田舎人間がクリームソーダみたいな指輪を買う話
小さいときから綺麗なものを見るのが好きだった。昔、誕生日プレゼントに百科事典をもらったことがあったが、いつも見ていたのは虫でも動物でもなく、カラフルな写真が並ぶ宝石のページだった。
大人にもなってもその趣味は変わらず、Instagramではジュエリーショップやら鉱物収集アカウントやらをフォローしまくって、目の保養タイムラインを形成していた。
あるとき、私はとあるジュエリー作家さんのアカウントを見つけた。投稿されたジュエリーの写真は、石そのものの形を生かしたものが多く、私の目を引いた。うねうねとしたウミウシのような形のオパールや、雨粒のような青さのタンザナイトなどを留めて指輪にしており、いくら見ていても飽きなかった。しかし、ずっと見ていると少しずつある気持ちが湧いてくる。
実物を見てみたい…!
東京のジュエリーショップでその方の作品の取り扱いがあることを知り、偶然別件で東京へ行く用事ができたので意気揚々と向かうことにしたのである。
デパートの一画、目的地のジュエリーショップの付近を私はうろついていた。やってきたはいいものの、おしゃれで高級なデパートだ。ぶっちゃけめちゃくちゃ気後れする。
私は、ジュエリーを買いに来たのではなく美術館に美術品を見に来たのだと気持ちを落ち着かせ、ショップのドアを開けた。ものすごい冷やかし客である。
店内のショーウィンドウを眺めていると店員さんにどういったものをお求めか聞かれ、Instagramを見た旨を伝えるとショーウィンドウからたくさんの指輪が収まったケースを取り出し、試着を進めてくれた。
やはり実物は違う。写真でずっと見ていたさまざまな色と形の宝石たちを見て、正直もう目標を達成した気分になっていた。せっかくだから試着してみようとしたが、私の人差し指に対して指輪のサイズが小さく、指の付け根までとおすことができなかった。
こんなおしゃれな指輪をつける人の指は、それはきっと細いのだろうという謎の劣等感を感じているとふと、ある指輪が目に留まった。
それは金色の地金で縁取られた丸く大ぶりな一つ石の指輪で、ピンク色と緑色が真ん中あたりで切り替わっている、トルマリンが使われたものだった。
まるでクリームソーダみたいだと思った。
有名な喫茶店のやつだ。真ん中に仕切りがあるグラスでイチゴ味とメロン味の炭酸水が入ってるやつ。
石自体は平べったく、よくある婚約指輪みたいな細かなカットを施されたものではないが、ふつふつとした内包物が照明の光を受け、まるでソーダの炭酸のようにキラキラと輝いている。思わず口に含みたくなるような気持ちのまま、金額を確認して思ったのは、
洗濯機買えるじゃん…!
最近実家の洗濯機が壊れたので、母にいつ買いに行くのか尋ねたら、
「今まとまったお金がないから来月かねえ」
なんて呑気に言うものだから半ば投げやりにプレゼントした記憶が頭をよぎった。
私自身、学生時代からおしゃれに頓着するような性格ではない。まとまったお金を使ったのは家電か、通勤のために買った車か、という人間である。リングをつまむ指先の感覚がなくなり、掴んでるんだか離してるんだかわからなくなっていた。
石のサイズが大きめだからか他の指輪よりサイズも大きかったらしく、店員さんに試着を進められた。まあ最後に…と思い、人差し指にはめてみる。
それはするりと指に通る。平べったい石のふちだけが金属に囲まれているため、指にはめると石と指が直接触れるかたちになる。石のひんやりとした冷たさを感じる。
店員さんは他の指輪もサイズ直しできますよと言ってくださったが、何週間か時間がかかるとのことだった。
唯一はまった指輪を見つめて、「これにします」と言っていた。会計を済まし、店を後にし、指輪を人差し指にはめた。
指に洗濯機を付けている…。
壁に手をぶつけないように慎重に駅の中を進み、電車に乗り込む。時々手先をちらと見るとそれは光を受け、しゅわしゅわと光っている。
私だけの芸術品である。