すべてを雨に帰す
今日は全く進捗がなかった。このままでは悲しくて終われないのでここに「これはすべてこの雨のせいだ」という話をしたいと思う。
その「徴候」は朝起きたときからあった。
目が覚めると、いつもより瞼が重いのだ。
私は割とロングスリーパーで大体8時間の睡眠をとるように寝ている。昨夜、1時40分ごろに寝て目覚ましはきっかり8時間後の9時40分。普段の調子ならば起きてすぐツイッターを確認して(相当なツイ廃です)30分後くらいにテレビをつけて起き上がり、遅めの朝ごはんを食べていつもの作業に取り掛かるのだが、今日はそうはいかなかった。
いや、テレビをみて、ご飯を食べるところまでは成功した。
ただ、テレビから逃れられなかったのだ。
テレビの内容が面白いとかそういうわけではない。ただ、いつもの数倍、体が重く感じた。体が、今日は、今日だけは、ゆっくりしてくれというサインを出しているのだ。
結局作業は全く手につかずマリカーをして時間をつぶしたのだが、なぜ体は全力で作業をするなといったのか。
もちろんこれはすべて、すべて雨のせいなのだが、これを説明するには少し前、自分たちが小中学生だった頃を思い出す必要がある。
私たちが小中学生だった頃、雨、特に激しい雨は、希望の雨であった。
大雨が降れば汽車(or電車)のダイヤが乱れ、もう少し天気が崩れれば学校は休校になる。これが当時の自分たちにとってはどれほどのことだったかを想像するのはたやすいことだ。
当時の私たちの「仕事」といえば、わざわざ朝早くに起きてご飯を食べ、行きたくもない学校に遅れずに行き、聞きたくもない授業を5-6時間もながながと無理やり聞かされて(集中していないと叱られるし)、次の日までにやりたくもない宿題を貴重な自由時間を削ってまでやることだった。
基本的にこのサイクルは止めることができないし、登校とか宿題とかやけに長くてめんどくさい授業は実質強制で、しかもこれだけのことをさせられながら褒められもせず、当然のこととして扱われる。
今考えてこれがいいとか悪いとかは全くいうつもりはないが(小中学校の先生方にはいろいろ感謝しています)、少なくとも当時の自分はこれにそれなりにストレスを抱えていたと思う。
で、ここに一石を投じることができる数少ない現象の一つが、大雨だった。
大雨は自分たちが喉から手が出るほどほしかった「学校に行かなくていい」という状況を作るほぼ唯一の方法だった。しかも、自然災害にも関わらず自分たちにはほとんど被害がない。
だから、私などは前日の夜に大雨が降っているときには明日学校に行かずに済むかどうかが気になって夜遅くまで天気予報を確認したりしていた。
つまりだ。大雨は私の「仕事をしなければならない」という義務感を打ち消す効果を持っている。いまだに小中学校の癖で「この大雨で何にもしなくてよくなるんじゃないかなあ」という感覚が抜け切れていないのだ。
当然そうなると何のやる気も起きなくなってしまうので、「あーやめだやめだあー」となるわけである。
と、いうわけで私も今日のことは積極的に言い訳をすることにするし、今日進捗がなかったあなた方もぜひこのように言い訳をしてみてほしい。
「これはすべてこの雨のせいだ」と。
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