Classic Rock Magazine (2021, March) ロジャーのインタビュー訳

ロジャー・テイラーは、COVID-19が2020年の彼のバンドの計画を台無しにしたことに気づいたとき、誇りあるトップクラスのロックスターがやることをした。彼は船で地中海を航海するのに数週間を費やした。「この最低な1年か」と彼は過去の12ヶ月間を、不正確ではなく語っている。「だけど、僕たちは幸運な人間だ。文句は言えない。」
クリスマスの数日前のこと。テイラーはサリーの家にいる。Zoomの向こうにいてさえも、彼は明らかにロックスターのオーラを醸し出している。彼はいつも、Queenのメンバーとして自分のありのままの姿で最も快適でいるように見える。そして今、白い髭を生やして饒舌な(え!)彼は、それのどれも失っていない。「大変な仕事だったけれど、どんな状況からでも抜け出せるように、あらゆる楽しみを引き出そうとしてきた」と、彼はバンドとの50年以上の旅について語る。「僕たちが知ることのできる人生は一つしかない、だから楽しむべきだと思う。そして、僕はそれを楽しんできた。」

Q:「50 年、一体どうしてこうなったんだ?」と考えたことはありますか。
R:馬鹿げてる、だろ? フレディを失った後、ブライアンと僕は二人とも考えた。「ああ、これで終わりだ」って。それから、すべてを続けていくように、イベントが重なって起こっていった。バンドが終わった、これでおしまい、素晴らしかった、そう僕たちが思うたびに何か別のことがやって来る。意識的に努力してそうなったわけじゃない。先日誰かが、I Want To Break Freeの映像がYouTubeで5億回視聴されたと教えてくれた。そして、あれは最大のヒットのうちの一つというのでもないんだ。

Q:YouTubeでの5億回の視聴回数は、当時のゴールド・レコードを取り戻したのと同じような興奮を与えるものですか?
R:当時はね。今は同じじゃない。僕だってチャートを理解していない。シングルチャートのナンバーワンって何だ? ま、誰も本気で気にしてないよな。アルバムチャートはまだ重要なようだけど。僕たちは最近ナンバーワン・アルバム(Live Around The World)を取った。ずいぶんと久しぶりのことだった。あれにはとても興奮した。僕たちを満足させてくれたよ。

Q:あなたは1968年にロンドンのインペリアル・カレッジのジャズルームで、ブライアン・メイに会いました。 あなたは最初から世界支配を企てていたのですか、それともギグをやって女の子たちに出会うチャンスの方を考えていた?
R:まあ、どっちも良い選択肢だったね。だけど僕たちは、本当に大成功を収めたいと思っていた。それが当時の僕たちの、馬鹿げた虚栄心の大きさだったんだ。だけど、若いうちは、傲慢で大きな夢を見た方が良いだろうね。偶然では物事は起こらないんだから。

Q:あなたのインスタグラムには、1969年の大晦日にケンジントン・マーケットで経営していた店での、あなたとフレディとの素敵な写真がありますね。初めて彼に会ったのはどこだったのですか?
R:シェパーズブッシュの僕のフラットだった。彼はイーリング・カレッジのティム(スタッフェル、メイとテイラーの前クイーン時代のバンド、Smileのシンガー)の仲間だった。彼は周辺にいた、本当にただの仲間だったんだ。彼は音楽的な野望を持っていたけれど、僕らはかなりのプレイヤーだったし、彼が歌えるかどうか確信が持てなかった。でも、オリジナルの曲を書こうとする彼の意欲と決意は素晴らしかった。そしてもちろん、僕たちは店を持っていて、大親友になった。僕たちは互いに頼り合って暮らしていた。

Q:当時のロジャー・テイラーとフレディ・マーキュリーの夜遊びはどんな感じでしたか? 流行のクラブでぶらぶらしていたり?
R:いや、そんな余裕はなかった。パブに行って、それからたぶん女の子たちに会ってお酒を飲んだりね。

