Record Collector 2021 Christmas:ロジャーのインタビュー

オリジナル訳公開:2022年1月11日

Queen特集だったRecord Collector #526 (Christmas 2021) に掲載のロジャーのインタビュー(Pp. 94-99)。Outsider Tour中の取材だそうです。

音楽(=仕事)への熱い思い、Queenでの活動とソロ活動での視点の違い、Queenとしてやってきたことへの自負、若かりし頃の懐かしく楽しい思い出、フレディへの思慕、50年以上経った今のブライアンへの友情、「秋」であること…。楽しく、時々切なく読ませてもらいました。

■Don't Stop Me Nowは、Queenの初期において、作者のFreddie Mercuryと同様にRoger Taylorのアンセムでもあったようだ。いかがわしくて、可愛くて、ポケットサイズのブロンドで、皮肉げでハングリーな笑みを浮かべる彼は、人生にもドラムにも同じように疲れ知らずの攻撃姿勢で取り組んでいた。Bohemian Rhapsodyのハーモニーを支える元少年聖歌隊のファルセットは、彼の少年のように無邪気な魅力をさらに高めている。「ロジャーはロックンロールのためにデザインされたんだ」とは、A Night At The OperaのアシスタントエンジニアであるGary Langanによる人物評だ。「彼は本当に人生を楽しんでいた」。
I'm In Love With My CarでRhapsodyのB面を掴んだテイラーは、Queenの最も熱心な70年代ロッカーであり、アルバムSheer Heart Attackにおける不良少年のアンセムTenement Funsterでリードシンガーを務めている。ジョン・ディーコンと並んで、彼は80年代にヒット作を担当し、The Worksの主要シングルである商業的大作Radio Ga Ga、それに続くアルバムのタイトルトラックA Kind Of Magicを作曲している。またQueenの全米キャリアを破壊したI Want To Break Freeのビデオでは、刺激的なスマイルのセクシーな”スクールガール”として、最も魅力的で楽しいドラァグを演じた。
テイラーとマーキュリーは、60年代にはフラットメイトであり、ケンジントン・マーケットの衣類の屋台で共に働く仲間だった。このシンガーが、テイラーとメイのバンド、Smileに加わる前は。名声を得る前の愛すべき絆を、メイ同様、彼は今も深く感じている。
しかし、メイの真面目で賞賛に値するアナグマ捕獲反対運動は、シューティングの的の方が好きなテイラー向きではない。クイーンの最も音楽的に勤勉なメンバーによる6枚目のソロ・アルバムOutsiderでは、友人でありQueenのコラボレーターでもあったBowieの2016年の死、そして彼が育ったコーンウォールで大部分を過ごしたロックダウン生活の影響を受け、彼が内省的で後悔を感じるムードにあることを表現している。「少なくとも、このひどいパンデミックはみんなを同じ境遇に追いやった」とテイラーはRCに語る。「それは監禁的な解放だ!」と。
前回私たちが話をしたとき、テイラーは彼が建前としてプロモートしていたコンピレーションQueen Forever(2014年)を楽しげに拒否していた。今回、Outsider Tourのリバプール公演の数時間前、彼はその時と同様に正直かつ愉快に、Queenの半世紀における自分の役割、高速で年を取ること、そしてアルバムの発売には125人のストリッパーが本当に必要かどうかを考えながら話してくれた。

Q:ツアーに復帰していかがですか?
R:ファンタスティックだね。運が良かったのかどうかわからないけど、素晴らしいバンドに恵まれた。昨夜はほぼパーフェクトなコンサートができて、とても幸せだった。毎晩のように自信が揺らぐ。迷って、自分にこれができるのか、僕たちにやれるのか?って。でも、僕たちはやれているし、とても素晴らしい、すごくうまくいっている。もちろんQueenみたいな規模じゃない。でも、それがむしろ魅力なんだ。

