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へっぽこお遍路日記52「込められた想いというのは、いつだってあとになってカタチを結ぶ」

1月13日 84番〜86番札所 23.6km

この遍路旅をそのままあらわすような1日だった。
ってこういう書き方よくあるけれど、自分で思いついておきながらやっぱり読んでもピンとこやへんなぁというのが正直なところだろう。

ご縁というか、巡り合わせというか、はたまた誰かの努力というか。
とにかく人に手を差し伸べていただいた1日となった。

ソウタには先に出発するよと告げていたので、彼のカプセルのカーテンが閉まっているのを見て、声はかけずに出発した。ちょうどコーヒー飲みたいなぁと思っていたところにファミマが出てきて、そしたらお兄さんに声をかけられた。

「お遍路さん!僕も歩いたんだよ!なんでも欲しいものあれば!」

「ありがとうございます!そしたらコーヒーを!」

歳を聞いたらひとつ歳上だったお兄さん、10年ほど前に歩いたと言っておられたのでまだ20代で遍路を歩かれたそうだ。夏場、40日。またこの冬を歩く僕とは違った大変さがあったろうな。遍路はとにかくその人のもので、その人が感じているもので、比べられることなんてひとつだって無いのだということが自分で歩いてみたらよく分かる。あとにも先にも鉄瓶こコーヒーのフルセットを持ち歩く遍路はいないだろうし。


朝に登った山は気持ちがよかったなぁ。屋島という高松市街地から少し離れたところにそれこそオーストラリアのウルル(エアーズロック)のような形の山があって、そこの上に寺があるのだけれど、ちょうど裾野が住宅地になっていて、週末でもないのに朝からたくさんの散歩の人とすれ違った。

ご夫婦だったり、おっちゃん軍団だったり、それから静かにひとりの方もいる。それぞれの過ごし方、それぞれの向き合いかた。それはたとえ遍路でなくたって同じなんだろう。


この山を降り切ったところで車が横に停まった。お兄さんが僕に向かってコンビニ袋を差し出している。

「あのぉ珈琲の人ですよね。知人があなたのことインスタであげていたので。これ差し入れです!」

誰かと思っていたら、スマホの画面を見せてくださって、そしたら静岡でカレー屋をやっていて、スパイスを持ちながらお遍路をまわっていたジャイアンだった。ありがとうやでジャイアン。また会いに行くね。


次の寺に向かって登りはじめるときに、ロープウェイがあるのだけれど、その乗り口のところにあったお土産物屋さんのおばちゃんに声をかけられた。

「お兄ちゃん!お疲れさま!これお弁当!つい1時間ほどまえにね若いお兄ちゃんも登っていったよ。彼には亀鶴公園で野宿すればいいって教えておいたからそこに行ったら会えると思うよ。」

きっとソウタのことだろう。あいつとんでもなく歩くから、きっとさっきのマルナカで僕がお昼を買って食べていたあいだに追い抜かされたのだろう。それにしてもズッシリとしたお弁当だ。そのままバックパックに入れさせてもらって山を登りはじめた。


どうやら僕はソウタには追いつけなさそうだ。ひとつ手前の寺もギリギリ間に合うぐらいか。お店もあまりなさそうなので、午後のうどん屋さんに入ったら「お兄ちゃん天ぷら好きなのとって食べたらいいよ。」とオマケしてくれたおばさん。やさしく思い出話を続けてくださった。


85番の寺に到着したのは閉まる20分前。

少し急ぎながら本堂へ向かうと2組の老夫婦がお参りをされているところで、ちょうど声をかけられた。急ぐ気持ちをぐっと抑えて、かけられた言葉にお返ししていく。最後はみんなして横に並んでお話を聞いてくださった。

ちょっと待ってね、と手渡された封筒。なかにはお金が入っていた。お話しながらおばさまふたりがゴソゴソされていたのはそれだったのか。大切に使わせていただきますと頭を下げた。

ちょうどお経を唱えはじめたときに、背中の方で
「いいときに来たね。大吉に当たったみたいだな。」
とさっきのおじさんとおばさんの声が聞こえた。


5時ちょっとまえに納経所に滑りこむ。
御朱印を書いてくださったおばさんに「ここらで通夜させていただけるところはないでしょうか?」とたずねた。

「この寺ではできないことになっているんです。」

「そうですか。どうしようかなぁ。」

「ここからは独り言です。北の駐車場にはトイレがあるし、トイレはお寺の敷地じゃないので。そこで野宿される方もいらっしゃいますよ。」

「ありがとうございます。」

「いえ、独り言です。」


暗くなった駐車場。トイレの背中側に少しひさしが出ている。そこで野宿させていただくことにした。

昼におばさんにいただいたお弁当。ずっしりした包みを開くと、箱いっぱいに詰まったあんこ入りの草餅だった。少しかたくなりはじめていたからつきたてのお餅だったのだろう。

あとでソウタに再会したときに聞いたら、彼も一緒の草餅をいただいたそうだ。

まるで自分がしたことを相手に意識させないほど軽やかなおばさまの立ち居振る舞い。あまりにあっけらかんとしていて、そのときには軽い気持ちの感謝しかできないのだけれど、こうして包みを開いたときに軽い気持ちではできないお接待だと気づく。


あとから気づくことばかりだ。
そしてこの遍路旅がそうであったように。
この日は何人ものかたに手を差し伸べていただいた。

ありがとうございます。

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