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三千世界への旅 縄文13 縄文人の価値観


売買ではなく、贈与にこだわる


この数ヵ月、縄文遺跡や博物館を訪ねながら、何冊か縄文に関する本を読んでみました。その中で一番ためになったのは、瀬川拓郎の『縄文の思想』です。

他の本が主に考古学的な発見から見えてきたことについて書かれているのに対して、この本は考古学だけでなく、縄文人の文化を色濃く継承しているとされる、アイヌやいわゆる海の民などの活動の痕跡、古代日本の神話などの分析を通じて、縄文人の世界観や価値観がどんなものだったのかを考察しています。

たとえば、アイヌの人々は欲しいものを手にいれる場合、金銭によるモノの売買ではなく、贈与と返礼による交易にこだわったといいます。

また、近世〜近代になっても船を住まいとして移動しなから漁業を営んだ「家船(えぶね)漁民」という人たちがいましたが、彼らは自分たちがとった魚などが金銭で買われることを嫌い、陸上の知り合いなどに贈り物として与えたと言います。

知り合いはそのお礼として彼らを祭礼に招待し、家船漁民たちはこの招待を喜んだととのこと。

金銭で売買すれば、モノは単なるモノで終わってしまいますが、贈与のお礼として祭礼に招待されれば、彼らはその地域の縁者、親戚のような存在になることができるからです。

そこにはモノとモノの交換ではなく、魂のやりとりがあります。


魂の贈与


瀬川拓郎は『縄文の思想』の中で、南九州で狩猟や漁の獲物を分配する際、その単位をタマスと呼んでいたことを紹介しています。このタマスは「賜る」「賜わす物」の意味であり、霊魂の「タマ」でもあったと言います。

沖縄県の最南部、八重山諸島ではタマスをタマシイと呼んでいるとのこと。

アイヌの場合も、贈与や物々交換を、ラマッ(タマシイ)の贈与や交換であると考えていたと言います。

瀬川拓郎はアイヌや家船漁民、地方の漁民・狩猟民など、近代以降に存在する人たちに受け継がれてきたこうした価値観を、縄文的価値観の名残りと見ていて、こうした贈与と返礼の考え方から、縄文人の価値観を推測することができると考えています。


縄文の交易を想像してみる


こうしたことを手掛かりに、縄文時代の交易がどんなモノだったか想像してみると、面白いことが見えてきます。

新潟でヒスイの装飾品や黒曜石のやじり、刃物などを見たとき、僕は「縄文時代にもけっこう広範囲に交易が行われていたんだ」と考えたのですが、この交易はもしかしたら、現代人の我々が考えるようなものではなかったかもしれません。

新潟・糸魚川河口流域で採れるヒスイや、信州・蓼科や伊豆諸島の神津島などで採れる黒曜石は、日本列島の広い範囲の縄文遺跡で見つかっていますから、縄文人にとって相当価値があるものだったのでしょう。

当然、それを手に入れるには、それと同等の価値があるものを提供して交換しなければならないと我々は推測します。

たとえば関東の貝塚遺跡からは、膨大な貝殻が出土しています。

他の魚介類の骨などがあまり混じっていないことから、黒曜石など貴重な物品と交換するために、貝の干物を特産物として大量に生産していたのだと、『ここまで解けた縄文・弥生という時代』で山岸良二は語っています。

確かにモノの移動としてはそうなのかもしれません。

状況証拠から考えると、ヒスイや黒曜石など貴重な品を持っている人たちと、食べ物などの特産品をたくさん作っている人たちのところから、それぞれの所有物が交換されたと推測できるからです。


贈与と返礼で生まれるもの


しかし、縄文人がアイヌや家船漁民のような考え方をする人たちだったとしたらどうでしょう?

その場合、我々が考える物々交換ではなく、こんなことが行われていたと考えることはできないでしようか。

たとえばヒスイまたは黒曜石を持っている人たちが、別の集落あるいは地域の人たちのところへ持っていき、相手がそれを褒め称えるのを見たとき、彼らはこれと引き換えに熊とか鹿とか猪の干し肉、あるいは海産物の干物といった相手が持っている特産物を要求し、交換が成立するとしたら、両者の関係はそれでチャラです。

お互いの関係には何も起こりません。

ところが、彼らがヒスイまたは黒曜石を相手に贈ったとしたらどうでしょう?

そして、相手の集落が彼らを自分たちの祭礼に招待し、精霊と一体化する体験を共有したとしたら、それは彼らにとって物々交換より素晴らしいことだったかもしれません。

さらに、ヒスイまたは黒曜石を受け取った集落の人たちが、干し肉とか海産物の干物を贈り、その返礼としてヒスイまたは黒曜石をもたらした側が自分たちの集落の祭礼に彼らを招き、自分たちの精霊と共に一体化したとしたらどうでしょう?

それは彼らにとってやはり素晴らしいことだったでしょう。


交換では生まれないものが生まれる仕組み


現代人である我々は、こうしたことを面倒、非効率と考えるかもしれませんが、おそらく縄文人の考え方は全く違っていたでしょう。

こうした二度の贈与・返礼によって二度の素晴らしい体験が共有されるだけでも値打ちがありますが、そこからお互いの集団に親類縁者的な結びつきが生まれたり強化されたりしたとしたら、それはさらに値打ちのあることだったはずです。

お互い、困ったときに助け合ったり、婚姻関係を結んだりして、地域の平和や子孫繁栄につながるからです。

単なる物々交換・等価交換では、モノのやり取りが行われるだけで、人間としては何も起こりませんが、贈与・返礼なら人間集団として素晴らしいことが二度起き、お互いの結びつきが生まれ、強化されるわけです。


精霊信仰の贈与


この贈与と返礼の価値観・世界観は、縄文人の信仰・祭礼の基本原則でもあったと、瀬川拓郎は言います。

たとえば彼らは野生動物を殺して食べていたと考えられますが、それは動物を単なる食料としてとらえていたということではありません。

彼らは自然界のすべてのものに、自分たちと同じ精霊的な生命体が宿っていると考えていました。

西洋の人類学では、石器時代のそうした原始的な信仰をアニミズムと呼び、精霊をアニマと呼びます。

アニミズムの信仰では、人間と動物・植物などそれ以外の生物との区別はありません。山や川、岩など、無機物・地形などにも精霊が存在すると考えます。

生きるために動物を殺して食べることは、動物の霊的な生命力をいただくことでした。植物を刈り取って住居や道具に使用することも同じです。

それはある意味、動物・植物からの贈与です。



祭礼という返礼


石器人や石器時代の後期にあたる時代に生きた縄文人は、生きるための営みによって、他の生物から贈りものを受け取ると、そこに「借り」「負い目」が生まれたと認識していました。

その「借り」「負い目」を返済するために、彼らは祭礼を行います。

それは自分たちが生きるために生命をいただいた動物・植物たちの霊を祀り、自然に返す儀式です。

それはモノとモノの等価交換のような交換・取り引きではなく、自分たちと自然界が等しく持っている魂の融合です。

瀬川拓郎は『縄文の思想』の中で「イオマンテ」という、アイヌに伝わる祭礼を紹介しています。これはアイヌの人々が自分たちによって殺され、食べられた熊の精霊・魂を天に送り返す儀式です。

そこには縄文時代に起源を持つ、信仰の贈与と返礼が生きていると考えることができるかもしれません。

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