【僕との旅は一生に1回だけ】
僕がともに旅した子どもたちに伝える言葉です。昨日は「学校も先生も目指していない」ということを書きましたが、今日も僕が子どもたちとの旅にこめている思いを少し書いてみようと思います。
旅での出会いは一期一会です。もちろんお世話になった方のいる街をまた訪ねたり、出会った旅人と再会したりするようなことはあるけれども、多くの場合は、ともに過ごした時間、重ねた思いが、お互いの心に残ります。それは、はかないけれど、とても美しいものだなと僕は思っています。
出会った人の相手の名前を知っていたり、いつでも連絡がとれる状態は、実感の持てる旅の財産であるけれども。それだけじゃないなぁと思うのです。名前も聞けなかったけれど、フト見かけただけだけれど、ずっとその出会いや見かけた場面が心に残っている。そんなこと誰にでもあると思うんですよね。
さて僕の話に戻ります。
僕は子どもたちとの旅を一冊の本のように捉えています。
もしかしたら続編が出るかもしれないけれど、それを心待ちをしている人がたくさんいるのかもしれないけれど。作者としては、伝えたいことのすべてがその一冊に詰まっている。僕が企画する子どもたちとの旅は、そんなのがいいなぁと思っています。
これはいわゆる良し悪しの話じゃなくて、どうすれば子どもたちに自分の思ういちばんよいカタチでバトンを渡せるか、ということに近いような気がしています。
とってもとっても申し訳ないけれど、いわゆるレポートだけ読んでいただいても本当に理解してくださることはないだろうとも思います。それは言葉にすらできなくて、旅が終わってもカタチとしてとらえることができないこと、時間がかかってから浮かび上がってくるもの、もあるのです。僕なんて、いまだに前回の夏の旅が自分の意識にしっかりとあって、けれど全部が片付けられている感じでもないのです。ずーっと余韻が残っています。
春の旅はだいたい2週間ぐらいで作ろうと考えています。毎回どんなメンバーが集まるだろうかとドキドキしていますし。もし集まらなかったらどうしようというハラハラもあります。けれどもその2週間を一冊の本のように考えているのです。
書けば簡単です。
旅のメンバーがあつまり
走りはじめ
最初の食事やテント泊がある
おっかなびっくりな走りから
だんだん走ることに余裕が出て
景色が楽しめるようになってくる
それぞれ自分が出てきて
仲良くなったりぶつかったりする
旅のゴールをイメージするようになる
どんなゴールをむかえようか
家族との再会ってどんなだろう
カウントダウンがはじまって
ゴールがおとずれる
毎回だいたいこんな感じです。大きな枠組みとしたら。
けれどもそこにはその旅にしかない、メンバーそれぞれの色が、交ざり合ってその旅にしかない色が生まれます。僕すら想定しなかった物語が加わることもあるし、途中であきらめてしまうようなピンチも訪れたりします。そんなときは僕自身もめちゃんこハラハラしています。
まとめます。
僕はね、一度きりの子どもたちとの旅と思って彼らとの旅の日々を過ごします。
あとは無いんです。これっきりです。人生でもうありません。
いや、ほんとはあるんですよ。再会することいっぱいあります。
けれども旅の仲間としての旅は一度きり。
そう思うとね、僕は自分のすべてをかけて旅をできるんです。毎回。
僕は自分がこれまで生きてきて、旅をしてきたすべてを子どもたちに託すつもりで、子どもたちとの限られた旅の日々を過ごします。
ごめんなさいね。めっちゃ厳しいときあります。突き放すときもあります。けれどね、絶対に子どもたちから目を離すことはありません。彼らのすべてを見守っています。どんなに叱っても、突き放しても、そばにいます。
人生で彼らと過ごせる時間はその一瞬だけだから。
だからこそ僕は自分のすべてを彼らに見せようと思います。
自分が生きるうえで、旅をするうえで大切にしてきた思いや考えを。
だからね、そういう意味では、子どもたちのためだけにやっているのではないのです。
彼らが学ためでもないのです。彼らに教育するためでもないのです。
僕が思う生きること、旅すること、という世界を彼らのまえで表現する。
そして、ともに旅をするのです。それはともに生きることと近いかもしれません。
僕の旅はいっかいきりで卒業です。
そのあとはもう「彼らが自分で歩む」のです。
そりゃ相談にのりますよ。ピンチのときには駆けつけます。
けれど、彼らは自分で歩んでいくのです。
それぞれの次の旅に、人生に。
そんなのが僕のやってる自転車旅です。
旅のモードにするために四国にやってきました。
旅人をしながら旅をつくるのです。あと数日くださいね。
いい旅をみなさんに見てもらえるようにしておきますから。
自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!