Q:フレディやブライアンがツアー生活に対して熱くなったり冷めたりしていたところでも、あなたはいつもそれを愛していましたね。そして、フレディが病気になってQueenがツアーをしなくなると、あなたはThe Crossでツアーを始めた。バンドとして活動することの何が好きなのでしょうか?
R:仕事をするのが好きなんだよ。仕事はやりがいを感じさせてくれる。自分が貢献していると感じられるし、自分のちっぽけな存在も正当化される。それに、音楽が大好きだから。それだけ、僕がなりたかったのは、本当にバンドだった。必ずしもリーダーになりたいとは思わなかった。でもバンドには入りたかった。偉大なバンドというものはすべて、小さなギャングみたいなものだろ? The Whoとかね。彼ら皆がすごく素晴らしくて、皆がすごく違っていた。でも、彼らには不思議なケミストリーがあった。

Q:あなたが、ライブの前にあると言っていたような不安は、最近Queenとして演奏するときにもあるのでしょうか?
R:そうだね、より安心しているけれど、でも特に僕の年齢で2時間半のセットをやるっていうのは、すごく疲れる。だから少しずつ、それぞれ充電のための休憩時間を作らないといけない。もちろん、観客がよく知っている曲、そうは呼びたくないけど、ヒット曲を聴けるのを期待していることはわかっているよ。僕たちは自分たちをポップ・バンドだと思ったことはないけど、もちろんヒット曲はたくさんあった。でもその多くが素晴らしい曲だと思うし、だから僕はQueenでやるツアーが大好きだ。けどね、クタクタになるんだよ。

Q:あなたのソロ活動とQueenでの活動の違いの一つに、政治性がありますね。Queenが非政治的だったのには理由があったのですか?
R:ああ、その通り。僕たちは、自分たちの仕事を、かなりグローバルな規模で人々を楽しませることだと考えていて、小さな、地域的な政治要素に関与するわけにはいかなかった。群衆や観客を巻き込むことの力に気づいた時に、僕たちがどうにかしようとしたのは、この素晴らしい一体となる感覚、喜びを生み出して、観客を高揚させることだった。それがすべてだよ。特定の政治的な主張をするものじゃない。でも僕のソロ活動はそうだけど。

Q:あなたはWorking Class HeroやMasters Of Warをカバーし、Nazis 1994(ホロコースト否定派を罵倒)、Surrender(家庭内虐待に抗議)、そして今はGangsters Are Running This World(プーチン大統領とボルソロ大統領を非難)を書きましたね。Queenの外では、胸の重荷を軽くしたいことがたくさんあるのでしょうか?
R:そうだな、マザーシップではそんなことはできないだろうな。マザーシップでは4人の異なるリーダーが働いていて、個人の表現をする余裕がない。自分たちの間だけのものを作らなければならないんだ。そう、「Nazis 1994」はドイツでの90年代のネオナチ運動についてだった。それから「Dear Mr. Murdoch」を忘れてはいけない、これは今でも関連がある。あのムカつく編集長Kelvin MackenzieのThe Sunが、亡くなる間際のフレディの写真と「この男は死にかけている?」っていうのを一面にでかでかと載せていた、あれで僕はものすごく怒った。あれは究極の侵害だ。それで僕は、このクソ野郎をどうにかしてやる、って考えただけだ。それで僕自身のささやかでバカなやり方で、やつらをひと刺ししたわけだ。ルパート・マードックはこの40年間で、色々な日常生活の質を低下させたと思っている。

Q:そのメッセージをQueenスケールの聴衆に伝えたいですか?
R:いや、それは別の仕事だね。僕は自分を政治の専門家にするつもりはない。ただ、個人的な意見を表現できるルートを持つ幸運な人間であり、それは以前にも見てきたことだ。ボブ・ディランが大好きで育ったけど、初めて「Masters Of War」を聴いたとき、プロテスト・ソングが素晴らしくパワフルなツールであることに気づいたんだ。Working Class Heroもそうだね。

Q:レノンは、そういう姿勢の点で、あなたが最も反応したThe Beatlesだったということですか?
R:まったくね。彼は本当に素晴らしいと思ったし、彼の曲の誤解を招くようなシンプルさも大好きだ。でもそういうことじゃなくて、もっと複雑なんだよ。でも、彼はメロディーの核心にまっすぐに入っていくし、それをいじくりまわすこともしない、彼の歌い方、その考え方が大好きだった。そう、僕はジョン・レノンのすべてが好きだった。

Q:そういった要素は、あなたの曲作りの中にたくさんあるのでしょうか?
R:そうだね、そう思いたいな。ディランやレノンのような人が身近にいると、若者にとってすごく刺激になる―当時の僕がそうだったからね!