Q:Queenの最初のギグは6月27日、あなたの故郷トゥルーロでした。何を覚えていますか?
R:母がギグをセッティングしたんだ。赤十字のためにね。観客は、まだ完全に形成されてない、かなりひどい感じのフレディを、どうしたらいいかわかってなかったんだ。

Q:Genesisが初期の段階で、Queenからあなたを引き抜こうとしたのは本当ですか?
R:そうだな、彼らは、話を聞くためにスタジオに僕を招待してくれて、それから皆でパブに行った。彼らは「俺たちのバンドに入りたいか?」とは言わなかった。でもドラマーが抜けたところだったので、彼らがそう望んでいる印象を受けた。彼らは皆素晴らしい人たちだったけど、正直に言うと、彼らの音楽は合わなかった。僕にはちょっとプログレすぎた。
ミック・ロンソンとイアン・ハンターからも素晴らしいオファーをもらったことがある。 ハンター・ロンソン・テイラーと呼ばれるはずだった。それはそれで良かったと思うけどね。

Q:Queenの最初の2、3枚のアルバムを聴いて、どう感じますか?
R:僕たちは長い間、発展途上だった。最初のアルバムは、僕たちが持っていたたくさんのアイデアの組み合わせだったけど、僕たちが望んだようなサウンドにならなかった。2枚目のアルバムではもっと自由度が高くなって、僕たちは伸び伸びと実験を始めた。3枚目(Sheer Heart Attack, 1974)を作った頃には、ある種の到達点のようなものがあった。

Q:多くの人々がQueenのベストアルバムとしてA Night At The Operaを掲げます。あなたは同意しますか?
R:いや、違うな。あれは、僕たちの一番折衷的なものだと思う。素晴らしいアルバムだとは確かに思うけど、僕なら他にいくつか好きなものがある。

Q:幸運にもQueenには4人の偉大なソングライターがいました。他の誰かがヒットを出した時、あなたは嫉妬を感じていましたか?
R:絶対にない。フレディがWe Are The Championsを書いたのを覚えている。僕は、「あのコーラスはものすごいな」と言った。誰かが素晴らしい歌を思いついたら、それがとても誇らしかった。ナンバーワンのシングルは僕たち全員のものだった。

Q:News Of The Worldのあなたの曲「Sheer Heart Attack」は、パンクへの反応として見られることで有名でした。でも、あなたがあの曲を書き始めたのは1974年でした。
R:ほぼ完成しかけていたけど、SHAのアルバムに向けてまとめるようにはできなかった。パンクが来るのを知りもしないのに、僕たちは常にアグレッシブでパンクらしくあることを意図していた。

Q:パンクといえば、ウェセックス・スタジオにいる際に、シド・ヴィシャスに会ったフレディ・マーキュリーの話は100万回語られましたね。
R:[笑って] そして、僕はそれを100万回聞かされたけど、毎回少しずつ違うんだよな。

Q:Pistolsは実際にはどんな感じでしたか?
R:彼らとは本当にうまくやっていたよ。シドは別だけど。あいつはアホだった。ジョン・ライドンはとってもクールだった。彼は見た目はすごく攻撃的だけど、僕たちはかなりうまくやっていた。後でニューヨークで彼と交流したことを覚えているよ。

Q:あなたは100 ClubでThe DamnedやThe Clashのようなバンドを見ていましたか?
R:いくつかパンクのショーに行った。はロイヤル・カレッジ・オブ・アートでThe Damnedを見たけれど、彼らはかなりクールだったね。Captain Sensibleも素晴らしいと思った―でかい、背の高い男がピンクのチュチュに身を包んでいて。だけど唾吐きには耐えられなかった。見てられないよ。

Q:あなたは本当にロックスターであることを楽しんでいるようでした。4人の中であなたが一番、Annabelle'sのようなお洒落なクラブから出てくる可能性が最も高い人でした。
R:[笑って] Annabelle'sは好きじゃなかったよ。あそこは、若い女の子たちにお触りしようとする年寄りの政治家でいっぱいだった。僕はロックスターであることを恥じたことはない。「これが俺たちだ、これが俺だ」って。

