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「僕が子どもたちと旅する理由」



いつぶりかの無気力症候群を味わっている。
休んでいるという言い方もできるかもしれないけれど、罪悪感をどこかで抱えながらこの時間を過ごしてしまっているのだから、そうなのだと思う。

とはいっても、明日からは子どもたちとの旅の準備とスタートのために走り続けないといけない現実が待っているので、その日々と決別するためにいきなりこうして文章を書きたくなったのかもしれない。

「思う」とか「しれない」とか自分に書いてしまうあたりが、自分でも情けないものなんだけれども、やっぱり自分というものは分かっているようで分かっていないものだ。
特に、日々の元気とかそうではないということではなくて、人生のスパンみたいなもので言うならば、「あのときは、なんでああできたのかなぁ」なんて思ったりする。

それが僕があまり成長という言葉を使いたくないと思っているところだ。
あのとき「よし!僕はもう次に向かおう!」と言っておきながら、その数ヶ月後には「なんであのときはあんなに元気があったんだろうなぁ」なんて思ったりするのだから。

明日から旅モードなので、子どもたちとの旅の話を書こう。

僕は旅をしている。最近は子どもたちを連れて旅をしたりしている。
これだけは数年前の自分とはっきりと変わったところだと思う。
「誰かと旅をしたい」と思ったことはなかったのだ。

はじめは「子どもたちのため」だった。
その旅を経て、彼らの世界や人生観をひろげたくて。
自分がしている旅で、世の中のためにできることだと思ったから。

自分の旅をしてきたことの次の段階として、「子どもたちとの旅」をすることで、僕は旅人としてこの世界にできることが生まれるくらいに思っていたところもあったのかもしれない。いまとなっては知らんけど(こう書くことで責任感から逃げようとしているところが見え見えだ)。

いまはすこし違う。
子どもたちとの旅は純粋におもしろい。
もしかしたら彼らが感じている「旅ってたのしぃー!」以上に僕が楽しんでいるんじゃないかと思うことがある。そのとき彼らに言うわけではないから、相変わらず「この人、旅のときはこえ〜!」と思われているかもしれないけれど。

子どもたちと旅をしていると、自分がひとりで旅してるときの喜びをこえていく出来事がままあるのだ。

たくさんの「はじめて」を経験していく子たちとの旅の日々は、自分がいつのまにか置いてきてしまっている「旅というもの」を僕に思い起こさせてくれる。
彼らは、行き詰まって、オロオロして、後ろを振り返って、そして僕がなんにもしてくれないと分かったらそこから少しずつ行動を起こす。それは僕が旅をはじめたころにはいつだってあった感情だ。いつも揺れ動いていた。だからこそ旅をはじめたころの感情はいまでも強烈に僕のなかに残ってる。

子どもたちを少し離れたところから見る。自分が手を出したい気持ちをおさえて見守る。その自分もソワソワしていたりするし、もちろん見守られている等の本人たちの感情は嵐が吹き荒れているようなものだろう。

そうしてひとつずつ「はじめて」を乗り越えていく子どもたちが、旅というものに、自分の知らない世界、ひと、暮らしというものにまた一歩を踏み込んでいくのを旅をともにしながら見ているのは、本当にぜいたくな体験なのだ。

感動というものの大きさは、感情の動いたその幅(大きさ)だと思っている。
だから予定調和から来る感動にはマイナス分の幅はほとんど含まれていない。
かえってトラブったり、どうしていいか分からなくてなったときにマイナスに大きく心が触れたあと、なにかの拍子でやりきることができたときの感動というのはそれは大きなものだろう。

僕らはそうして世界を獲得してきたんだと思う。
新しいことをすることは、新たな感動を得ること。そして世界を獲得すること。
そうすれば人生というものは、いつまでも、どこまでも感動があるし、生きるおもしろさがあると僕は思っている。

だから子どもたちとの旅は僕に新たな世界も運んでくれるし、大きな感動も与えてくれる。

「スポーツ選手が引退したら指導者にまわる」
のは、自分が達成できなかった夢をたくしたいのだろうと思ったりした。
また、自分がプレーヤーから外れても社会で生きていかなくてはいけないから指導者として歩みはじめるのだろうと思ったりした。

自分がいちばんで、しょうがないからもう少し社会に自分を譲って、自分の新たなキャリアを踏み出していくぐらいに思っていた。けれど「子どもたちとの旅」は実際にやってみたら全く違う世界を自分に運んできた。

「子どもたちとの旅は楽しい」

どうしてか。

ハラハラするから。
ヒリヒリするから。
つねに決断と行動をつきつけられるから。
彼らが世界を獲得するのを見られるから。
子どもたちの心と体がピタッと一致したときに出るチカラは奇跡のように美しいから。
自分が楽しいから。

旅はひとつではない。世界一周したから終わりでもない。
そのやり方でいくらでも世界は広げていける。

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