Q:「Bicycle Race」の素晴らしい一節は、Queenの対照的なアプローチを示しているわけですね。「Don’t want to be a candidate for Vietnam or Watergate/ Because all I wanna do is bicycle!!(ベトナム戦争の志願者やウォーターゲートは嫌だ/僕がやりたいのは自転車だけだから!)」。つまり、当時の問題に触れつつ、ただし至極Queenらしい切り口で……。
R:(声を立てて笑って)あれこそまさにフレディ、だよな。

Q:Queenの精神とは逃避の美学についてだということでしょうか、本当に? "Is this the real life/Is this just fantasy?” つまり、いつだってファンタジーだと。
R:ああ、間違いなくそうだ! 中身のない良作に没頭するのは素晴らしいよ。それがいいものである限りはね。ゴミくずみたいなものはいらないよ! 僕たちの作品は音楽的に妥当なものだったと確信している。音楽的な内容や構成がすごくしっかりしていて、だからそれが僕たちの基準だった。正しい音楽なのか? 良いものなのか? それにBicycle Raceは大好きだったよ。僕たちはフランスにいて徹夜でミキシングをしていて、こう思ったのを覚えている。「これはまるで普通じゃない、とても新鮮で違うもの、こんなものこれまで聞いたことがない、それに美しくまとまっている―でも少し頭が変で、だいぶエキセントリックだな」って。

Q:あらゆる方向に、あなたの思惑とはまるで違うように進んでいった、それこそがQueenなんですね。
R:あれは僕たちの最高のヒット曲というのではなかったけどね。そうなるには異色過ぎたんだろう。

Q:あなたは長い間ロックスターとして活動してきたわけですが、Outsiderのタイトルトラックは、それでもあなたがご自身をどう見ているかを表しているものなんですね。
R:そう、そんな感じだね。歳をとっても成長途上の頃の学校時代のことは忘れられない―決してチームに参加しなかったんだ。実際、血の気の多いチームには入りたくなかった。多くの人が共感してくれると思うし、僕もある意味そうだ。それにいじめという側面もある。必ずしも社会的な人気者ではないという時でも、ほとんどの人がそういう経験をしたことがあると思う。

Q:コーンウォールでの幼少期は窮屈で不幸せなものだったのでしょうか?
R:それは不公平じゃないかな。僕には自転車があったからね! よく友達と一緒に出掛けて、森へ行っていたよ。ある意味すごく自由だった。それからティーンエイジャーになって、バンドをやった(最終的にThe Reactionsのリードシンガーになった)。村や街の役場を訪ねて行って、実際にツアーもした。でも、もし音楽で成功したいならロンドンに行かないといけないってことはよく意識していた。

Q:Outsiderの中のMore Kicksの「I was looking for trouble, I wasn't looking for a wife(俺はトラブルを探してた、妻を探してたんじゃない)」この部分が好きです。こういう古典的なロックスターの生き方は、今では少し流行ではない感じがしますね。見た目の通りに楽しいものだったのでしょうか?
R:イエスでもありノーでもあるかな。僕たちはいつでも、本当に退屈な部分は全部取り除いているから。でもだいぶ楽しかったよ。若い時は浅薄で、何を求めているかわかっているものだから。そうだね、全然いまどきじゃないっていうのは確かだし、まったく#MeTooでもないよね。でもそういう時だったし、僕は若かった。それにまさに謝罪の曲、I Know, I Know, I Knowもある。

Q:その頃のパーティーで盛り上がったりひどく無鉄砲な行動による代償はあったのでしょうか?
R:代償? そうだな、僕の場合は軽いものだったと思う。時には、何も無いところに隠れているようなものだと気づいたから。そうすると立ち止まって、行動を逆にしないといけない。徹夜でパーティーはできない、翌日ひどい目に遭うから、って。この2つの間での、絶妙な、永遠に続くバランスなんだよ。

Q:そのバランスは、後になってからわかったものなのでしょうか? ブライアンが何年か前にこう言っていました。「ロジャーは完全にロックンロールに身を捧げている、彼はロックにまつわる人生を愛し、それに完全に身を委ねているんだ」って。
R:(笑って)それは良いことかな? いや、最高だったよね。僕はサバイバルの感覚を持っていたと思っている。誘惑に負けて道を踏み外す人をたくさん見てきた。でも僕にはいつも「そういう道には行かないぞ、僕はそうなったらダメだ」って感覚があった。

