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無有 4 レムリアの最後

 見たこともない大きさの紅い月が海の上に浮かんでいる。こんなことは初めてだった。風が静かすぎる。テトはちょっとばかり口うるさくてお節介なマーナから逃げ出し、もう日課になりつつある昼寝をしに村はずれの丘にやってきたところだった。普段だったらリンドウやスズランの花が風に揺れて そのはかない香りが漂ってくるのだが、辺りはしんと静まり返りただならぬ様を肌で感じた。

(これは昼寝どころじゃない。皆に知らせたほうが良いだろうか。)テトは悩んだ。この国の者は皆働き者で奉仕を喜びとしている中、彼は一人愛とか奉仕とかに興味が持てずのらりくらりと生きていたからだ。

(なんて言えばいいんだろう。)月が太陽に近づいて、凪いだ海に二つの大きな丸が映っているのを見ていよいよ恐ろしくなった。

(とにかくみんなに伝えたほうがいい。)テトは丘を駆け下り真っ先に村長のところに向かった。ドアを乱暴に開け息も切れ切れに話したが、まだ就任したばかりの若くやる気に満ち溢れた村長は

「ここに何か大変なことが起こるなんてありえない。女王様がいるから大丈夫だよ。」
と安心させるように笑いながら優しくテトの頭に大きな手を置いた。

「違うんだ。そういうことじゃなくて、もっとこうなにか大変なことが起きる前触れの気がする。こわいんだよ。」
テトは懸命に訴えた。彼の様子を見た近所の大人たちも集まってきて 

「心配しなくて大丈夫だよ。何があっても女王様が護ってくださるのだから。」
と声をかけてくれた。おせっかいマーナも

「あんた、何変なこと心配してるの!そんなことあるわけないじゃない。それより早く今日のお仕事しなさいよね。」
と呆れたように言った。何かわからないけどとても嫌な予感がするんだ!そう言いかけて ぐっと口をつぐみみんなのもとを走り去った。テトの両親が彼に向かって(もういい加減にしなさい)という手振りをしたからだ。

(なんでみんな気にも留めてくれないんだろう。)幼馴染のヤンだけは彼の様子があまりにいつもと違ったので、急いで追いかけて声をかけた。

「テト、一体どうしたの?」

「ヤン!なんだかとても嫌な感じがするんだ。とにかく高いところに行こう。」 
テトとヤンはこの辺りで一番高い丘に登り村を見下ろした。村人が空を指さし騒いでいる。太陽が紅い月に呑まれていき世界がだんだんと暗くなってきた。凪いでいた海がいつの間にか盛り上がり、すべてを丸吞みする蟒蛇のようにゆっくりと村へ迫っていた。

 海が盛り上がったのか陸が沈んでいるのか。とても信じられない光景を目の当たりにしていた。世界がとても静かだった。さっき笑っていた村長も 変な顔をした両親も。マーナの家の毎年甘く瑞々しい実を成らせる林檎の木も、森も川も。すべてをゆっくりと海が吞み込んでいった。二人はただただ水に沈んでいく日常を見ていることしかできなかった。唯一の救いはどこからか聞こえる歌声と竪琴の音色があったことだ。やがてその音も止み、視界全てに真っ黒な海が広がった。

(あぁ、普段からみんなの言う通り真面目に生きてればよかった。そしたら信じてもらえたかもしれない。あきらめずにもっと真剣に伝え続ければよかった。僕はヤンしか救えなかった・・・。)
変わり果てた世界を目の前に呆然と立ちすくんでいた。音もない暗闇は今自分たちがどこにどういるのかを分からなくさせた。上下左右も分からないだだっ広い空間に取り残された恐怖と孤独感と、何も出来なかった無力感、罪の意識が芽生え、蔓を伸ばし心を絡めていく。初めて味わう絶望感。それでも二人の前に時は流れ、太陽が少しずつ戻り世界を照らし始めたと同時に

【光の子どもたちよ。またその時が来たらここで会いましょう。それまであなた方の内には源の光があることを覚えておいてください。】

という声が聞こえた気がした。ヤンは耳を澄ました。またここで?一体誰だろう?しかし今は未来のことなど考えられなかった。言葉を失っていた二人の前に 長老の一人が現れた。

「お前たち、良く生き残ってくれた。本当に良かった。ありがとう。」

「長老様。でも、でも!みんなを救えなかった。どうして女王様はみんなを助けてくれなかったのですか!」

「女王はみなが苦しまないように、さみしくないようにと、共にお隠れになったのだ。」

「僕たちだけが生き残ったところでどうしようもない!こんなところは嫌だ。」

「我々はこれから新しい世界を創らなくてはならない。それには君たちのように自分で感じ判断し決められる人間が必要になる。だから是非我々とともに来てほしい。」
長老のゆっくりと丁寧な口調と強く優しい視線が二人の少年の心を次第に落ち着かせた。

「この大陸の北にある無有(ムウ)という大地に高い高い山がある。我々はそこを目指す。」
生き残った僅かなレムリア人たちは皆で無有を目指した。その中にはアトランティス人もいた。彼らのせいでこうなったのだのではないかという疑問とそんな人たちとなぜ一緒に行かなくてはならないんだと怒りが湧いた。その様子を見て長老はテトに言った。

「我々はこころに芽生えた恐れと対峙できず目をそむけてしまった。自分たちが正しいと思い込みそれを正当化しようと、アトランティスだけが悪いと決めてしまったのだ。その結果我々は恐れに心を奪われてしまった。これはその業なのだ。」






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