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三千世界への旅 魔術/創造/変革30 近代の魔術8 集合的意識

共有される意識


前にも人類の意識はそもそも集団・集合の意識として生まれ、機能してきたといったことを書きましたが、そこには言語も宗教も、国家や王政などの政治も含まれています。

言葉はそもそも誰かリーダーや知識人が発明して民衆に教えたものではなく、集団の中で共有されてきた仕組みです。動物にも声による感情や意思の表現はあるようですから、人類も猿だったときからなんらかの言語的な仕組みを使っていたでしょう。

人類がいわゆる人類になったのが、概念を認識し、集団で使用しだしたとき、『サピエンス全史』でユヴァル・ノア・ハラリが言っているコグニティブ革命が起きたときだとすると、そこには言語の組織的な使用はあったでしょう。

もしかしたら後に宗教と呼ばれるようになるものの原型もあったかもしれません。

近代以降の私たちは言葉の仕組みを文法的に理解したり、色々な宗教やそこで信じられている神の特色を分析したりしますが、初期の人類はそんなことはしなかったでしょう。そこには個人とか権利とか自由といった概念すらなく、人は集団としていろんなことを認識し、決めていたでしょう。

宗教と政治の区別もなかったのかもしれません。


宗教と一体だった政治


『サピエンス全史』で語られているように、人類が聖霊や神々といった超自然的なものを創造し、共有することで、動物より大きな集団・組織を形成するようになったとしたら、組織として生き、行動することは政治的な行為であると同時に宗教的な行為だったでしょう。

古代中国では亀の甲羅を焼いて、ひび割れの生じ方によっていろんなことを占っていたと言います。それは組織・集団の行動を占いによって決めていたということでしょう。政治は占いや祈祷など、宗教的な行為によって聖霊や神々と交信することで決定されていたわけです。

古い日本語で政治を「まつりごと」と呼ぶのは、政治が元々聖霊・神・神々を祀ることだったからです。


集団として生まれた人類


政治には色々な選択肢があり、合意形成はなかなか難しいものですが、宗教と政治が一体だった時代には、聖霊や神々の意志を知ることが合意形成の方法でした。集団・組織が発展して国家になり、王族・貴族とか神官階級といった支配階級が支配するようになると、色々な立場や考え方が生まれ、対立抗争も起きるようになったでしょうが、それでもすべての事柄は集合的に認識され、集団・組織によって合意・決定されていたでしょう。

個人とか自我といったものが生まれ、意識されるようになるのは、ヨーロッパでは16〜17世紀あたり、中世から近世・近代へと移っていく時代です。その前駆的なものは、古代ギリシャやインド、中国で社会と人のあり方が意識されるようになった紀元前5・6世紀くらいにあったのかもしれませんが、近代の私たちが個人の意識や権利を認識するようになった直接の源流は16〜17世紀のヨーロッパにあります。


個人意識の台頭


フランスの哲学者デカルトの有名な言葉に「我思う、ゆえに我在り」というのがありますが、これは神によって人間が存在するといった宗教的な認識とは別に、人間が意識することを、個人としての自分、人間の存在証明にできるということです。

デカルトは別に無神論者ではありませんが、特に神を持ち出さなくても、世界には科学や理性を根拠に考えていける広大な分野があるということを明確に示したわけです。この考え方は、科学的・理性的に物事を考えていく啓蒙主義の基本認識として、近代ヨーロッパの発展に重要な役割を果たしました。

ただ、「我思う、ゆえに我在り」だと、自分が意識する・考えることが存在の根拠になってしまい、言わば意識する人間を神のような高さに位置づけることになるんじゃないかという異論も当時から出ていました。

哲学的に言うと、こういう人間の意識を上に置いて、意識の対象となる存在を下に置く考え方を形而上学と呼ぶようです。

前に紹介したように、啓蒙主義はヨーロッパ人が世界中に植民地を建設して、帝国主義的に支配していくときの理念になり、遅れた未開人の目を開いてやり、教育してやるという傲慢な態度につながっていきます。

哲学としての形而上学自体は、そうした侵略とか支配を推奨したり鼓舞したりするわけではありませんが、こうした基本的な考え方というのは、気付かないうちに人の考え方や行動を左右してしまうので、その意味では注意が必要です。

デカルトの同時代人で、当時のフランスより自由なオランダに暮らしたスピノザは、デカルトの「我思う、ゆえに我在り」には欠点があるとして、「我思いながら在り」とすべきではないかと提案しています。「思いながら在る」ことで、人間は意識を意識されるものの上に置かず、すべての存在と融和する考え方ができるということのようです。


「我ら祀りながら在り」


哲学的なことはさておいて、僕が「我思う、ゆえに我在り」を持ち出したのは、そもそも近代までの何万年間、人類は自分の意識が何かの根拠になるというようなことは考えてこなかったということが言いたかったからです。

人類は個々人としてではなく自分たち、つまり集団として存在してきました。人として何かを思う、意識することもなく、集団として聖霊や神々と共にあったのです。人間が生きることは、集団として聖霊や神々と交信しながら行動することだったと言ってもいいでしょう。

つまり「我思う」ではなく、「我ら思う、ゆえに我ら在り」でもなく、「我ら(聖霊・神々を)祀りながら在り」だったわけです。

近代以後、こういう集合的な意識は世の中の表面から消えました。

しかし、経済がうまくいかなくなったり、外国との対立がエスカレートしたりするとき、非理性的な感情がどこからともなく生まれて広がり、国民とか民族とか信徒といったくくりの巨大な集団の中で、ナショナリズム、民族主義、宗教的原理主義といったかたちで合意形成され、暴力や戦争に発展するのを見ると、この「我ら祀りながら在り」は今でもまだ人類の心の奥で共有され、機能しているんじゃないかという気がします。


