ジュニア選手の成長について思った事・伝えたい事。

先日ある方と、ある選手の話を聞いて思った事を書きます。
あくまでも、今までの僕の経験からの個人的な意見なので、悪しからず。

その方のお話を聞いていて思ったのは、子供達のテニスに対して、過剰に結果を求める必要は、個人的には無いと思っています。

必要なのは「過程」の評価だと思っています。
過程を評価されないと、チャレンジをしなくなるのでは無いでしょうか?

失敗を怖がっては変化を怖がるし、変化がなければ成長も難しいです。

そのうちテニスが好きだと言う気持ちも分からなくなって、勝ち負けに囚われて逆に勝てなくなってしまう。


今の「目の前の勝ち負け」ではなく、目標とする先のためのチャレンジした「過程(プロセス)」を評価出来るのは、コーチと保護者の方々だけです。
試合会場に行けば、「あの子は上手くなった」「あの子は弱くなった」といろんな声が聞こえてきます。
それは結果の評価です。
もしかしたら、今その選手は目標とする大会の為に新しい技術や戦術に取り組んでいて、それがまだまだ上手くいかないだけかもしれません。
勝てるから良い、負けるから悪い、ではジュニア選手はやってられません。
一番しんどいのは他でも無い選手だと思います。


アーネストでは、選手達には「良い失敗」をするように伝えています。
とかく目の前のポイントを上手くやろうとすると、課題に取り組まない「悪い成功」を求めたがります。
今まで通りの方が楽にテニスが出来ますから、単なる成功であれば達成しやすいですよね。

でも「悪い成功」からは「良い成功」には行けないのでは無いでしょうか?
そこで与えられた課題に取り組んだ上での「良い失敗」が出てくれば、「じゃあそれをどう成功させるのか?」と考えた先に「良い成功」が待っている、と話しています。
そしてその先に、良い結果が待っているのでは無いでしょうか?


実際はそれだけやっても結果が出ない場合だってあります。
対人スポーツなので、何が起こるか分かりません。でもその選手のそれまで過程での取り組みは、必ずその選手のその後の人生においてもチカラとなると思います。


もちろん何をもって、良い/悪いを決めるのか?と言う問題もあります。
だからこそ指導者もブレずに勉強し続けねばいけない、と痛切に思います。

大好きなテニスだからこそ、嫌いな事にも取り組んでいかなければいけないし、それは決して「楽しい」の一言では済まされないです。
でも勝ち負けという結果に囚われると、そのテニスが好きだという気持ちも忘れて、ただ嫌な気持ちだけになってしまい、結果的にテニスを辞めてしまう選手もいます。


そう言う結果がコーチとしては一番悲しいし、一番悔しいです。

こうやって書くと、かなり綺麗事言ってるみたいで自分でも気持ち悪いです(笑)。
もちろん現場ではこうした綺麗事だけでは済まない場合もたくさんありますし、平気でキツい言葉も使って追い込みます。
でも子供達に関わるのなら、根底でこう言った気持ちは忘れてはいけないな、と自戒しなければなりません。

今回お話を聞いて、そう言った事を考え直す機会になりました。


「男の子は発育が遅かった。

4才になっても言葉を話せなかった。

7才になったも字が読めなかった。

小学校に入学。

校風になじめず、何度も転校した。
中学も厳しい教育になじめず、転校した。

教師から、知的に遅れがあり、
いつも馬鹿げた夢を見ていると、退学処分になった。

大学を受験、失敗した。

翌年、大学に入学。しかし、講義はほとんど欠席した。

大学の助教授を志望するが、不合格。家庭教師のアルバイトに。

大学の博士号を取得する為に論文を書くが、理解してもらえず、受理されなかった。

あなたは彼の人生に
どんな評価をしますか?
失敗、絶望、不運・・・。

彼は論文を改善し、5つの論文を提出。30才で博士号をとり、大学の助教授となる。

翌年、教授に。

37才、新理論を発表。

42才、ノーベル物理学賞受賞。


彼の名は
アルバート・アインシュタイン。
20世紀最大の物理学の父と呼ばれる。
彼は教えてくれる。

「私は誰にも全く期待しない。だから幸福なのさ。」

彼は誰からの評価も期待せず、大好きな研究を続けてきた。
他人の評価はあなたの人生ではない。
彼は世の中で最も重要な幸福の理論を知っていた。

大好きなことに情熱を傾けよう。
情熱は絶望を希望に変える。
あなたの人生には、大きな希望がある。
世界を変えれる人になろう

自分の人生を評価するには
まだ早いんじゃないですか?

今日という日は
生涯、残りの人生の中で
もっとも若い日なんだから…。」

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