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へっぽこお遍路日記30「いつか僕がこの遍路を振り返るとき、こんな小さな物語が大きななにかを語るのかもしれない。」

向こうからやってくる車のドライバーの人が

「あ、お遍路さん」

「がんばっとるねー」

みたいな表情で通り過ぎていくことはよくあるんだけれど。

満面の笑みでジーッとこっちを見ながらそのドライバーさんが通り過ぎていったら、さすがに僕も、えー誰やったかいな。もしかしたらお友だちやろうか?それともお遍路さんがめちゃんこ好きな兄ちゃんやったんやろうかと思ってしまう。

それくらい濃ゆい笑顔やったなぁと思っていたその記憶が残像として薄れてくるくらいのときに、今度はさっきの白い軽トラの横っ面が、いきなり自分の真横に飛び込んできた。

いや正しくは。その車が僕の歩くスピードで横にならんだから、
あ、さっきのトラックに積んであったホウキや!あのトラックや!
というふうに分かったのだ。

そしてその運転席には。

うん、間違いない。

さっきの濃ゆい満面の笑みの兄ちゃんが、さっきと寸分の狂いさえない濃ゆい笑顔でそこに乗ってはるんやから、もう逃げる道はない。


「Facebookで見たよ!珈琲飲ましてもらえるかな?」

え?もしかしてまなぶさんのお友だちですか?

「そうそう!ほなこの先で待っとるから!」

濃ゆいままで、言葉は少なくまとめて去っていったお兄さん。


とりあえず状況を判断すると。

昨日お世話になったまなぶさんが、僕のことをFacebookで書いた。

濃ゆいお兄さんがそれを見た

濃ゆいお兄さんが僕を見つけた

Facebookで見たと声をかけてくれた

僕はまなぶさんが僕のことを書いたことを知っていたので、まなぶさんのお友だちですか?と聞いた

ほな先で待ってるからと去っていった濃ゆいお兄さん

先ってどこかいな?

実はだいぶ歩いたので休憩したかったのだ。それも今すぐに。足が痛み出していた。

しかし濃ゆいお兄さんは先で待っていると言い残して去っていった。

こんなときによくあるのが、車にとってはその先であることが、歩きにとってはとてつもなく遠かったりすることがあるということだ。けど待っていると言われてしまっては休むに休めない。そしてどこまで歩いて行っていいかもわからない。

とりあえずホウキののっている白い軽トラということしか、濃ゆいお兄さんを残した自分には情報として残っていないから、その軽トラを探して歩きはじめた。


15分ほど歩いて。もしかして、もしかしてあれかいな?と軽トラを見つけたときにその向かいのおうちから「おーい!」と声がかかった。間違いない。濃ゆいお兄さんの声だ。

「おつかれさまー。机と椅子があったらええかいね?あとばあさんもおるんやけど2杯いれてもろてもええやろか?おーい!ばあさん珈琲いれてくれるって!」

奥をのぞくと手押し車を押したばあちゃんがこっちにやってくるところだった。


濃ゆいお兄さんとはじめてちゃんと軽トラを隔てることなく向き合った。

うん、普通にええ兄ちゃんじゃ。間違いない。こんがり日焼けをして、人懐っこい笑顔。おおらか。大丈夫。裏切られても後悔しない。


お水をいただいて珈琲を点てはじめた。90歳になるばあちゃんは、歩きのお遍路は大変やねぇと言って、それからたくさん質問をしてくださった。

「お茶会のようじゃねー」

ばあちゃんがひとつひとつ喜んでくださるので、そしてお話してくださるのでとっても嬉しい。

聞けば濃ゆいお兄さんは「たちばなさん」と言って、大阪で家族とともに住んではったそうなんだけれど、奥様の故郷のおばあちゃんがひとり暮らしなので、移住を決めてこちらに帰ってきて一緒に住んではるそう。

去年まで地域おこし協力隊としてお仕事をされて、今年からは無農薬の米農家さんとしてスタートされたとのこと。米づくりや畑のことをほんとに楽しそうに語ってらっしゃって、そしてばあちゃんにもとっても近く接してはって好きやなぁこの人と思った。


珈琲を点てて、そのまま飲んでみようとするおばあちゃん。

彼女曰く「私はなんでも食べてみるんよ」とういことだ。


「にがっ!!!!」

ばあちゃんの第一声。ごめん笑ってしまった。

「こりゃ苦いねー!」

「ばあちゃん砂糖いれたらええ!」

そうしてたちばなさんがばあちゃんのためにスティックシュガーどれくらい入れるかきいてくるくるかき混ぜてあげてた。そうしておばあちゃん再トライ。

「あー!美味しいねぇ!」

ばあちゃんひまわりみたいな笑顔で笑いかけてくれるんだもの、僕も思わず手を合わせてしまったよね。神々しい笑顔だったわ。


書けばなんてことないんかもしれん。

けどなんかね。そのニュアンスというかなんというか。

僕の感じかたが変わってきているということなんかね。

すごくねそういう瞬間がね、心に響くの。大きなダイナミックなことということではなくて、そんな小さくても、確かな光のようなものが。

ほんとにありがたいとしか言いようがないね。


とにかく昨日はね、日記で書くには地味な1日だったのかもしれないけれどね、そのひとつがキラキラとそこにあってね。こうして何を書こうかと思ったときにね、自分のなかにまだあるのね。光を放ったままでね。

そんなものを持っていられるか分からないけれど。

きっと薄れていくのかもしれないけれど。

けれどそのことが残ったということは覚えていられるもんね。


ばあちゃんは
「また立ち寄ってくださることもあるかね?」
と聞いてくださった。

この遍路ではもうないと思います。
けれども近くに来たらまた会いに来ますね。

そう答えて、お家をあとにしたよ。


遍路の旅どうだった?といつかこの旅を終えて聞かれたときに、僕はこんなことを思い出しながら語るんだろうと思うんだ。

それは遍路という大きな歴史を期待している人にとってはね、もしかしたら調子はずれの答えになるかもしれない。

けれどもね、僕はね。ほんの小さなことにこそ、大きなものが詰まっているような気がするの。今まででもそうだったのかも、すでに分からないのだけれど。いまはとくにそのことを強く感じるのです。

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