祀りごとの名残りとしての祭り


今でも私たちは祭りというかたちで、原始・古代のまつりごと、集団意識や集団としての行動を継承しています。多くの人は神社に行ったり、街を練り歩く神輿を見物したりして祭りを体験するだけですが、それでも心がうきうきします。神輿を担いだり、山車を引いたり、神輿や山車の上に乗ったりする人は、祭りの担い手になることで、もっと直接的に神々や土地との一体感を経験します。

神輿(みこし)とは文字通り神が乗る輿、乗り物です。神輿を担ぐ人たちが通りを練り歩くとき、左に右に蛇行したり、上下に揺れたりしながら進むのは、神輿に神様が乗って暴れるからです。

神輿を担いだり、神輿に乗ったりすることで、彼らは神々の存在を感じ、ある意味神々と一体化することができます。

神輿や山車は屋根のついた建物のかたちをしていますが、こういう建物が生まれる前の神輿は山に生えている木を切って棒を担いでいたと言われています。南太平洋には、近代になっても丸太を担いで精霊を下ろし、島を練り歩きながら海に入っていくという儀式が残っていました。

日本でも長野県の諏訪大社の境内には御柱(おんばしら)と呼ばれる4本の丸太が立っていて、これが神聖な木、御神木とされています。御柱は7年に一度、山から新しい木を切って諏訪大社まで運ばれ、古いものと入れ替えられます。これが御柱祭と呼ばれる諏訪大社の大祭です。

この御柱祭の主要部分は、決められた聖なる山から新しい御柱を切り出して運ぶことですが、そのクライマックスは急斜面を御柱が滑り落ちる「木落し」と呼ばれる行事です。

この木落しでは落ちる丸太に人が飛び乗るのが最大の見せ場でした。怪我人が出たり、ときには死者が出たりすることもあったので、最近は飛び乗りが禁止になったようですが、なぜそんな危険なことをするのかというと、御柱には神・精霊が宿っていて、丸太にまたがって斜面を滑り降りると神・精霊と一体になれるからです。


祭りの準備としての日常生活


こうした祭りは年に一度、大きなものは数年に一度で、祭りの担い手たちはそれに向けて準備をします。準備には山から材料を切り出したり、加工したり、歌や踊りや演奏の練習をしたりと、いろんなものがあり、1年を通じて、あるいは何年もかけて進められます。

そうした信仰が生きている地域では、祭りは1日とか数日のイベントではなく、準備のプロセス自体が祭りであり、住民たちはまさに祀ることによって生きているわけです。

ただし、1年を祭りの準備、大きな意味での祀ることを継続しながら生きている人は、今ではごくまれです。大部分の人は、祭礼など特別な機会にしか地域社会や神社・寺院と関わりを持たなくなり、精霊や神々との関わりも薄れたまま生きています。

しかし、それでも近現代の人間が忘れたとされている、集合的で非理性的な意識や感情は、国際的な緊張が高まると、ナショナリズムのようなものにかたちを変えて、あるいはそこにエネルギーを供給することで復活してきます。

20世紀の世界大戦あたりに見られたナショナリズムの高まりと、国民の支持によるファシズムの権力掌握、破壊的な戦争、迫害・虐殺は、そうした集合的で非理性的な意識・感情が働いて生まれたものなのではないか。そして21世紀の今も、新しい国際的な緊張の高まりの中で、そうした非理性が再び国家や国民、民族といった組織・集合を突き動かしつつあるのではないかという気がします。


祭礼の再発見


若い頃読んだ本、たしか柳田國男の民俗学的な本だったと思いますが、そこには

「昔の生活にはハレの日と、ケの日があって、ハレとは冠婚葬祭など特別な日で、ケの日はそれ以外の日常の日だった」といったようなことが書かれていました。

その頃はなるほどと思ったのですが、今もう一度考えてみると、ちょっと疑問が湧いてきます。

たしかにお祭りとか結婚式とか葬式といった行事は、地域社会や親族などの集団が、神仏の前で行う特別な、神聖な行事で、日常生活とは違います。しかし、それは人々が生きているということを、行事という目に見える事象があるかないかで分類しただけのことです。

それで一体何が明らかになるんでしょう?

柳田國男は明治以降の時代を生きた近代の人ですから、人が個々人になり、科学的・理性的・合理的に物事を考えるようになり、人間が集団として共有する意識とか、そこにある精霊とか神々といったものが忘れ去られようとしているのに危機感を覚えたから、そういう近代以前の生活様式と精神構造を、近代の視点から再発見することに意味を見出したのかもしれません。

民俗学とか文化人類学といった学問は、そういう人間の古くからの在り方を再発見・再確認することで、科学的な合理性ばかりが重視される近代の傾向に、新しい視野を提供しました。


集合的意識の再発見


しかし、古くからの人間の在り方を、行事とか説話など、伝統的な習俗のように見えやすいものから見るだけでは、近代から取り残されたように見えたそういう古い非理性的な集合意識が、どんなふうにナショナリズムや新興宗教といったものにエネルギーを供給するようになったのかといったことは見えてきません。

国家や民族、宗教の対立や暴走、その結果生まれる戦争や強権的支配といったものは、私たちが持っている集合的・非理性的な意識から生まれ、私たちのエネルギーによって増幅されます。

今、世界で起こっている非理性的な対立や紛争を、破壊的な戦争や大量殺戮にエスカレートさせないためにも、まず人類が自分たちの非理性的な性質を理解する必要があるんじゃないかという気がします。

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