見出し画像

ロジャー・テイラー BBC Radio 2インタビュー(2024年9月) 3/4

3/4まできました。
子供時代のこと、家族のこと…お父様のことを話すのはあまりなかった気がして、ちょっと新鮮でした。

Joe:ジョーが伝説のロジャー・テイラーと一緒にお送りしています。あなたの子供の頃の曲をお聞きしましたが、 Bill Haley & His Cometsを選びましたね。

Roger:僕にとってはぴったりの選曲だ。僕たちは意味のある音楽に飢えていた。土曜の朝にBBCでUncle Mackを聴いていた。でもエルヴィスのような興味を引くものは流れなかったし、「Thunder and Lightning Polka」くらいだった。そしてある日、Rock Around the Clockというレコードがかかった。これはたぶん、最初のメガロックンロールヒットだったんじゃないかと思う。僕の中で何かが響いた。稲妻のような衝撃を受けたよ。「何だこれ!? これをやりたい!」って。 今となってはかなり古めかしいサウンドだけど、スウィングしているし、何て言ったらいいんだろうね?

(音楽)

J: Bill Haleyの「Rock Around the Clock」でした。なんというか、古い感じはするけど、それでもその切迫感やというか重要さのようなものがまだ感じられますね。

R: 当時のパワーって、それ以前のDorris Dayみたいなものとは対照的で、彼女には何の問題もないけど、こっちは暴動が始まったようなものだったと思う。確かその時、5500万枚売れたとか。本当に革命みたいなものだった。

J: それをラジオで聴いたんですね。

R: ラジオで一度だけ。それだけだったよ。

J: それはあなたがコーンウォールにご両親と一緒に住んでた頃でしょうか? 何歳でしたか?

R: その時はノーフォークに住んでいたんだ。本当に幼い時期だね。

J: 家にはたくさん音楽が流れていましたか? 音楽に囲まれて育った?

R: まあ、家にはDorris Dayはあった。それと「Thunder and Lightning」とか。でも、あまりなかったね。

J: では、音楽への愛はどこから来たのでしょうか。Bill Haleyーを聴いたこと以外に、何かきっかけがあって「ミュージシャンになりたい」と思ったんでしょうか?

R: そう、駆り立てられたんだ。本当に素晴らしくて、ただ自分が進みたい道に導いてくれた。

J: それで音楽を作り始めたんですね。最初の楽器は何でしたか?

R: いや、最初は特に音楽を作り始めたわけじゃなくてね、櫛とティッシュペーパーくらいしかなかった。ギターを手に入れたのは8歳か9歳の時だったと思う。でも、弾くのがすごく難しいと気づいた。結局僕は、ギターよりもドラムを叩く方が上手いって分かったんだ。

J: ではあなたは、叩けるものはなんでも叩いて回るような人だったんでしょうか。私の息子もドラムをやり始めた時は、私の背後にやってきて肩とか、家の中のあらゆるものを叩いていましたよ。

R: テイラー・ホーキンスと僕と、僕の息子と一緒の夕食に来たとしたら、もう悪夢のようなものだよ。何でもかんでも叩きまくりの悪夢だ。

J: 息子さん、素晴らしいですね。クリスマスにThe Darknessにセッションをやってもらった時に会いましたが、すごくエネルギッシュでした。つまり、テイラーみたいですよね。

R: そうだね、実際にテイラーが彼の名付け親なんだよ。そう、彼は本当に素晴らしいドラマーに成長した。僕はThe Darknessも大好きだ。彼らは素晴らしい、本物のバンドだ。トラックなしで、全部生演奏なんだ。

J: ジャスティンの声は本当に素晴らしいですね。

R: そうだね。

J: それで、ドラムを叩き始めた時のことをお聞きします。ドラムを始めたのは学生時代ですか? 音楽について優秀だったのでしょうか。どうやって音楽を作るようになったんでしょうか。

R: コーンウォールのトゥルーロにあるカテドラルスクールで聖歌隊の奨学金を取ったんだ。聖歌隊の奨学金があると、学費は払わなくていい。それでそこに通って合唱隊に入った。それで少しは歌うことについて学んだかな。それがある意味スタートだったけど、そこまで本当にはのめり込まなかった。スタートではあったけど、当時はずっとポップとかロックの音楽に夢中だったんだ。リトル・リチャードとかね。

J: 最初に行ったライブを覚えていますか? 子供の頃にライブで見たものを思い出せますか?

R: ジェフ・ベックを見たのを覚えてるよ。その時はもう少し年齢が上がっていたけど、彼が本当に大好きだった。それで、実際に友達にもなったよ。本当にすごいプレイヤーだ。

J: すごい。

R: 彼と一緒に歌ったり、演奏したこともある。あとはわからないな、よく地元のライブに行ってたし、コーンウォールでは地元のバンドに入って、どこでも演奏していたよ。

J: バンドの名前は?

R: 「The Reaction」っていう名前だった。

J: The Reactionですね。ご家族は、あなたがバンドをやって音楽を作っていることに対してどんな感じでしたか? 協力的でしたか? あなたがやっていることを理解してくれていたでしょうか?

R: 父はすごくサポートしてくれた。母はちょっと距離を置いて関心を持ってくれている感じだったね。「でも、ちゃんとした仕事には就かないのね」って感じだった。

J: 一時期は歯科医を目指していたんでしたね。

R: 正直なところ、歯科医になりたいとは思わなかったよ。ロンドンに行く手段として考えたんだ。言ったように、物事の中心地に行きたくて。当時はお金ももらえていたんだ。信じられないかもしれないけど。確か労働党政権だったかな、学生支援をしてくれてて、返済しなくてもよかった。

J: 歯医者があなたの経歴になるはずはなかったということですね。ご両親は、あなたがライブで演奏しているのを見た時に、何か感想を言ってくれましたか? ご両親に言葉をかけてもらえたことはありましたか? よくキャリアを積んできたねとか。

R: そこまで深い話はなかったと思うけど。たぶん長続きしないと思ってたんじゃないかな。母はよく来てくれた。父は亡くなってしまったけど、それでも母は何度も来てくれていたよ。

J: お母様が見た中で、一番素晴らしい瞬間はいつだと思いますか? 具体的なライブを覚えていますか?

R: わからないな…たぶんマディソン・スクエア・ガーデンだね、きっと。みんなコンコルドで飛んできてくれた。本当に大冒険だったよ。

J: すごい。

R: ブライアンも自分の両親をコンコルドで連れてきたんだ。すごく素晴らしい時代だったね。

J: 本当ですね。

R: その時は、ザ・ガーデンで3公演やった。最高だったと思うよ。

J: ご両親がそれを見てくれて、喜んでくれたのは本当に素敵なことです。

R: 満足できたし、本当に素晴らしかった。

J: お子さんたちは今、あなたの仕事をどう受け止めているでしょうか。もちろん年齢は離れていますが。

R: そうだね、喜んでくれているよ。彼らは年齢がバラバラで…でも、ずっと僕をサポートしてくれていると思う。でも正直言って、僕もずっと彼らをサポートしてきたからね。

J: そういうことですね。

R: そうだね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?