お見合いを復活させよ!

結婚できない、あるいは結婚しない男女が増えているという。

多くの評論家は、その理由を不況など経済的な面に求めているようだが、私はそうは思わない。理由はおそらくもっと単純だ。問題の根底にあるのは自由恋愛である。

これまでーーいや正確には戦後からついこないだまでの比較的短い期間だがーー自由恋愛は結婚相手を探すためのほぼ唯一の方法であった。そして、それは社会的にも公認された「制度」としてそれなりに機能してきた。ところが、この自由恋愛という制度がここにきて機能不全に陥ってしまったのである。

なぜ機能不全に陥ったのか? これまた理由は単純だ。私たちが日本人だからである。どういうことか? 日本人は基本的にシャイであり、とくに恋愛に対しては多くの人がいわゆる奥手だという意味である。

もっとわかりやすくいえば、「へーい彼女お〜!」なんていうノリで気軽に女性に声をかけられる日本男児がいったいどれだけいるのか、ということだ。

またそのような男がみな結婚相手としてふさわしいといえるのか、という問題である。

そもそも日本人はイタリア人ではない。ラテン系の人間とは精神構造からして違うのだ。自由恋愛というのは基本的に狩猟民的な発想にもとづく文化である。農耕民である日本人には縁遠い文化なのだ。つまるところ、日本人には自由恋愛などどだい無理な話だったのである。

さらにつっこめば、自由恋愛による結婚が本当に幸せをもたらすのかという問題もある。それに対する答えは、三組に一組が離婚しているという昨今のデータをみれば一目瞭然だろう。

また自由恋愛にもとづく結婚が必ずしも家族全員の幸せを保証するものでないことは、その陰で発生する虐待や子供たちの貧困の多さなどからもみてとれる。

このことからも自由恋愛による結婚がいわれるほど理想的なものでないことが結論づけられよう。自由恋愛は世上もてはやされるほど幸福な結婚を約束するものではなかったのだ。

もちろんたんなるロマンスということであれば自由恋愛も悪くはないだろう。しかし結婚となるとそうとばかりも言っていられないはずだ。

自由恋愛が主流になった裏に見え隠れするGHQの影

しかしここで疑問が浮かび上がる。それは、なぜそのようなバタ臭い制度が今の日本社会に存在するのかという疑問だ。これは推測だが、裏にはGHQ(戦後日本を支配した連合国占領軍)による差し金があったのではないかと私はにらんでいる。

近年の研究によれば、GHQは「日本の民主化」という名目で、日本の伝統や文化をなきものとし、代わりに欧米のやり方を日本社会に植え付けようとしたとされている。

おそらく自由恋愛もその一環だったのであろう。GHQはそれまで主流だったお見合いという制度を封建的、非民主的ということで葬り去る一方、欧米流の自由恋愛方式を日本社会に導入しようとした節がある。

その証拠といえるかどうかはわからないが、戦後の日本において、お見合いという制度が徹底的に貶められてきたのは事実である。

年配の人なら覚えているだろう。「お見合いなど封建的な陋習だ。それは家同士の政略結婚であり、個人の自由意志を無視した奴隷制度だ」。テレビドラマや映画のストーリー、さらに評論家の個人的意見まで、当時のマスコミから流れてくるのはそんなメッセージや論調ばかりだった。

そればかりではない。お見合いには自由恋愛ができない負け組が最後に頼るセーフティネットであるかのようなマイナスイメージさえつきまとうようになった。

「私は見合い結婚です」などと言おうものなら、「ふ〜ん、モテないから、自分では探せなかったのね」と影でささやく声が聞こえてくるような、そんな雰囲気さえあった。

そこにあるのは、お見合いイコール自由恋愛弱者という烙印である。そのため見合い結婚をしたカップルはあたかも日陰の存在でもあるかのような、どこか後ろめたい形見の狭い思いをさせられ続けてきたのである。

合わない制度に無理して合わせるのを拒否しはじめた新しい世代

しかしここにはもうひとつの疑問もある。それは、そうした身の丈に合わない制度がこれまでなぜそれなりに機能してきたのかという疑問である。

最大の理由は戦後一貫して続いてきた経済成長であろう。

戦後は右肩上がりの時代である。とりあえず人並みに働いていれば、人並みの暮らしができるという希望があった。また異性と出会うための金銭的余裕や時間もそれなりにあった。そのため、当時はパートナーを見つけるのにそれほど多大な労力を必要としなかったのである。ある意味、経済成長がもたらした社会的な余裕が自由恋愛の矛盾を包み込み、隠していたといえるだろう。

もっともこういうと、当時の人はなんの努力もせず、棚ぼた式にパートナーを見つけていたように聞こえるかもしれない。しかし、実際はそうではない。内実は、多くの人が涙ぐましいまでの努力をしていたのである。

たとえば、勉強していい学校、いい会社に入るのはもちろんのこと、『ポパイ』や『アンアン』『ノンノ』といった当時一世を風靡したファッション雑誌を読みふけり、必死に自分を磨いてきたのはなぜなのか? すべては異性にモテて、よりよい伴侶に巡り会うためである。そうしなければ熾烈な異性争奪戦で負け組になることがわかっていたからだ。

いまもそうだが、当時は競争がすべてを決める市場原理主義の時代だった。しかもそれに対して誰も疑問をさしはさまなかった時代である。若者たちは競争というゲームを素直に受け入れていたのである。

そうしたこともあり、戦後世代の男女は、モテルために、すなわち少しでも条件のよい伴侶を見つけるため互いに競い合っていたのである。裏を返せば、よりよい結婚相手を見つけるため当時の若者たちは子供時代から異常なまでの緊張を日々強いられてきたのである。

しかし、戦後一貫して若者たちを駆り立ててきたそうした緊張の糸はいまやぷつりと切れてしまったかのようにみえる。おそらく、いろんな意味で行き詰まりを見せている昨今の社会情勢が、そこまでしてモテル努力をすることに根本的な疑問を投げかけたのだろう。今の若者たちは笛吹けど踊らずという状態である。

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