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へっぽこお遍路日記49「お店なのに家庭。感覚として浮かぶイメージをそのまま受け入れる。」

1月10日 71番〜77番札所 32km

朝のね、ご主人がつくってくださった鍋焼きうどん。なんだろう、お店でご主人がつくってくださったのに、それはおうちの味がした。お遍路をはじめてから、そういう感覚として浮かんでくるイメージが多くなったような気がしていて、けれどそうして考え無しに浮かんできたものを、そのまま考えずに受け取ることは遍路をはじめてからできるようになったかもしれない。そのまま。であること。

7時を過ぎて、いつもなら起きたてで冷えているカラダをあっためるために歩きはじめるのに。この日は歩きはじめたら、自分のカラダがすごくあったかいことに外の寒さで気がついた。

はじめの寺。門のあとにながーい階段があって煩悩の数108段あります。と書いてあった。階段のうえでお参りを終えたのだろうか、子どもの声が聞こえて、それからまた数えなおしたんだけれど、階段の最後は109だった。下りに数えなおしたらいいかと思ったまま、お参りを終えるともう気持ちは次へと向かっていて、すっかり数えることすら忘れたまま階段をおりきっていた。

ちょうど山のグッと上にむかって切り立つ斜面に階段のように、納経所、本堂、大師堂が別の高さに立っていて、上のほうではトリが朝のさえずりを響かせる。朝とくべつトリが鳴くのは1日をはじめるための準備運動だろうか、それとも仲間たちとの再会で何かを報告しあっているのだろうか。


山道をとおって、高速道路の下をくぐると町の風景が広がった。
今日はたくさんの寺が集まっているところ。ひとつ寺をおとずれ、歩き遍路のための道しるべを見つけるとそこには「◯◯寺 2km」なんて表示があって、ひと息つこうかと思う前には次の寺に着いている。


僕の楽しみにしていた善通寺に到着したのは駐車場にある前に一度訪れたうどん屋さんで少し遅めのお昼を食べたあとだった。

お寺も「はつもうで(初詣)」と言うのだろうか。
駐車場には車を停める列ができていた。警備員さんもいる。

空海さんが生まれたとされるこの善通寺市にある「善通寺」は88箇所のなかでも1番大きなお寺で、本堂と大師堂もふたつの敷地に分かれているし、途中には神社のようなものもある。本堂のなかには大きな薬師如来がおられるし、でっかい五重塔もある。

敷地のなかに歩いていくと、大勢の人で賑わっていた。お寺で賑わうと言う表現は似合わないけれども、文字どおり賑わっていた。

それは信仰からの行いというよりかは、家族行事という感じでいて、それこそ笑顔も大きな声も境内に溢れているのだ。それは決してマイナスとして使っているわけではないのだけれど、自分の遍路の姿がなんだかそのなかでは浮いてしまっているようで、現に「あ、おへんろさんだ」と顔に書いている人がたくさんいるのでなんだか僕はソワソワとしてしまった。

このお寺は2年前の子どもたちとの自転車旅の前に御守りを買いにやってきた。
その日の朝に、徳島の先輩に「今日ぼく誕生日でした!忘れてました!」と話したときに「ほんまか!今日は空海さんの誕生日ぞ!」とびっくりされてしまって、僕もびっくりしてそんなご縁があるのならはるばる香川まで御守りを買いに行こうとやってきたところだった。

あのころの僕はまさか、いまこうして僕が遍路を歩いていることなんて予想だにしなかったであろう。けれど、こうして自分がきっかけとすら思っていないピースがいつのまにか、新たな一歩へと進むためのひとつのピースとなり、こうして人生においてカタチになっている。そのことは自分を励ましてくれるようでもあるし、自分の人生でありながらも、単純におもしろいもんだなぁとちょっと他人事みたいに思ってしまったりもする。


善通寺のあと調べてみると、あとふたつなんとか歩ききれそう。そして、77番まで歩けば丸亀までたどり着けそう。なかじまさんに連絡をとった。遍路をはじめてしばらくしてから5年ぶりですね、と連絡をくださった僕の講演を聞いてくれたことのある人で、いまは丸亀でゲストハウスをされているそうだ。

最後の寺に、閉まってしまう15分前になんとかたどり着き、そして少しあわてながらお参りをさせていただく。すでにお寺の住職さんだろうか、僕が参ったあとにはすぐに本堂を閉められて、そして大師堂の蝋燭台の掃除をされている。それがおわるのをしばらく待って、それから蝋燭台に火を灯そうと前に出た。

あのときのあのお坊さんの表情というか目がなんだかしばらく時間が経ったいまでも残っているな。そこには僕を個で見るような意識ではなく、その他大勢のうちのひとりとして見られているような、そんな感覚が残った。それを悪く言うとかそんなことでは全くなくて、なんだかこの信仰のなかにある、現代というものを垣間見させてもらったような気がなんとなくしたのだ。


丸亀でお世話になることになっているので、最後の寺をまいりおえて、コンビニでちょっとひと息させていただいてから夜道を歩いて向かった。あと5分ぐらいで到着できそうです、とメッセージを打っていたら、なかじまさんは宿のある商店街の交差点のところで待っていてくださった。こういう心遣いはほんとうに心に染みる。

僕のために地元のおいしいものをと、地元の居酒屋さんに連れて行ってくださって、そこの大将としばらく話をさせてもらった。旅の話から、なんとなく情勢みたいな話になって、この大将すごくフラットに世の中を見ていらっしゃるなと話していたら僕の韓国のフリーコーヒーの話になったときに、「どうりで!見たことあるなと思ったんだ!」と大将。

なんと僕の韓国フリーコーヒーのYOUTUBEを見てくださっていた。

僕という個人に認識がくっついていなくても、こうして自分がやってきたことが少しでも誰かのなかに存在していて、いまも残っていることを知ることができることは、なんとなくだけれどご褒美みたいなものだと思う。それは期待するものではないご褒美。魚屋さんや八百屋さんやパン屋さんで思いがけずいただけたオマケみたいなもの。

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