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「書くこと」そのものに迷ったのでとりあえず書いてみた

「書くこと」そのものに迷っている。
まさか、自分がこんなことになるとは思っていませんでした。

どうもどうもこんばんは。天ちゃんです。実は最近noteの下書きを毎日書いてて、更新はしてないですが、何気に記事の下書きだけ溜まっている状態です。
けれど、そんな毎日に転機が来たようです。

今日も「さあ書くぞ~」という気持ちでパソコンの前に座ったのですが、脳が少したわんでいます。いつもだったらパソコンの前に座ればスーッと脳が冴えてくるのですが、今日はなんとなくふわふわしています。

なんとも不思議な感覚で、書く内容は出てこないのに全く焦りは覚えません。むしろ多少の満足を感じていて、どこまでも自分に甘くなってしまいます。もうこのまま寝てもいいし、明日は授業があるのに目覚ましもつけなくていいような。

それでも頭のどこかでは「書かなくちゃな」ってことが分かってるからもどかしい。もどかしいけれど、なんとなく心地いいから許されそう。「ちょっとなら休んでもいいよね」って悪魔のささやきが聞こえてきてる。

悪魔って怖い姿で描かれがちだけど、実際はそんなに恐ろしい姿じゃないと思う。むしろ、自分たちが尊敬している人や、愛している人、心の許しあえる友人の顔をして、「少しだけ、少しだけ」って言ってくる。別に変なことを言ってくるわけじゃない。聞いている人の耳に心地よい言葉で、論理で、誘惑してくる。

こういう悪魔と対峙するとき、やみくもに対抗してはいけないのかもしれない。
「書かなくてもいいんじゃね?」という悪魔のささやきに対抗するとき、「書かなければならないから、書かなければならない」と答えるのは気持ちはわかるけど水掛け論だし、何よりトートロジーになっちゃってて中身がありません。

むしろ、「書かなくてもいいんじゃね」といっている言葉のその真の意味を探るため、逆に考えを深めることで、自分が何を考えてそういう思考になったのか、より深い理解がえられると思います。

自分も、自分なりにここまで書いてみて、「書くこと」そのものに迷っている、ということの正体が少しわかった気がします。

まず、「考える」ということはできる/できないとかしたい/したくないとかめんどくさいとか手間がかかるとか、そういう次元の話ではなく、もっと自然発生的な、「気が付いた時には終わっている」かのような、もっと自由でカオスなものだと、なんとなく考えることができました。

次に、「書くこと」とは自然にポンポン出てくる自由な「考え(または発想)」に形を与えることであり、考え自体がどこに向かうかは書いてみないと誰にも分らないものです。実際に書いてみて初めてその形が定まるのです。

「書くこと」自体に迷う、というのは上に書いたことを理解していなかったために起こったことです。つまり、書く前からゴールへの道標を探したのです。

でも実際は、書くことはもっと自由で、カオスで、書いてみないとわからないものだとわかりました。
今後はそういうことを理解したうえで書いていくことにします。

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