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私が欅坂46を好きになった理由


初めまして。櫻坂46、欅坂46を応援している者です。

このnoteはtwitterの文字数では語りきれない考えや情報を整理するために利用していこうと思います。なにせ文章力がないので読みづらいですが悪しからず。

第1回として、私がどういう経緯で櫻坂46のファンとなったのかについて、筆者自身で整理する目的も兼ねてつらつら書こうと思います。この記事は私個人の経験であり、櫻坂46ファンに典型的なものだと主張する意図も、櫻坂46ファンを代表するものでもないことはご留意いただければと思います。

欅坂46と出会い、好きになる

櫻坂46は、2020年10月14日に活動を開始しましたが、もともとは欅坂46という名前で活動していました。

高校時代に友人が教室で『サイレントマジョリティー』のイントロとアウトロの特徴的な振付ー右手を胸に、左手を腰に当てて上下左右に体を動かす"アレ"ーを真似していたのを見たのが欅坂46との最初の出会いです。

「なんか変な動きをしてるな」という感想しか持ちませんでしたが、確かに印象的でした。5年経った今でも覚えているくらいですから。

サイレントマジョリティーを知った経緯を明確には覚えていませんが、朝の番組や歌番組で特集されていたのを見て「欅坂46」「平手友梨奈」の名前は自然と覚えていきました。
また、私はクイズ番組が好きなので、ミラクル9、Qさま、タイムショックなどに長濱ねるさんが出演していたのもよく見ていました。今思えば、長濱さんは私と欅坂46の「窓口」となっていたように思います。私は音楽やモデル業界にも疎く、欅坂のファンになるまでは平手、長濱、今泉の3名しか知りませんでした。少し後悔です。

サブスクを使っていなかった私はPCを使って、YouTube上で好きな楽曲のMVを見ていました。スピッツ『空も飛べるはず』『ロビンソン』、椎名林檎『NIPPON』『長く短い祭り』などです。その中のひとつに欅坂46が入っていました。『サイレントマジョリティー』に加え、『ガラスを割れ!』『アンビバレント』がお気に入りでした。坂道グループで言えば、乃木坂46『サヨナラの意味』『帰り道は遠回りしたくなる』も高頻度で聞いていました。


このように、欅坂46は好きでしたが、"好き"といってもその程度で、表題曲数曲以外は全くといっていいほど知らないライト中のライトでした。そうした中で私が欅坂46に惹かれていたのは歌詞と楽曲でした。乃木坂46を好きな友人がいましたし、乃木坂46楽曲の歌詞も魅力的に思っていたので「アイドル」に対する否定的な感情はなく、欅坂46も同様に「アイドル」ではなく「いちアーティスト」として見ていました。

その一方で、欅坂46特有の魅力に惹かれていったのもまた事実でした。楽曲と歌詞がメインで、パフォーマンスにほとんど興味を持っていなかった私も、楽曲が好き、欅坂46が好きという理由で2019年紅白歌合戦の『不協和音』はタイムシフトを使って視聴しましたが、平手さんをはじめとするメンバーの文字通り"鬼気"迫るパフォーマンスに圧倒されたのを覚えています。

以上が、私の欅坂46との出会いと欅坂46を徐々に好きになっていった過程です。私自身、音楽のアーティストを一度のパフォーマンスや一つの楽曲によって急に好きになったことはないので、このまま「好きなアーティスト」止まりになることも十分に考えられました。なのにどうしてグッズや1万円以上するライブ映像作品、メンバーが出演する雑誌にも躊躇なくお金を落とすほどのファンになったのでしょうか。

欅坂46にハマる

欅坂46にハマったきっかけとしては大きく2つ、サブスクを使い始めたことと冠番組『欅って、書けない?』(現『そこ曲がったら、櫻坂?』)を視聴しはじめたことが非常に大きいです。

私は4月からApple musicのサブスクリプションを開始し、まずApple musicが各アーティストに作成している入門プレイリストの欅坂46版、「はじめての欅坂46」を追加して聴き始めました。
『避雷針』のようなフルMVが存在しない人気楽曲、『結局、じゃあねしか言えない』のようなユニット曲と出会えたことでより深く欅坂46の音楽を知ることができました。アイドル事情を全く知らなかった当時の私にとって、「ユニット」なるものの存在はちょっとした衝撃でした。
しかし、何よりの衝撃だったのは「危なっかしい計画」のような底抜けに明るい楽曲があったことです。欅坂46は抑圧から自分を解放するよう呼びかけたり、逆に自分に閉じこもるような楽曲というイメージがあった中で、夏を楽しむという学生らしく身近な歌詞の楽曲の存在は欅坂46の幅広さを感じさせるものでした。なぜか食わず嫌いしていた『世界には愛しかない』『二人セゾン』をちゃんと聴き始めたのもこの頃です。