Q:ニューオーリンズでのJazzの記念パーティーは、やり過ぎたQueenの頂点、全般的なロックの退廃とみなされていました。しかしそれは、退廃の真似事だったのでしょうか?
R:ああ。あのパーティーのことはそんなに思い入れはない。ただすごく行き過ぎていたってことだけは覚えている。そうだね、125人のストリッパーがいた。今では考えられないよね? でも僕たちは良いアイディアだと思ったわけだ。実際よりもね。次の日は最悪な頭痛に見舞われて、「これはやる意味あったのか?」って思ったのを覚えてるよ。

Q:ケンジントン・マーケット時代に戻ってみましょう。あなたとフレディはその仕事のセールストークがうまかったんでしょうか?
R:いや、そうじゃなかった。僕たちは古着の取引が本当に下手くそだったんだ。僕たちは最新流行の服を売って生計を立てているミュージシャンなんだ、って考えてた。実際のところ、いいものばかりだったんだよ。古いエドワード調のスカーフとかそういう感じの。ある日僕は、どうにかしてフレディのコートを売った。でもフレディはそれがわかると、買った女性を道まで追いかけて行って、10ポンドを彼女に投げつけて取り返したんだ。僕たちの夕食になるはずだったんだけどね。あの頃はとんでもなく楽しかったけど、その日暮らしだった。金欠で、僕は奨学金を店の家賃に使ってしまったほどだ。

Q:あなたが描写する服は、フレディの初期の歌詞にとてもよく似ていますね。ゴージャスで退廃的な…。
R:そうなんだよ! でも僕は、フレッドの歌詞がどこから来ているのか、いまだにわからないんだ。彼が本を読んでいるところを見たことがなくてね。でも彼はすごく頭脳明晰だったよ。

Q:店に来る客はどんな人たちでしたか?
R:ああ、いろいろだね。あの頃はJulie Christieがケンジントン・マーケットを歩き回っていたりするのを目にすることができたんだ。すごく面白かったよ。小さな小さな店、でもすごくクールで。でもその後、トルコからきたチーズクロスのゴミや、線香、麻薬の売人といった不健全な雰囲気に落ちていった。その頃には僕たちもやめてしまった。もう本当に面白くなくなってしまったんだ。

Q:ジョン・ディーコンがQueenに加入して50周年になります。その最初の年かそこらで行われた決定が、私たちが今もこのことについて話していることを意味するのでしょうか?
R:たぶん僕たちは、成功するだろうっていう誤った信念を持っていたのかもしれない。実際の確率がどうなのかを知っていたら、もしかしたら諦めていただろうから。でも、僕たちにはこのものすごい信念があった。その頃の僕の日記に、そういうことを書いたすごく興味深い記述がある。日記を書き続けていたんだ、自分が何をしようとしていたのかを知るためだけに。ライブのたびにちょっとしたコメントを書いていた。「くだらない」とか、「俺たちはなかなか良かった」とか、「観客は最低だった」とか。それである日、こう書いた。「Queenが一番いい名前だって決めた」。 バンドの名前をどうするか延々と話し合っていた、間違いなくパブか何かで会議をしていたんだ。「Queen」はフレディの提案だった。彼はすごく乗り気だったよ。でもその小さな走り書きの中に、僕たちにとってとても重要なことが書かれているんだ。

Q:それを書いたときは、ただもがいている若者だった。そこからいろいろと成長していくに連れて、この2つを同じように見るのは難しいものになるのでしょうか?
R:そうだね。でも、僕は12歳からずっとバンドをやっていて、だからバンドにいることには慣れていた。何となく自分の一部になっていたんだ。振り返ってみれば、僕は少し傲慢だったのかもしれない。自分が特別に謙虚だったとは思わないけど、気取って歩き回っていたわけでもないけどね。でも、僕たちはやることはやると思っていた。なぜなら、それが僕たちの中にあったから。それが僕らに息をさせていたんだ。

