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若手教員は「厳しい指摘」を受け入れられるか?~過去の授業研究会を振り返って~

「研究授業後の事後研修会では、厳しい指摘を受けてこそ、授業力は高まるものだ。だから、これからも多くの研究授業を実施した方がよい。」

 20数年前、初任者だった私に、当時の指導教員が言われた言葉です。

 その後、教育行政に入るまで、約100本ほどの研究授業や公開授業を行いました。授業研究会で、多くの厳しい指摘を受ける中、確かに授業力は高まってきたと考えています。

 似たような経験をされたベテランの先生方は多いのではないでしょうか。

 「厳しい指摘を受けることで、授業力は高まる」

 確かにそうかもしれません。
 今でも、校内の授業研究会においても、厳しい意見等をたくさん言うことが、若い先生方を鍛えることにつながるという考えの人もたくさんいると思います。

 一理あると思います。
 しかし、自分のことを振り返ってみると、受け入れることができた「厳しい指摘」「鋭い指摘」はそれほど多くなかったことに気が付きます。

 外山滋比古氏は、著書である「思考の整理学」の中で、以下のことを言われています。

 いくら鋭い指摘をしたとしても、その人のよさを認めるという姿勢がなければ、言われた人はその人についていこうとは思わない。それが人情というものである。

思考の整理学

 外山氏の言われる「指摘」は、授業研究会での指摘に置き換えて考えてみることができると思います。
 
 私が受入れることができた「鋭い指摘」「厳しい指摘」をされた先生は、指摘すると同時に、私の授業のよさも認めてくれる発言もされていました。
 
 それらの先生の「よさを認める発言」は、「自分が授業で力を入れたところや手立てを理解してくれている。」と感じるものだけではなく「今まで自分では気付かなかったけれど、○○理論をもとにすると、自分には○○のよさがあるのか。」などと新たな気付きを促してくれるものも多くありました。

 だからこそ、私は、「鋭い指摘」「厳しい指摘」等を前向きにとらえることができ、それらを授業改善に役立てることができたと考えます。

 経験年数を重ねてくると、「鋭い指摘」ができるかはどうかはともかく、立場上「厳しい意見」を言いやすくなります。大雑把に言えば、それは誰でもできることです。

 しかし、「厳しい指摘」に対して「よさを認める鋭い発言」は誰でもできません。それまで意図的に経験を積み重ねてきた人、学び続ける人のみにできるものだと考えます。

 授業研究会等で若い授業者に対して発言する際は、「厳しい指摘」「鋭い指摘」だけではなく「よさを認める鋭い発言」を心がけることが、ベテランの先生の1つの役割ではないかと改めて考えています。

 

 

 

 

 



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