think globally, act locallyの罠
ども。日常の脈絡はあまりなく、ふと思ったことを。
題にも書いた「think globally, act locally」という言葉、ありますね。
世界規模で考え、地域で行動せよ
ということですね。
えーと、気候変動の危機感から山村の小規模自立型の地域コミュニティの可能性を探るという、
それの思考と実践の日々を送ってはいるわけなのですが、
その日数が重なれば重なるほど、
末尾に
" think act "
が引っ付いてくるんです。
何が言いたいかというと、
世界規模で考え、地域で行動していると、
地域のことをより深く考えなければならない
ということ。つまり、
いや、考えること多すぎね?!?!
ということ。
単純に頭がパンクする。
さらに厄介なのが、往々にして、globallyで thinkした結論と、locallyで thinkした結論が食い違うことが多々あるのです。
環境負荷を下げるための選択肢はこっちなのだけど、
地域の人の気持ちをおもんばかるとこっちかな。。
みたいな。
think locallyの大切さもよく分かるし、丁寧に接したい。
世界が変わるにはまず自分から、そして近くの人から。
理屈としては分かるのだが、しかしそれでいいのかなぁなんて思う日々。
自分の生き方は自分が信じられるように生きているつもりだけど、ふと挫けそうになることもしばしば。
自分を筆頭にした人類に対し、哀れみ、慈しみ、嘆き。
そんな入り混じった感情を胸に、厄介なことも含め、
受け入れて、信じて、愛していきたいなとは思う。
そんな精神性を獲得する前に心が折れないといいなぁと思うばかり。
荒削りのとんだ駄文。しかし感情の記録はないよりはあったほうがいいよね。そうだよね、未来の自分。
今日もなんとか鼓舞して生きた。
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