Q:あなたはQueenの中でソロアルバムをリリースした最初のメンバーでした。 もしそれがうまくいっていたら、あなたはバンドを去っていたでしょうか。「よし皆、俺は出ていくぞ」と?
R:いやいやいや。絶対にない。僕たちはバンドをマザーシップ(The Mothership)と呼んでいた。何をしたとしても、僕たちはいつもそこへと戻っていった。それが僕たちグループだった。ソロアーティストになりたいなんて思ったことはない。僕はただバンドをやりたかっただけだ。

Q:80年代前半は、Queenにとってはジェットコースターの時でした。 The GameとGreatest Hitsが大ヒットしましたが、その後Hot Spaceをリリースしてアメリカはほぼあなた方に背を向けるようになり、そしてライブエイドが最終的にあなた方をトップへと戻しました。
R:奇妙な時期だったよ。Hot Spaceはあまり好きなアルバムではないんだ。僕たちにはドラムマシーンとこの馬鹿げたサンプラーがあって―世界で最も高価なコーヒーテーブルってやつだ。僕たちの以前の曲を好きだった人たちが、Hot Spaceを特に好きになれないというのは理解できる。いくつか良い曲もあったけどね。何だったかは思い出せないけど。

Q:Put Out The Fireとか。
R:それはいいね。

Q:それからUnder Pressureが。
R:僕たちは、バンドとして一緒に座って曲を書く、ということはめったにやらなかった。だけどUnder Pressureは数少ない例外のひとつだね。僕たちは遊びでCreamのカバーをやっていたんだけど、デビッド(ボウイ)がピアノの前に座ってポロンポロンとやり始めた。それで僕たちは「自分たちの曲を作ろうよ」となった。曲の大部分はモントルーでの慌ただしい一夜のうちに作られた。だけど実際のところ、デビッドと僕がニューヨークの The Power Stationで残りの大部分を終わらせた。フレッドはものすごく遅れてやってきた。ブライアンは現れなかった。ジョンもね。

Q:あなたはボウイと上手くやれたのか、それともたまたま同じ仕事をしていただけなのか、どちらでしょう。
R:すぐに意気投合したよ。彼は最高に魅力的な男だった。陽気で面白くて、危険なほどウィットに富んでいて、そして素晴らしい仲間だった。

Q:Queenで一番仲が良かったのは誰ですか?
R:たぶんフレディだろうね。でも僕たち全員かなり仲が良かった。そうでなければならなかった。

Q:あなたはQueenのどのギグでも最高の席に座っていましたね。バンドが全速力で飛んでいた時はどんな感じでしたか?
R:素晴らしかったよ。僕たちがのっていた調子が良い時、僕たちは本当のマシンだった。そしてフレディの調子が良い時は最高だった。だけど僕が言いたいのは、ブライアンと僕は今もまだ、技術的にこれまでと同じようにやれているということ。炎や凶暴さはなくしているかもしれない。でも、僕らはまだすごく騒々しい音を立てられるんだ。

Q:1986年のネブワースが、Queenの最後のギグになると思っていましたか?
R:あのツアーは本当に勝利だった。各スタジアムで売り切れ、ウェンブリーで2回、そしてネブワースには大群衆。だけど僕たちは、フレディが身体的に正しい方向に進んでいないことを、ある程度はわかっていた。

Q:フレディが診断結果を伝えた後、あなた方はどうやって対処しましたか?
R:何とかやっていた。フレディがしばらくの間病気をしていることはわかっていた。彼は体調が悪かった。

Q:ですが、あなたが彼と一緒に過ごした最後の数年間には、本当の喜びの瞬間があったようですが。
R:The MiracleとInnuendoの間は、フレッドは、今までの彼とは違っていた。彼はただ仕事を続けたがっていたんだ。それで、僕たちは本当に一体になった。彼の周りに集まって、彼を守った。彼の死は、最初はあまり実感がなかった。ブライアンと僕は、乗り越えるのに5年かかった。僕たちは道に迷っていた。僕にとって90年代は、ほとんど失われた10年だった。

