権や原理主義的宗教国家がいくつもあるのは、それらの国々が欧米流の科学的・理性的・合理的な仕組みによる、グローバルな自由主義のゲームで負け続けているからです。


手段としての理性


このゲームを有利に進めてきた欧米先進国や巨大企業を運営する人たちは、自分たちのやり方は科学的・理性的・合理的だから、そこに問題はないと考えるでしょう。

しかし、科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みそのものと、それを活用して経済的・政治的に利益を得るという行動は同じではありません。科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みは、ゲームのルールであり、ゲームで活用される道具・手段です。

この道具・手段を活用して利益を得ようとする国々や企業・資本を動かしているのは、自分たちの富や力を有利に維持しよう、あるいは拡張しようという意欲ですが、それは別に理性的でも合理的でもありません。そこに働いているのは、人類のあらゆる活動の根底にある、自分の力や領域を維持・拡張しようとする衝動的な力です。

それは人間個人にもありますし、集団にもあります。

一般的には、一番根底にあるのは、肉体を維持するために食料を確保し、食べようとする衝動だから、それは個体ごとの個人的な衝動で、次に食料を効率的に確保するために集団的な行動や組織的な仕組みが生まれたというふうに考えがちです。

しかし、集団・組織は人類の祖先が猿から進化する前からありますから、必ずしも最初に個体の食欲があって、次に集団・組織が生まれたということではないんじゃないかと僕は思います。


一体だった理性と非理性


少なくとも、人類が知的になり、いわゆるホモ・サピエンスになった頃には、精霊的な神々への信仰を共有する集団が形成され、集団で組織的に道具を作り、組織的に狩猟・採集したり、獲得したものを加工したりしていたようですから、人類は最初から個体であると同時に集団として物事を認識し、考え、行動していたと言えるでしょう。

火や言語・概念を扱うようになった原初の時代から、人類にはそれなりの科学技術があり、組織的な仕組みがあり、それらを扱う理性的・合理的な意識もあったと見ることができます。

そして、それらの科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みは、精霊・神々と交信したり祈ったり、捧げ物をするといった取引をしたりする、宗教的な考え方や仕組みと一体でした。

農業が開始され、食料生産が飛躍的に拡大していくと同時に、天体観測による農作業スケジュールの確立とか、灌漑による水の確保など、科学技術は狩猟採集時代よりさらに発展していきます。集落は大きくなり、やがて古代都市に発展していきますが、農業が始まった一万数千年前の初歩的な古代都市にはすでに神殿が築かれていたようなので、宗教はこの技術革新においても、中心的な役割を果たしていたことがわかります。

当時の天文学は農業生産の根幹を支えるテクノロジーであると同時に、王や神官階級が国を統治するための権力装置であり、天の神々から与えられた魔術的な力でもありました。

古代ギリシャ・ローマが栄えた古代後期には、科学だけでなく、様々な学問が生まれましたが、それらは相変わらず宗教や政治権力と未分化の状態で研究開発され、活用されていました。

科学や様々な学問が宗教から独立するのは、すでに見てきたように、近代以降、ほんの数百年前のことです。

そして、「自分を知る試み」でも触れたように、科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みは、啓蒙主義としてそれを活用する欧米先進国の勢力によって正当化され、世界を統一的に制御する政治・経済のシステムになっていきました。


理性的な仕組みによる支配


そこでは科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みが、世界の統一的なゲームのルールであり、行動の道具・手段であるわけですが、このツール・手段の開発や活用に長けた先進国や企業が、有利にこのゲームを戦い、圧倒的な優位を維持し続けていることの裏に、非理性的な勢力拡張の衝動や欲望が働いていること、それが古代や中世より洗練されているものの、やはり強者が弱者を支配し、収奪する手段になっているといったことは問題にされません。

支配している側が、この科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みを普遍的で、正しいと信じているからです。

先進国に支配される地域の弱者側も、この近代的な科学・理性・合理性の仕組みや考え方を十分理解できず、魔法にかかったように、この仕組みによる支配を受け入れています。

そこに科学的・理性的・合理的な仕組みの、非理性的な魔術があります。魔術は仕組みに支配されている側の中に生じているので、支配している先進国側にとっては知ったことじゃないということなのかもしれませんが、そもそも先進国側はそういう魔術が生まれて機能していることに気づいてもいません。彼らはあくまで科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みが機能していて、後進地域側もこの普遍的な仕組みを受け入れるべきだと考えているだけです。

しかし、この魔術は更新地域の弱者側が勝手に作り出した非理性的な幻想というわけではありません。先進国から押し付けられた科学的・理性的・合理的なゲームで不利な戦いを強いられ、わけがわからないまま負け続けていることで、彼らの中には非理性的なストレス、不満が蓄積されていきます。

魔術は、この理性と非理性のギャップから生まれる緊張がかたちをとり、意識されたものと言えます。


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