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天使と悪魔と復活祭

楽園追放

アダムとイブはエデンの園から追い出された。
それは、「お前も神のような知恵を得られるぞ」と、ルシファー扮する蛇の言葉に知性が刺激されたからだ。

神が「この樹の実を食べてはならぬ」と命じた知恵の実を食べることは、絶対的な命令に背いたことになる。

神の怒りを買い、楽園からアダムとイブは追放される。

そして地に落ちることで、楽園には無かった苦しみ、悲しみ、病気や死までも引き受けることになった。

これだけ読めば悲劇的な物語だが、それによって、人間には独自の知性と自我と自由が与えられた。神のように真理を知り、自由に選択できる装備を与えられた。

そのわりに、今の人類、そうなってないよね・・・というのはひとえに装備を使いこなせていないからに他ならない。

天使になりたいか?

ところで、天使というのは、思ったことがすぐに形に表出してしまうのだそうだ。そもそも、天使など五感で感知できないものなので、形に表出するというよりは、そういうエネルギー形態をとるといった方がいいのかもしれない。

なんでも、すぐに顔に出る人、みたいな感じなのかもしれない。

天使は、天の使いであるから、神から下ってきたエネルギーを、そのままゆがめることなく伝達し、働くのが仕事だ。天使にも界層があるわけなので、中間管理職的な天使であれば、上からの伝達を受け取り、そのままゆがめずに下に伝えていく。しかし、下っていくときに周波数を下げるとか、そういうことはあるだろう。

あるとき、そんなのつまらん! 自由になりたい!と反旗を翻したのがルシファーなのだ。そしてルシファーは堕天使と呼ばれることになる。

それはアダムとイブが楽園を追放される、ずっとずっと昔の話。

それ以来、正統派天使軍団と、堕天使軍団でのせめぎあいがはじまる。

スターウォーズを思い出す(笑)


キリストの復活


ご存じのようにイエス・キリストは十字架にかかり、3日後に復活する。それを祝うのが復活祭、イースターだ。

日本でキリスト教と言えば、一般人的にはクリスマスが一番印象的ではないかと思います。

そして復活よりも、磔になったキリストのほうが印象に残っている人が多かったりするのかなと思います。

イエス・キリストとは、キリストという高次元の神意識が、イエスという人間に降臨した存在で、かなりの高次元の神が、地球上の人間ごときに宿るというのは、宇宙的に見ても大騒ぎな出来事と捉えるべきことらしい。

この太陽神でもあるキリストが地上に降り、そして十字架にかかり地上に血を流すということは、太陽と地球、つまり、神と人間をひとつになったこと、人間の中に神が宿ったことの象徴である。

それまでは、一般庶民は、神殿やら祭司やら宗教的装置を通してしか神に触れることはできないとされていたところ、「おまえはもう死んでいる」ではなく、「お前はもう神である」状態になったということを表す。

つまり、宗教を理由にそこで金と権力を握り一般民衆のマインドを操ろとする輩は不要となったということなのである。それこそ「お前はもう死んでいる」なのだ。

人間の装備がバージョンアップされたのが、キリストの磔刑での出来事だ。これは宗教や宗派は関係のない、宇宙で起きたエポックメイキングな出来事らしい。自分たちはこの時代にたかだか100年弱しか生きないので、そんなこと言われても知らんわ、となるが、かなり凄いことが起きたということだ。

で、復活の話。

肉体を離れたキリストは、復活までの間、地獄に降り、人々を助けたという。これもあまり印象にない話だけれど、私的は「ここ大事なところ」と思った出来事だ。2年前に書いたやつです。

この記事に採用した絵なのですが、ウィキペディアによれば、

フレスコ画イコン復活』。現在はカーリエ博物館となっている、ホーラ(コーラ)修道院の聖堂内、湾曲した天井に描かれている。主ハリストス(キリスト)がアダムエヴァの手を取り、地獄から引き上げる情景を描いたもの。このハリストスの地獄降りのイコンが、正教会においては復活大祭のイコンとして定着している

ウィキペディア

とあります。

アダムとエヴァ。

冒頭に書いた失楽園の主人公たち。
つまり、神を裏切った人々。
つまり、人間の源を象徴する人々を救い出したということだ。

神を裏切った(ようにみえるが)、それ以前に神に反旗を翻していたルシファーの力により地に落とされたアダムとイブを救い出したということだ。

(おそらく)アダムとイブを追放した張本人である同じ神が、イエスという人間存在の器を借りて、自ら地獄に降り2人を救い出す、つまり許しを与えたということになる。

もっと言えば、人間存在を創造するというところからして、神の目論見だったのでしょう。許すも許されるもなく、そもそも、許されていたということであり、神が降下できるほどの人間として、イエスを生み出した人類および地球への、最大の賞賛を神が表現したということもできるかと。


で、今の人類はどうよ

ルドルフ・シュタイナーは、磔刑と復活を通して現れたイエスキリストが、新しい人類の代表者であるとして、下記のような彫刻をつくった。


『人類の代表者』

ルシファーとアーリマンの間に立つ人間を表している。ルシファーとは精神的悪、アーリマンとは物質的悪。ルシファーは夢見る意識にいざない、自我の目覚めを阻害する、アーリマンは人間をどんどん物質主義にいざない硬化されていく。

その間に、自我を持ち、内なる太陽を持つ人間として、目覚めた意識で地上に立つのが、キリスト存在が内在する人間の在り方であるということを表現している。

外の世界を見れば、ますます悪魔が活動を激化させているように見えるが、数百年、数千年、数万年まえと比べたら、人類は神が予想していた以上に急激に進化しているらしいのだ。

しかし、この世界の状況は何なのだろう?と思いますよね。あちらこちらで戦争が起きているし、経済格差は広がるわ、差別もなくならないわ・・・と。

だいたい、ものごとが極まってくると、二極化する現象が起きたりする。絶対的にありえないほど酷く、邪悪な現象が起き、悪が目に見えて結晶化し始める。

地上に平和をもたらすためには、フォースにバランスをもたらす必要があるということだ。悪を根絶するとなったら、それはそれで闘いのエネルギーとなり分けなので。

フォースのバランスがもたらされた世界は一体どのようになるだろうか。それをひとりひとりが自分のイマジネーションを働かせ、地球にとってあるべき未来の姿を描いてみるのがよいかと。

ひとり一人が自分の内なる悪を自覚化し、内なるキリスト意識を働かせることが、本当の意味での復活ではないかと思う。


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