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甘ったれ遍路、山道でレスキューされる。


誰かに見送られて旅に出るときって、なんだか自分の目の前の世界がスーッと晴れていくような気がする。逆に、誰にも見送られずに旅に出るときは、世界のピントが合うような気がする。

昨日のことを振り返っているからこういう世界が浮かぶのか。それはデフォルメされているのか。分からないけれど、そんな世界となって自分の記憶に刻まれるのならば、誰かに迷惑がかからなければ記憶はステキに残っていればいいなと思う。

グアテマラでお世話になった家族の娘さん、かりんちゃん。
すっかりおっきくなって、今では小学3年生になって、最初から最後までずっとしっかりとした敬語で話してくれて、けれどもお家で僕が泊まる部屋を案内してくれてすぐ、「自分の部屋も見ますか?」って見て欲しい表情で言ってくれて、部屋には僕がまえにあげた西川くん人形がちゃんと置いてあって嬉しかった。

帰国されていまは徳島の中学校で先生をされている松本ご夫婦と思い出話を交えながらの時間はあっという間に過ぎて行った。

11番札所藤井寺の入口まで送っていただき、一緒にお参りをして、見送られながら山道に入った。1日休養させてもらったからか、荷物も軽く感じるし、何より足の痛みがだいぶマシになっている。逆にあのまま休まずに歩いていたら、いまごろは足が壊れていたんじゃないかと思うほど。とにかく急ぎすぎないこと。無理をしすぎないこと。


ところどころにお地蔵さんがおられて、そして遍路道と書かれた碑があちこちに立っているのだけれど、中にはもう読めないような古いものもたくさんある。これまでどれだけの人たちがここを歩いてきたのだろうか。

アップダウンがこまめにあるけれど、なんだろう。足がいつもより楽。
岩場になるとさすがに僕のサンダルはもろに地面の感触が抜けてくるのでしんどいんだけれど、落ち葉の敷き詰められた上はいくら歩いていても疲れないようなフカフカした感じがして気持ちがよい。

ずっとずっとずっと。ひたすら山道が続いていく。
どこまできただろうかと少し不安になってくるころに、ちょうど◯◯庵と書かれた小さなお堂が出てきて、そこには山水がひかれていたり、休憩できるスペースがあったりする。遍路小屋と呼ばれるところには、座布団が置いてあって、いただいたスープを温めながらしばらく横にならせてもらった。

一度山を登りきり、さあもうそろそろかな。と思ったところから一度下ってしまって、最後はきつい登りがぐんぐんと続いていた。さすがに何時間も背負ってきたリュックはもう投げ出したいくらいに肩に食い込んできて、大きくうつむいて、背中でリュックをうけて休んではまた歩きはじめる。

そうして森の向こうに山を登る車が見えた。はぁやっとこさたどり着いた。と思ったところからまた本堂までの登りが続いている。こういうときがおもしろい。僕はもうヘトヘトなんだけれど、駐車場からは続々と車でお遍路をまわられるグループやご家族が参道を歩かれていて、そういう人たちをまえにするとシャキっとする。これは遍路の自分。ほんとの自分はもうヘトヘト。おもしろいもんだ。

東京から来られたというグループの女性が話しかけてきてくださった。

「歩きですか?」

「はい、歩かせてもらっています。」

「大変ですね?」

「はい、大変だからやらせてもらっているんです。」

「私たちは楽させてもらっているから。がんばってくださいね。」

そうして青いお札を2枚折ったものを、そのままでごめんなさいと手渡してくださった。

「大切に使わせていただきます」

そう頭をさげて、また参道へ歩き本堂へ向かった。

これはほんとに「歩き遍路」としての見られかた。お接待をくださるかたもたくさんいるし、こうした遍路同士の出会いもあるのだけれど、お互いの名前を自己紹介するようなことはほとんどない。お世話になった方に名前を書いたお札を渡すことはあるけれども、普段はほんとに立ち話程度だ。

遍路という大きなものにいまは身を置いている僕は、まわりの人にも遍路としてうつってる。そこから踏み込んでいくと、ほんとの僕がもちろんいるんだけれど、そこまで立ち入らずにまたお互いの道に戻ることがほとんど。

そこには何か大きな流れのようなものに組み込まれているような気持ちもあって、そして自分のうけごたえや、立ち居振る舞いが「お遍路」として誰かの記憶に刻まれていく。1200年続いてきたこの文化。それはさまざまな人たちがこの道を遍路として歩いてきただろう。決して前向きな気持ちを抱いて歩いた人ばかりではないはずだし、さまざまな出来事が起こっただろう。

けれどもそれが最終的にはバランスをとって、遍路の文化としていまもここに息づき、そこに乗っからせてもらった僕もお接待をいただいている。そこにはただ歩く、自分と向き合うということだけではなく、大きなときの、人たちがつないできた何かに組み込まれていることを感じずにはいられない。


焼山寺に到着したのは夕方。どこかに野宿をさせていただけるところはないだろうかと納経所で尋ねたものの「境内では野宿は禁止されています。他の場所は地権者がおられますので。」というアサヒスーパードライなお返事をいただき、それにありがとうございます!と元気にお礼を伝えて山を歩いておりはじめた。

JOくんに無事に焼山寺までたどり着いたことを伝えると、もうすぐ家に帰るよという連絡をもらい、そこですっかり僕の気持ちは甘えさせてもらうモードになってしまった。このまま遍路道をたどるとスーパーのある国道に降りてくるという彼の言葉をそのまま飲み込んで歩いて歩いて歩いていたらもうすっかりまわりが暗くなるころに、さらに山道に踏み込んでいくところに出てしまった。

やっばーこのままいくと峠道につながっていて、どうやら寝泊りできるところもなさそうだ。ごめんJOくん助けて欲しいとレスキューメッセージを送って迎えにきてJOくんの家に連れて行ってもらった。情けない限りのお遍路さんです。

JOくんなんと今日は道路でひかれてしまったばかりの野ウサギに出会してしまったらしく、命を大事にしたいとトラックに積んできていた。帰って僕は夕食の準備をして、彼はウサギをさばいてお肉にしていく。

「これひとりやったらメンタルがやられてしまうけん、ふたりのときでよかったわ。これをいただこう。」

命といつも向き合っているJOくんは、こうして動物の命もおおきなものとしていつもとらえてる。ふたりしてウサギはどうしたら美味しいかと考えて、唐揚げと、スキレットでグリルにして美味しくいただいた。

今日も流れのような、甘えのような、けれどいろんな人に生かされて情けなし遍路は歩いております。

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