Q:ブライアンは、デビューアルバムの「Queen」を振り返って、何世代にもわたって残るような何かを作りたかった、自分にはやるべき価値のあるものがあったから」と言っていました。スタートした時のあなたの野望とはどんなものでしたか?
R:ブライアンが、本当にそれが何世代にもわたって残ると考えていたことに驚いているよ。妙なことだけど、その通りなんだよ! 僕の野望はバンドがこの上なく大成功することだった。そしてそれに付随するすべてのものがね。すべては僕とブライアンで始まった。彼は非凡で、すごく頭が良かった。彼は宇宙創成についての本を、他の2人の真面目な人たちと一緒に書いたりもした。僕たちは最近すごく仲が良いんだ。いつもすべてのことで意見が合うわけじゃない。彼は多くの本当に知的な人々と同じように、ものすごくエキセントリックで、僕にはよく理解できない動物の事なんかに大いに関わっている。僕は個人的には人間の事の方をもっと心配しているんだけどね。でもそれは僕たちだけのこと、僕たちは違う意見を認め合う、素晴らしい友人なんだ。

Q:ブライアンは会話の中でも内省的で熟考します。これまで私たちが話し合ってきた曲が示唆するように、あなたはより率直で「遅れたやつは鬼に食われろ(早い者勝ち)」ですね。
R:そう思うよ。条件反射的(思慮に欠ける)とは言いたくないけどね。ブライアンの好きな言葉は「うーん...」だよ。

Q:ではあなたは?
R:アクション!

Q:フレディは1974年に、コークを飲んでいるとそのグラスが砕け散る悪夢をあなたが見たという話をしていました。フレディの場合は、ホテルのバルコニーにいてそれが地面に崩れ落ちる悪夢だったと。どちらも明らかに不安を表す夢です。人気が上がっていくときに圧力を感じていたのでしょうか?
R:わからないよ。僕たちはなにかを成し遂げようとしているという、奇妙な内なる信念を抱えていた。「Queen II」を作っている時に、プロデューサーのロイ・ベーカーがこう言っていたのを覚えている。「さて、これがうまく行かなかったらどうするんだ、ネディ?」。僕はこう言った、「もちろんうまく行くさ! そんなにネガティブになるなよ」って。これがたぶん、僕たちの考え方の指針だったんだろう。でももちろん、誰にでもストレスや緊張はあるものだ。誰でも不安はある。僕は自分の人生で、できるだけそういうことを最小限にするようにしてきた。でも、いつでもそう簡単にできるってものでもないよね。

Q:そういうストレスをなくすために、生活を整えたのでしょうか?
R:もちろんそうだね。僕たちは、何よりもプライバシーを大切に考えている。僕は素晴らしい人生を送っている。素晴らしい妻がいて、5人の素晴らしい子供たちがいて。できれば僕が面倒を見てあげたいし、僕たちは仲が良いんだ。正直なところ、食べることを心配はしていない。自分がどれだけ幸運かは分かっている。だから人生に対して良い態度をとらないのは失礼なことだと思うんだ。憂鬱になる金持ちは理解できないよ。

Q:あなたがそのために働いてきたのだと知ると、受け入れやすくなるものなのでしょうか?
R:そのとおりだね。ただ与えられたり受け継いだりしただけよりも、自分で働いてきて手に入れた何かには十倍の満足感があるものだよ。本当に大きな満足感なんだ。

Q:アルバムSheer Heart AttackについてのRolling Stone誌の鋭いレビューがあります。こう締めくくられているんです。「Killer QueenとBring Back That Leroy Brownは、Queenのウィットとボーカルの巧妙さを驚くほどに軽く見せているもので、これまでこのバンドがやってきたことすべてと同様に、驚きと感嘆で人々を振り返らせるように計算されている」。この最後の部分は、あなた方が求めていた効果の通りだと思いますか?
R:そうだな、もちろん僕たちは人を振り返らせたり感嘆させたりするのが好きだったよ。でもそれが、僕たちがあの曲を作った理由ではないと思う。Bring Back That Leroy Brownはただフレディの気まぐれをすごくうまく表現したものだけど、でもその中に僕たちはものすごくたくさんの労力を注ぎ込んだ。実際のところ、ステージではインストゥルメンタルバージョンを演奏していたけど、いつもあれをやるのは大好きだった。でも曲はどれも全く違うよね? Sheer Heart Attackはプロトパンク(パンクの先取り)で、Killer Queenはすごくたくさんの美点をもって美しく創り上げられたレコードだ。