サブスクを始めたのと同時期に、私は『欅って、書けない?』の視聴を始めました。初めて見た回は、忘れもしない『ごめん、悪かった・・・ 改めて、知りたい!小林由依』と題した、小林由依さんをフィーチャーした企画です。メンバーの顔と名前が全く一致していなかった私ですが、"あの紅白の不協和音"をしたグループとは思えないほど楽しそうに話す姿を見てとても魅力的に感じたのを覚えています。この時、ついに私は欅坂46の沼にハマってしまいました。

欅坂にハマってから

沼にハマってからは、ネット上→実体の雑誌や円盤という2段階で欅坂への熱を高めていきました。

最初はwikipediaで欅坂46の歴史を調べたり、『欅って、書けない?』のまとめ動画を漁るように見てとにかく知識を詰め込みました。鈴本さんと今泉さん、田村保乃さんと関有美子さんの区別がつかなかったことが今では信じられません。

欅坂46のパフォーマンスに興味を持った私が初めて見たライブ映像は東京ドームライブ。感動も畏怖も敬愛も混じったなんとも形容し難い感情になったことは覚えています。

こうして得た知識を補完するようにメルカリで「欅坂46特集」と名のつく雑誌を購入。その"激動"という一言で語るには失礼なほどの4年間に秘められたメンバーの想い、グループそのものが持っている余りに強い物語性に、「ただパフォーマンスや楽曲を伝えることに力を入れているだけのアイドルではない」ことを痛烈に感じさせられました。


ここで印象的だった雑誌の紹介を少し。

Quick Japanはメンバー全員のインタビューに加え、秋元康や今野義雄、森慎一郎といった裏方上層部へのインタビューがあり、当時何を考えていたかを知る上で非常に貴重。無数のアイドルを生み出してきた秋元康が欅坂を「全く予測できない動きをする」と評したのは印象的。

2号に渡って特集されたBUBKAの記事。メンバー自身の精神面へも大きく影響した2017年夏全国ツアーの特集。特に菅井友香さんと長濱ねるさん、小林由依さんのインタビューは必読。菅井さんがキャプテン失格だと思ったエピソードとして挙げた「メンバーの数も数えられない」シーンはドキュメンタリー映画でも少し登場した。QJ135号と合わせて読むのがおすすめ。

2018年BRODY、欅坂46特集。2nd Anniversary Liveで『不協和音』のセンターに立った菅井さんのロングインタビューに加え、デビュー前から演出家として欅坂46のライブ(恐らく櫻坂46へも引き続き)携わる野村浩紀さんへの貴重なインタビューも掲載。1st Anniversary Liveでは楽曲に影響されたメンバーに、「大人たちは全員敵なのか!」と叱咤したという生々しいエピソードも。

以上、新品では入手困難なものもありますが、ぜひご一読ください。櫻坂46になった今でも興味深いと思います。


映像作品、雑誌のインタビューを通して私は欅坂46の圧倒的なパフォーマンス、物語性に引きずり込まれていきました。ここまでが7月16日の配信ライブで改名発表する前までの話ですが、長くなるので改名発表以降の話は気が向いたら書くことにいたします。頭でっかちなnoteになってしまいました。


楽曲から好きになったはずなのに、パフォーマンス、メンバー、グループ自体の物語性という風に「やり込み要素」がいつの間にか増えているところが欅坂46の大きな魅力の一つだと思います。そしてその魅力は改名後の櫻坂46の魅力へとそのまま引き継がれています。たかがアイドルと侮るなかれ、メンバーの一瞬一瞬の表現には1人の人間の弱さ、葛藤、孤独といった生き様がありありと映し出されています。その美しさに気付いた時、私は応援する以外の選択肢をなくしてしまうのです。

私が音楽のアーティストでここまで好きになったのは欅坂46がはじめてですし、奇跡的な出会いを果たせたおかげで欅坂の終わりと櫻坂の始まりを目撃することができました。櫻坂の道はまだまだ始まったばかり。今後も応援し続けていきたいと思います。

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