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自分の道を残せなくとも、一杯の珈琲や言葉は、その余韻を誰かのなかに残せるかもしれない。

へっぽこ遍路も10日歩いた。壊れそうだと思っていた足は、なんだか分からないけれど今日一歩目を踏み出したときにあれ?となる。いつもより前に進む。左足のアーチの外側の痛みもほとんどない。ツライツライと思いながら、知らないあいだに僕の体は少しさきまで歩んでくれていたようだ。ありがとう。

お世話になった井上さん。ご実家なのだが、ご両親が亡くなられてからはひとり暮らしなのだそうだ。台所にはインスタントな食事と、ミルクコーヒーの空き缶が別々の袋にきれいになって、お祭りの大きな和太鼓くらいのサイズに積み上げられていた。

ご両親が亡くなられてから、時が止まったような空間。当時の暮らしがそのままそこに残されていて、そのうえにそれからの井上さんの暮らしが重なっているように感じる。昨晩、僕は9時で寝させてもらったえけれど、2時ごろにふと目を覚ましたときにテレビの部屋からは青白い光が漏れていた。

井上さんはとてもやさしい。以前に夜道を歩く遍路の女の子を見つけて、ちかくの道の駅に送り届けた話をしてくれた。障子のスキマには、「おいしいお米をありがとう」「また遊びにきます」と書かれた誰かの置き手紙が刺さっていた。テレビのところで寝転んでいてもすぐに見えるところに。やさしい人だ。あなたのこと忘れません。どうかお体をお大事に。

朝コーヒーを点てたのだけれど、飲んでいただけなかった。「缶コーヒーの微糖でもよう飲まんのよ」と言った彼は、きっと僕が珈琲を点てるときからそれは自分のためにか?と思いながら聞かないでそのままいたんだと思う。僕も最初から聞いたら絶対遠慮もあって断る人だろうと思ったから、とにかく点ててみることにした。

結果はどうであれ。一杯の珈琲に祈りを込めることならできる。どうか井上さんが元気でこれからもいてくださいますように。


平等寺は気持ちの良いお寺だった。空間が空に抜けていくような感覚があった。お寺のかたは、お供えする植物たちを水につけてサッと手入れしている。散歩のおじいちゃんは本堂の椅子に腰掛けては遠くを眺めている。入り口のところにはゆず茶を販売されている地元の方がいる。息をしている。そんな感覚を持った。共通の友人が多いご住職は出かけられていてご挨拶することができなかったけれど、また戻ってきたいと思ったお寺だった。

そこから南に向けて歩く。

「あなたがいちばんよ」

道路脇に立つ家のおばさんが僕に声がかけた。何のことかと思えば、昨日まで僕が歩いている道路は工事をしていて、ちょうど昨日終わったそうだ。そうか、僕がここを歩く最初のお遍路か。誰かが歩き続けた歴史を歩いていることもあれば、自分が何かを刻むこともある。ありがとうおばさん。元気に歩きます。

しばらく山道を進んで、うしろから車が来たなぁと思っていたら窓が開いてまさかの親友がそこにいた。1年くらいずっと連絡のやりとりがなくて、けれどお遍路の出発前の日もJOくんの家に共通の友人が来ていて、元気にしとるかいなぁと一緒に話していた僕の親友(今回はわけありなそうなので名前も写真も出さない)がそこにいた。

「ちょうど打ち合わせに向かってたらさ、足をひきずったお遍路さんがいて、このままじゃ寺に夜に辿り着けるかも分からないから声をかけて乗せてあげたんよ。そうして平等寺にむかってたらマサくんがいたからさーもうびっくりしたよ!」

どうやら彼は、ご縁がつながるスイッチを押したようだ。僕もどこかで押していたのかもしれないな。仕事終わりの夕方に彼はまた僕を追いかけてきてくれて、そのときに川のそばで珈琲を点てさせてもらった。親友に点てる僕のお祝い。

僕が今回持ってきている天目茶碗を「すげー!これ宇宙じゃん!」と喜んでくれた。彼がこれまででいちばん喜んでくれた。これだけでこの旅のために自分が思いを込めて選んできた甲斐があるというもの。それから1時間ほどのあいだにお互いのこと、これからのこと、たくさんたくさん話した。このままお互いがそれぞれのことがなければ朝までいきたいくらいだ。

会っていないあいだはいろいろ心配を勝手にしてしまうのだけれど、彼はちゃんと前に進んでいた。ありがとう。再会のスイッチを踏んでくれて。また会おうね。

薬王寺への道はもう雲が染まりかけてる。珈琲を点てた1時間でどうやら今日はお参りには間に合わない。けれどもそれでいい。自分がこの遍路旅でしたいことができた。一杯の珈琲を通して誰かとつながり、対話すること。それができた。

へっぽこ遍路の自分がこの旅で見させてもらう世界はどんなだろう。自分が持っている可能性ってなんだろう。自分の道は残せなくても、誰かのなかに自分と出会ったときの余韻なら残せるかもしれない。そんなことを思う。

その一杯の。そのひと言。のために自分は自分を見つめながら歩いているような気がするのだ。

自分が語らずとも、相手に伝わること。

そんなところに自分もいつか行けることができるだろうか。いやこう書いている時点でまだまだなんだろうと思う。

昨日は風がビュンビュンで何度も目覚めた寒い朝、あわてて荷物をまとめて、気合をいれながらダウンジャケットを脱いでしまって遍路服に着替えて飛び込んだファミマであったかいコーヒーを飲みながら、そんなことを思って書いている僕はまだまだへっぽこだ。

さあ今日もしっかり歩きます。

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