Q:あなたがた4人が音楽を作っていた約20年の間に、皆さんが始めた複雑で奇妙な70年代のロック・バンドと、それ以外の何かとの間に線引きをすることはできるでしょうか? もしそうだとしたら、どこでその線引きをするのでしょうか?
R:それは複雑な質問だね。僕たちが始めた頃は、むしろビートルズの精神に則って素晴らしいアルバムを作ることがすべてだった。そのアルバムは様々な要素を含むものでありたかった。ひとつの曲が他の曲と同じように聞こえることは望んでいなかった。ゲームプランは、ヒットシングルの寄せ集めじゃなかった、それじゃTop Of The Popsだからね。哀れで浅はかで、ロック・カルチャーの本質を完全に見逃していたものだ。だから僕は、僕たちがほぼ間違いで人気のあるヒット曲を集めてしまったと思っていた。でもその時、自分たちが本当のメインストリームをやっていることに気づいたんだ、見習いの活動ではなくてね。とはいえ、まだアルバムを目的にしていたけど。

Q:We Will Rock You/ We Are The Championsのシングルは、物事を単純化し、急所を突くものだったのでしょうか?
R:そうだね。A Day At The Racesは、A Night At The Operaに続く、ある種の対になるように考えて作った。そして、酷く酷評された。実際のところ、すごくいいアルバムだったんだ、とても良い音でね。でも、同じようなものだったとは思う。だから僕たちは考えた、OK、それを切り離そうって。そうしたら、明らかに大きくなった。うまくいったんだ。

Q:クイーンの80年代の大ヒット曲のいくつかを書いたとき、80年代当時の音楽を聴いて意識していた部分もあったのでしょうか?
R:それは違う。そうだな、実は……僕はGary NumanのAre ‘Friends’ Electricが好きだったんだ。それから、突然ポリフォニック・シンセサイザーを見つけた、彼らが突然コードを弾くことができるそれで曲を作り始めたから。僕たちはFlash Gordonのサウンドトラックを事実上全部それでやった。ドラムマシーンは本当にひどいものだってことが最終的にわかったけどね。でもRolandのJupiter 8というマシーンとは恋に落ちてしまったよ、すごく面白いって気づいた。Radio Ga Gaはそこから生まれたんだ。

Q:時代を理解することが、Queenが70年代の偉大なバンドから80年代の偉大なバンドへと転換する助けになったのでしょうか?
R:80年代、僕たちは「a la mode(流行)」なるものが何かを掴もうとしていた。音楽的に正当なやり方で。おかしいよね。その頃にポピュラーだった音楽を聴くと、そのうちのいくつかは恐ろしく酷いガラクタだ。80年代というと、ドラムマシーンとシンセサイザーを使ったたくさんのバンドを思い出す。その大部分がへたくそなミュージシャンだ。そして僕はそのほとんどに本当に関わることはない。80年代といえば、どんな名盤があった? Addicted To Loveかな、あれは素晴らしい……。

Q:The Works(1984年)の頃から、Queenは、常にそうであったとは思いますが、変化しなければならないと気づいていましたか? あなた方が望んでいた、大きな成功を収めるバンドであり続けるために。
R:それはもちろん。常にそうでなければいけなかった。ずっと同じものをただ大量生産しているなんてできない。成長しなければいけないんだ。どんな画家も同じように考えるだろう。それはただのプロセスの一部だ。僕たち皆が理解していたと思うよ。

Q:ご自身とフレディとの関係について、Old Friendsを書きましたね。いま、フレディのことをどう思いますか? あなたの人生に、彼はどのように存在しているのでしょう?
R:ああもう。彼は決して離れないよ。昨日、決定的に重要なことがあった。ある人が、彼と僕の古い映像を送ってくれたんだ。そうだよ、どれだけ彼がいなくて寂しいか、それで本当にちょっと悲しくなってしまった。彼は僕たちの人生の大きな部分を占めていたし、とても前向きで素晴らしい人だったから。フレディのことは良い思い出しかないよ。

Q:フレディを正しく理解することは、Bohemian Rhapsody映画製作の波乱の多かったプロセスにおける重要な側面だったのでしょうか?
R:ああ、そうだね。フレディを正しく理解することが本質だった。ラミは、このキャラクターの甘美な強さを素晴らしく表現した。他の候補者では、誰もああいうようにはできなかったと思う。

