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違和感詰め合わせ

日頃頻繁に聞く言葉のなかで、違和感あるなぁと思う言葉の詰め合わせと分析です。
僕は「ボツ作ですが」って言って作品だすの、めっちゃ嫌なんすよ。やるのも見るのも。謙遜とは完全に違うと思ってます。
誰かが褒めてくれて、「いや、自分まだまだっす」っていうなら謙遜やと思うんすけど。それ順番逆になっただけで、意味変わりますよね。

あれこういう感じやろなって思ってます。

Q.ボツちゃうんすか?
A.ちゃうんすよ
Q.なんでやねん。
A.ボツ作やと思ってないんすよ。
Q.なんで!?
A.がんばったし褒められたいもん
Q.じゃあなんで「ボツ作ですが」って書くん?
A.本気、見せてないつもりなんで

具体的には以下っす。


「ボツ作ですが」

なんでなんでなんで。
なんでボツにしたやつガンガン公開するん?
え、だって、あなたの基準でボツなんすよね。駄目だなーこれって思ったわけですよね。じゃあ、見られたくなくないっすか?
ちゃうんすか?

Q.ちゃうんすか?
A.ちゃうんすよ

頑張って真っ白なドレス作ろうとしたわけっすよ。でもランチにオムライス食べて、大喜びでケチャップで「ばっくとぅーざふゅーちゃー!!」ってお絵かきしたがために、勢い余ってドレスにケチャップがかかったわけですよ。取れないんすよ!アタック抗菌EX Wパワーの力をもってしても!
泣き寝入りです。
自分の思う作品の完成形は純白なのに、もう完全に血糊がついてるんです。これ、ボツですよね。作り直しですよね。
こんなん店頭に並べたら、作品全体のクオリティを疑われますよね。じゃあ、見せたくないっすよね。

でも「ボツ作ですが」って出すんすよ。
なんでやねん。

Q.なんでやねん。
A.ボツ作やと思ってないんすよ。

結論ね、ボツ作やと思ってないんすよ。ちょっと赤入ってるくらいがよくて、いや、むしろ、偶然が私を天才たらしめる可能性ある。

これは、味!!ウチ、これは味やと思う!!

っていうもう、一番最悪なポジティヴシンキングが発動するわけですよ。
味はあかん。味だけはあかん。一回逆に言うてみてください。自分の作品を人に見せてる体で、正直ちょっとミスったかもってところでわざと、「いやこれが、味なんです」って。いやこれが、のあと一拍置いて、味なんです。

言うてて自分で笑わんかった人、絶対おらん。
でもそれ結構な人がやるんすよ!!なんで!?

Q.なんで!?
A.がんばったし褒められたいもん

やっぱそれなりに頑張ったし褒めてほしいんすよね。めっちゃわかります。僕もそうです。作品作ったら毎回、
「やばい」「ピアノくそうめえ」「ヒップホップの常識覆った」「体揺らしすぎて2キロ痩せた」「アツい」「ヤバすぎて乳歯全部抜けた」「メガネ割れました」って褒められたいです。
だから、ミスったとしても、作ったもんは見てほしいって気持ちはわかるんすよ。できた時って舞い上がってるし、作品は我が子のように愛おしいっすからね。自分の作品見てる時間最高でしょ。
だから何があっても最高に見えるんすよね。
えー、ちなみにその気持のことを、ナルシズムって言います。
自分の分身たる自分の作品を、心のなかで褒めちぎってるって状態なんで。

でもね、本気で味ある。ケチャップマジあり。天才。って思ってるんやったら、あれ?ボツじゃなくない?
ね、矛盾するんすよ。なんで「ボツ作ですが」って一言書くん?

Q.じゃあなんで「ボツ作ですが」って書くん?
A.本気、見せてないつもりなんで

結局ね。作ったもんは可愛い。でもケチャップついちゃった・・・。でも可愛い。だからケチャップも素敵なアクセサリーに見えちゃう。
その気持ちを自分で断ずる根性がなくて、ケチャップかけちゃったっていう正直な気持ちを、ナルシズム、自分への愛情が上塗りしちゃうんすよね。
そして他人にも褒めてほしい。でも根底には失敗したっていう気持ちがのこってて、そこで保険をかけるわけですよ。

ボツ作ですが

【意訳】
褒めてくれるひとは褒めてください。
気づいた人は、これが私の実力って思わないでください。

そんな都合のいい一言を。
えっと、甘いっす。クソ甘いっす。

ボツ作ですがって一言を置くことで、誰かに粗を見つけられても、
「いえこれを私はボツとしているのです。ですから、私は私の至らなさに気づいており、その上での公表である」っていう爆発的に壮大な言い訳がなんともお手軽にくっつけられるわけですよ。
そしてお友達はこう言ってくれるわけです。
「これがボツだなんて!じゃあ本気のクオリティの作品はもっとすごいのね!あなたはとんでもない才能を秘めてるってわけね!!」
どっかで聞いたことある安易なオチですよね。
くっそダサいっすよね。

ちゃうんすよ。本気を隠すのがかっこいいパターンは、
「これがお前の本気か!」って言わせて「ふっふっふ、これは余のメラじゃ」ってやるのがかっこいいんすよ。
「ボツ作なんで」は、メラゾーマ!って叫んでメラミでてるだけっす。
「メラミじゃね?」「いや、やろうとおもったらいけるけどぉ・・・」っていうやりとりっす。

どの作品を公表するかも含めて、自分への審美眼と、ナルシズムをねじ伏せられるかどうかも含めて、実力やと思うんすよね。

だから、何かを習得しようとするとき、他人にものを教わるメリットもそこにあると思うんすよね。
先生とか先輩に教わったら「お前これダッサ」って言うてもらえるんで。

いや、バチクソむずいっすよ。ホンマに。
自分一人で全部は無理ですよ。可愛いもん。自分の作品。
僕は人に頼ってでもナルシズムは見つけて殺します。
クルーを組んでいることの最大のメリットとも、言えるでしょうね。
ナルシズムは殺したほうがええっす。

保険かけて自己顕示欲満たすくらいなら、出さんか、自信持って出して、しっかり真っ当に評価されるか。
世の中はある程度ずるく渡ったほうがええと思うすけど、自分の実力に関与するものごとは、正々堂々が最高やと思うっすね。
ま、そんな感じっす。

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