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名前も聞けなかったけれど、あなたのことは絶対に忘れません。

10日目 20、21番札所をまわり終える

小屋でお世話になった朝。もうすっかり寝起きは旅のときの自分だ。サッと起きられるようになった。5時すぎの外は真っ暗ななか、電気をつけてコーヒーをあっためて、出発の準備を整える。そうして日の出まえの朝をシャンシャンと歩きはじめた。

僕が歩いているのは遍路道と呼ばれる。歩きでまわるお遍路さんがずっと歩いてきた道。江戸時代から同じだとは言えないだろうけれど、本当に山のなかを歩いていくし、ところどころにもう朽ち果てそうなお地蔵さんや道標が立っていて、たとえそれが普通の道路を走ったほうが近道だったとしても、やっぱり僕は遍路道を歩きたくて歩く。それは数えきれない人たちが踏みしめてきた歴史そのものだから。

とはいっても、現在は道路ができて、遍路道であっても道路を歩くことが多い。今朝歩いたところは、古い道路なのだろう場所によっては車同士がすれ違うのにもどちらかが待っていないといけないようなところだった。それに加えて朝の出勤時間。それこそ先を急ぐ車が多いし、交通量もとにかく多いし、杖をいつもより高く上げ下ろしして、自分の存在をきちんと知らせるように歩かないとこわいぐらい。

なんだかなぁ車の壁を隔てていたとしても、ドライバーさんの気持ちって伝わってくるのはなんでだろ。そうそうこれを書きながら思い出したのだけれど、山奥の遍路道にゴミが落ちている。小さいものから、ちょっと大きなものまで。

これがほんと自分でもどうしてかよく分からないのだけれど、落ちているゴミを見ながら「ポケットから落ちてしまったもの」と「投げ捨てられたもの」とをなんでだかわからないけれども感じてしまう。自分のこじつけかもしれないけれど、落ちているゴミにも人の心が宿っているようなことがあるんだろうか。

イエス!ノー!
どちらの声も聞こえてきたところで、僕はなにかを断定することはなくて、誰かに押し付けたくもなくて、「自分はこういうことにしよう」と思っていることがいくつもあって、今回はそれをちょっとだけ書いてみたまで。

生まれ変わりはあるのか。人の出会いは偶然なのかそうじゃないのか。人の人生は生まれながらにあるのかないのか。まあいろんなことを普段から考えたり、誰かの書きもの、話すことを聞いては自分でそうおもう!うーんちょっと僕は違うかも、と思ってみたりもする。

さて話は戻って。そうやって朝は元気なのだけれど気持ちは削られていくみたいな日も当然旅をしていたらあるだろう。1時間ちょっと歩いてやっと大きな歩道のある道路に出て、コンビニも見つけて朝ごはんを食べながらホッとできた。

さあこっから山道。今日は山越えの寺がふたつもある。20番と21番。できたらふたつも参って今日は歩き終えたいと思いながら山へ入った。まだ左足が痛む。普通の山道はいいのだけれど、今回の山のようにとんがった石がところどころに敷き詰められているような岩がたくさんある山道では痛い。まっすぐな土地ではあまり痛まないのだけれど、とんがった石の上に左足を下ろすとそれこそズキッと痛みが走る。だから慎重に慎重に足を置くところを考えて、杖で体重を減らしながら足を踏み出していく。

2時間ぐらいかけて登り切ったところにある鶴林寺。ちょうどバスの団体さんがいらっしゃったので、自分のお参りをしながらみなさんがあげるお経を聞く。遍路をはじめて、すべてのお寺の本堂と大師堂のふたつで決められたお経、そして般若心経をとなえるのだけれど、なにせ僕はその調子を知らなかった。だからこうして慣れていらっしゃるツアーのみなさんの調子を聞きながらなるほどそう読むのかと真似てみたり、それこそもう何度もまわっていますという感じのお遍路さんの独特の響きがするお経を聞きながらおぉかっこいいと思ったりもする。