Q:ウェンブリー・スタジアムでのフレディ・マーキュリー・トリビュート・コンサートには、大きな愛があふれていました。
R:サン紙とかそういったいくつかの派手なクズ新聞のごくごく平凡なレビューを読んだのを覚えている。わからないけど、僕はその旋風の中にいたわけだ―何かの夢の中にいるように感じた。エルトンとアクセルを一緒に歌わせようと決めたのは覚えている。アクセルがリハーサルに現れなかったから。あれは素晴らしかった。デビッドが姿を現した。ロバート・プラントは素晴らしかった。ジョージ・マイケルは最高だった。

Q:ジョージ・マイケルがQueenの新しいシンガーとして、フレディに代わるという噂もありました。何か真実がありますか?
R:いや、実際ないよ。その噂を聞いたことは覚えている。だけど僕たちには合わなかっただろう。ジョージはライブバンドと一緒にやるのにあまり慣れていなかった。リハーサルで彼が自分の後ろからの出力を聞いたとき、信じられないって感じだった。彼は、自分がコンコルドか何かに乗っていると思っていたよ。

Q:今でも時々フレディと話していますか?
R:彼が今、僕のスタジオにいるとは思わない。だけど、ブライアンと僕の2人で部屋にいるときは、もし彼が部屋の隅にいたらフレッドが何て言ったかわかる気がするんだ。

Q:もしフレディが生きていたら、Queenはまだ存在しているでしょうか?
R:はっきりした答えは言えないけど、何らかの形でまだ一緒にいるだろうと思うよ。フレディは同じようなやり方ではやりたがらなかったと思う。ライブをやっているとは思わない。僕たちはきっと、まだ音楽を作っていただろうと思う。それが僕たちがやっていたことだから。それに、フレディは音楽で頭がいっぱいだった。

Q:「We Will Rock You」の公演が終了した後、ロンドンのドミニオン・シアターの外に立っていたフレディの像を入手したというのは本当ですか?
R:もちろん。ここから見えるよ。倉庫にあってお金がかかっていた。だから、トラックに積んでここに持ってきたらいいんじゃないか、そうしたら庭に置けるって言ったんだ。

Q:あなたがそうしたらブライアンが喜んでいなかった、というのも本当ですか?
R:[笑って]自分が考えもしなかったことに、腹を立ててたんだと思うよ。

Q:あなたとブライアンが、Queenでの多くの言い争いの原因だったというのはそうなんでしょうか。
R:間違いなく真実だね。

Q:何が2人の間できっかけになるのですか?
R:キーの変更、アレンジ、「何でそんな風にやるんだ? ボーカルが聞こえないだろ」って。フレディは偉大な調停者だったよ。

Q:ですが、50年以上たった今、ここにいます。あなたがた2人はQueenで、これまで以上に親密に見えます。
R:僕たちには長いこと浮き沈みのある関係があった。だけど僕たちは、別の母親から生まれた兄弟なんだ。

Q:今年は、ブライアンの健康問題が心配だったでしょう。
R:そうだな。彼は次々とひどい目にあった。だけど、今は回復していると思う。彼は、アリを救うこととか今週何かやってるようなことを別にしたら、人生のすべてを健康で体調を整えることに捧げているからね。うまくいくことを願っているよ。

Q:アダム・ランバートとのツアーは大成功を収めています。しかし、Queenの新しい素材を聴きたがっている人がたくさんいます。
R:完成はしていないけど、1曲レコーディングをしたよ。素晴らしいんだ…なんて呼ばれていたか思い出せないけど。僕たちはまだそれを何と呼ぶべきかを話し合っていたと思う。

Q:新しいQueenアルバムをレコーディングしたいですか?
R:いくつかやるのは素晴らしいだろうね。否定はしないよ。アダムが言っていたよ。「僕に何か歌わせたかったらいつでも…」って。他の2人が「何かやろう」って決めたら、僕はそこにいるよ。


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