Q:この映画でやりたかったこととは?
R:まさにこの映画が実現してくれたことだよ。人々を楽しませることだ。もちろん、エンターテイメントだから、時間軸を操作して、いくつかのシーンを作り上げたりもした。でも、ストーリーは本質的に真実だ。僕たちは皆を、立身出世、勝利から悲劇、そしてまた勝利に巻き込み、気持ちを高揚させ、ちょっとした喜びを感じてもらえるように願っていた。すごく上手くいったと思っているよ。

Q: 映画のクライマックスのライブエイドは、Queenのキャリアの完全なクライマックスとして表現されています。あの日、実際にあのような重要性を感じていたのでしょうか?
R:ああ、そうだね。フレディの家に戻って飲んでいて、それで「今日、俺たちは本当によくやったと思う。すごく上手くいったと思う」って言ったのを覚えているよ。あのイベント全体が喜びだった。誰もが、この深刻な事態、ひどい飢饉に対して音楽が実際に何かをできるということを感じていたから。それにボブ(ゲルドフ)は今では僕の最も素晴らしい友人の一人だ。8月いっぱいを、あの年寄りの気難し屋と一緒に過ごしたんだ! 彼はなんて素晴らしいことをしたんだろうね。

Q:2014年の最初のアダム・ランバートとのワールドツアー以来、彼はその役割に、バンドに成長したのでしょうか?
R:それはもう。Queen、つまりブライアンと僕は、アダムなしではもうプレイすることはないと思っている。アダムは僕たちにすごくよくフィットしているんだ。彼は僕たちの曲を本当に素晴らしく表現する。彼は世界で最高のシンガーの1人だし、とても面白くて、僕たちはすごくうまくやっている。偶然にもアダムは、LAにある僕の家の隣を買ったりもして、これはとても奇妙な話でもあるけど、でもブライアンと僕は自分たちがすごくラッキーだったと思っている。アダムなしでは僕たちはライブをしていないだろうからね。これだけでは無理だよ。今度5月から7月に大きなツアーをやる。僕たち皆がとても楽しみにしているんだ。ブライアンも健康の問題を克服したし、アダムもただもうライブをやりたくてたまらない。すごいことだよ。

Q:もしアダムと一緒にならなかったら、ソロアーティストのロジャー・テイラーとして、シアターでのツアーを続けていて、それで良かったと思いますか?
R:ノー。Queenがこの形で今も存在しているという事実が、皆を動かし続けているんだ。どれだけ長く僕たちがきちんと続けられるか、僕にはわからない。もしちゃんとできないなら、やらない方がいい。

Q:Outsiderの曲Tidesでは「自分たちの確実に過ぎ去っていくことの必然性」について語っていますし、このアルバムの最後の曲はJourney's Endです。あなたの歳月の秋を感じているのでしょうか?
R:実際に論理的に考えたときだけだね。このまま死んでしまうかもしれないとは思っていない。でも、もちろん誰でも知っているよね。僕は72歳で、永遠には続かないものだろうし、人生の秋だ。他に回避する方法はない。でも実際素晴らしいものだったし、残りも素晴らしいものにしていきたいね。もし僕にあと10年素晴らしい時間があるのなら、できるだけ気持ちの良いやり方で生きて行けるようにしたい。そして、それには仕事をすることも含まれる。働くことは喜びだからね。

Q:Outsiderでの人生の秋の一面と比べて、Queenの音楽を振り返ってみると、より永遠で、青春の感動のようなものがあるのでしょうか? それともQueenの歌集は、その感情の広がりを受け止めるのに十分に広くて、年月を経て変化するようなものなのでしょうか?
R:Queenの曲の多くのことを考えると、アダムがWho Wants To Live Foreverを歌っているのを聴く時や、僕たちがWe Are The Championsを演奏するたびに、とても勝利に満ちていて、皆が素晴らしい時間を過ごしているのがわかる、毎晩ワクワクするんだ。本当に素晴らしいよ!

Q:それではQueenの音楽は、あなた方が演奏しているときには不朽不滅の存在なんですね。
R:まったくその通りだと感じるよ。フレッドにはそういう曲が書けた、そうだよね?

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