寺の御住職のお経が聞こえてくるときには、たいていがもう力が入っていなくて、けれどもすーっと進んでいくような響きがする。この遍路を歩き終えるころには僕も自分のお経が読めるようになっているだろうか。

鶴林寺から一度山を下り切ってまたそこから山を登る。その途中でいつも見かける古い道標とともに説明書きがあった。それを読んでびっくり。

そこにあった道標は明治19年になかつかさもへいさんによって建てられたそうだ。なんでも21歳から遍路をまわりはじめ、最後まで遍路を回り続ける人生を貫いたそうだ。78歳、288回目の遍路で倒れたとある。ほんとに遍路に捧げた人生だったのだろう。遍路道に残る道標の少なからずのものが、彼が遍路をまわりながら建てたものだそうだ。誰かの足跡が、また同じ道を辿る誰かの道しるべになっていたというのはなんともかっこええ話で、けれどもこうして説明がなければ自分も古いやつあるんやなぁで終わっていたと思う。

ふたつめの山は小さな滝をいくつも横目にしながら歩くいいルートだった。最後は一気に登るのだけれど、なんだが嬉しい気持ちで21番の太龍寺に到着した。さて、ここは空を悟ったとされる空海さんが山の上で修行された場所。ちょうど本堂と大師堂で経を読みあげたときに、「JOくんからコーヒーお供え行ってきなよ」と連絡がはいった。ありがとうJOくん。もう日がだいぶ傾いていたしちょっと気が迷っていたらそこまで行かないような気の迷いがあったから、それでいざ!と向かうことができたよ。

最後は鎖で岩をわたった先にはるか淡路島まで見渡せる見晴らしのいい山頂の岩の上に空海さんの像が座っておられた。重いリュックをおろして、湯を沸かしてコーヒーを点てたものをお供えさせてもらった。空海さんしっかり旅をさせてもらってきます。珈琲とともに。ありがとうございます。


さてさて。お友だちの樫谷さんからも連絡をもらっていた。こっちが地元なので徳島市内から会いに来てくださったそうだ。もうふもとで待ち構えてくださっているらしい。こっちは4時半をまわったところ。山を下るのでもう1時間も光はない。さぁ超特急でおりるでー!と言いながらもふたつの山を登り終えたあとなのでカラダはボロボロ。ほんとによく動いてくれたものだ。ありがとう。ごめんね無理させて。

山道から道路に出て、残りの1時間ほどは明かりとともにふもとまでを歩いた。途中、香川ナンバーの車が僕の前でとまる。さっきお寺を参っておられた女性だ。車の荷物をトランクに移動させながら「乗りますか?」と声をかけてくださった。きっと僕のためにスペースをつくってくださったのだろう。

「お気持ちほんとにありがとうございます。どうしても後悔したくないので、自分で歩いていきます。そのお声がけがほんとに励みになりました。ありがとうございます!」

そうお礼を伝えて、またまた僕は真っ暗ななかを歩いてくだった。

30分くらいしたときに、今度は前からきた車が僕の前で止まった。

「あの!どうしても心配になって!」

さっきの女性だ。

「ここから先もごはんを買えるようなお店もないので買ってきました。どうかあったかくしてくださいね。」

そう言って食べ物とあったかいお茶を手渡してくださった。もうほんとにね。ありがとうございます。あなたに名前は伝えられなかったし、聞けなかったけれど、あなたのことはずっと忘れません。ありがとう。

そうしてほんとにヘトヘトのままさらに自分をプッシュして国道とぶるかるところまできたら樫谷さんが待ってくださっていた。ちょうどそこが高校の同級生のおうちなのだそうだ。

「友達が泊まっていけって言うてくれてるから、とりあえずいこう!」

そしてお友だちの井上さんにご挨拶をさせてもらって、そして車で夜ごはんに連れて行ってもらってお接待をいただいた。たくさん食べさせていただいて、井上さんのところであったかいお風呂にも入らせていただいて9時には就寝。

こうして書くといろんなことがあった1日。旅をさせてもらってる。ほんとに。


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