見出し画像

三千世界への旅 魔術/創造/変革77 征服を回避した日本に起きたこと

日本の近代化


ここまで見てきたように、日本は大航海時代から19世紀まで、ヨーロッパの侵略を回避できた国のひとつですが、幕末の混乱を乗り切って明治政府による近代国家としてスタートした日本は、急ピッチで近代化を進めました。

最初のうちは船舶や鉄道、産業機械、武器など、必要な設備・装置を欧米から輸入していましたが、数十年で国内生産できるようになりました。欧米からモノや技術を買っただけでなく、技術者や学者・教育者も高額の報酬を払って招聘していましたが、そこから人材が育ったことで、設備・装置を自作できるようになったわけです。

戦国時代末期にも、日本では銃を数十年で量産できるようになり、戦闘が大きく変わったと言われていますが、明治時代の急速な近代化は、それをはるかに上回る規模で行われました。その意味で日本はヨーロッパ以外の地域における近代化の優等生だったと言えるかもしれません。


近代化の原動力


この急速な近代化を可能にした要因はいくつか考えられます。

まず、日本は島国であるため、古代からよりよいものは海外からやってくるという考え方があることです。言い換えると、海外からやってくるものや情報に飢えていて、入ってきたものから学び、取り入れ、活用する文化があると言えるかもしれません。

稲作や土器、青銅器、鉄器や馬、仏教や儒教、道教、建築技術、中国式の政治制度など、その時代の先端を行く文化は、常に外からもたらされ、応用され、活用されてきました。

鎌倉・室町・江戸のいわゆる武家政権の時代は、古代に比べると中国の影響が下火になった時代ですが、室町時代後期に始まった、ヨーロッパとの交流は日本人にとって大きな刺激になりました。

徳川幕府のいわゆる鎖国政策で、ヨーロッパとの交流は制限されましたが、それでも江戸時代を通じて時計などの機器や、医学などの科学、建築・絵画の技法など、情報はそれなりに入ってきていました。

それらの情報は、新しいもの好きの日本人を刺激し、情報の飢餓状態が生まれていました。江戸後期に入って洋学ブームが起き、学者・知的な武士たちからは、ヨーロッパの学問や制度を学ぶ人たちが生まれました。

彼らの中には幕末の頃すでに議会制民主主義がどんなものなのか理解している人たちがいたと言われています。

エリートだけでなく、江戸時代の日本ではお寺で子供に読み書きを教える制度・文化が広がり、世界でも識字率の高さはかなりのレベルだったと言います。これが明治期に古い身分制度にとらわれない平等な教育制度を可能にし、幅広い層から多くの人材を排出することにつながりました。


日本人の強迫観念


こういうことを書いていると、日本人はとても優秀だという印象を受けますが、日本の急速な近代化はこれだけで達成されたわけではないと僕は思います。

江戸時代から一気に明治の近代へジャンプした日本人の意識の根底には、危機感や恐怖、強迫観念のような非理性が作用していると感じるからです。

モチベーションに非理性的な恐怖や強迫観念がはたらいたとしても、それで技術導入といった近代化が促進されただけならいいのですが、この非理性はネガティブにはたらくこともあります。

たとえば日本が日清戦争や日露戦争に勝って、台湾や南満州などを手に入れ、その流れで朝鮮半島を植民地化したことです。

幕末には征服・支配されるかもしれない側だったのが、近代化によって国力・兵力を増強したおかげで戦争に勝ち、一転して征服・支配する側になった。言い換えると、アジアの国として欧米先進国に侵略・征服されないための富国強兵が、富国強兵のためのアジア地域の支配へと転換されたわけです。

戦争で新しい領土を獲得するのは、ヨーロッパの先進国もやっていたことですから、当時の国際社会のルールに照らして違法だったわけではありませんが、そのルールはヨーロッパ人の侵略・征服・支配を正当化する論理であって、侵略・征服・支配されるアジア人側のルールではありません。


欧米的理性とアジア的強迫観念


欧米先進国を模範に近代化を推進してきた日本にとっては、台湾・南満州・朝鮮の支配は正当な行為でしたが、同時にそれは、日本と同じように欧米先進国の侵略・征服の脅威にさらされ、それに抵抗してきたアジア諸国にとって、ある意味裏切り行為でした。

日本人はそれを欧米的なゲームの枠内で正当化したつもりだったかもしれませんが、侵略・征服を回避しなければならない後進地域アジアの一員としては倫理的な矛盾を抱えることになりました。

しかし、日本はその矛盾を認めず、あくまで欧米先進国の論理でアジアの支配を正当化し、植民地経営で利益を上げ、さらなる近代化、経済発展を進めます。

国際社会を支配していた欧米先進国の論理とは別に、日本には近代化による富国強兵をさらに進めなければ、いつ征服される側になるかもしれないという恐怖・強迫観念がありました。

それは欧米先進国の科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みを自分たちの意識の中に取り込むストレスフルな行為を、より一層促進しなければならないということであり、それがさらに強迫観念を増進させます。この非理性的な感情が、中国人や朝鮮人に対する蔑視や差別意識を生みました。


非理性の連鎖


一方、植民地化された地域には、同じアジア人である日本人に征服・支配されることに対する怒りが生まれます。

植民地支配が欧米流の科学的・理性的・合理的なシステムによるゲームのルールで行われたとしても、そこには日本の欧米に対する恐怖や劣等感、そして非理性的なアジア人への優越意識といったものが潜り込んでいました。その日本人の非理性が現地のアジア人の非理性的な反日感情を生み出します。

植民地支配される側の意識は、台湾・満州・朝鮮で必ずしも同じではありませんでした。

台湾には先住民がいて、そこに中国南部を中心とした地域からの移民が加わり、一種の新天地のような地域になっていました。中国人としての統一的なアイデンティティー、愛国心がそれほど強く意識されなかったためか、日本の統治はそれほど強い反発を生まなかったようです。


朝鮮半島に起きた事


これに対して、朝鮮は古代から国家としての歴史があり、政権は交代したものの、当時も大韓国という統一国家がありました。しかし、古い東洋的国家の枠組みから抜け出せなかったために、日本のようなドラスティックな近代化ができないまま、統治機能が弱体化したところをつけ込まれて、日本の植民地になってしまったわけです。

朝鮮にとって日本は古くからライバル関係にあり、稲作や青銅器や土器、馬、仏教、建築技術など、大陸の優れた文化の多くは朝鮮半島経由で日本にもたらされていましたから、どちらかと言えば朝鮮の方が先進地域であるという意識がありました。

それが国の衰退と、日本の植民地になったことで、日本人の価値観を強要されたり、日本人に蔑視されたり、日本に移民して下層民として働かなければならなかったりしたわけですから、日本人に対する敵意は相当なものがあったでしょう。

満州をめぐって中国と日本の間に起きたことについてはまた次回。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?