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5冊目。

はい、サボってました。
もうやめようかと思いましたがこれを見てなんとなく再開しました。
どこまでいってもオタクはチョロイ生き物です。

新書をチョイスするの、偉いなあと思いましたね。
私の場合読書って完全に自分の読みたい本しか選ばないし読みたい本って9割が小説だし。
大学生になってから新書もちょくちょく読むようになったけど読書っていうより学びだと思っているので読書生活の対象外です。
物語の世界に没入するのが好きなんでしょうねえ。

それはさておき。


5冊目

武田綾乃著
『響け!ユーフォニアム
 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編』

まさに集大成ともいえる久美子たちにとって最後の1年を描いた本作。
響け!シリーズの中でも圧倒的にこの最終楽章が好きです。

以下最終楽章 前編の好きなところや感想をつらつらと。


高坂麗奈

________あの人は、正しさの塊みたい。

212頁より

高坂麗奈は正しさの塊だ。
その正しさは時に誰かの拠り所となり、その正しさは時に誰かの苦しみの元となる。正義や正しさなんてものはある一面から見たらそう捉えられるだけのものに過ぎない。誰から見ても正しいと思われる人なんてきっと存在しない。

高坂麗奈は正しい。
北宇治吹奏楽部にとって、高坂麗奈という存在はきっと正しさの象徴だった。
高坂麗奈は常に自分にとって、そして北宇治吹奏楽部にとって正しい選択をしていたのだろうと思った。


塚本秀一

近くて遠い久美子と秀一の微妙な関係。
その複雑さを上手く表しているなと思ったのが幹部ノート。
部長・副部長という幹部としては上手く回っているのに、黄前久美子と塚本秀一としては上手く回っていない2人の歪な現在地。(後に久美子と麗奈もだが)
ノートを押し付けあう二人はかわいいけどね。

「無自覚なふりするにはちょっと露骨すぎるでしょ。頑なに久美子を『部長』って呼んでるのは、意地張ってるん?」

377頁より

秀一ってつくづく損な役回りだなって思ってしまった。

むしろ泣きたいのはこっちのほうや。

378頁より

頑張れ秀一。


久石奏

安心感がえげつない。
個人的に、物語に異分子が登場したときその不安を拭うようにその場にいてくれる旧知の人間みたいなキャラクターが大好きです。

1年生と転入生の黒江真由によって第二楽章では感じなかった謎の異分子感があった。
特に黒江真由。1年生組は物語が進むにつれて北宇治吹奏楽部、低音パートとして馴染んでくるのを感じることができるけれど黒江真由だけは依然として異分子感が拭えない。(これに関しては後述するけれど彼女の生い立ちが関係しているのかなーと。)
そんなときにさっとやってくる久石奏とかいう後輩。

部長という立場上、麗奈とも秀一とも葉月とも緑輝とも今までのように接することが難しい。今の久美子の一言はただの一部員の一言ではないのだ。
だからこそ久石奏という存在が黄前久美子にとって必要だった。

久美子が後輩と接するとき、やはり部長という肩書きがついて回る。一人の先輩としてではなく、唯一の部長として相談に乗って話を聞いて。
その中で久美子を部長としてでなく一人の先輩として扱っていたのが久石奏だった。
北宇治吹奏楽部部長の黄前久美子が、一人の先輩としての黄前久美子に戻れる時間。奏の久美子に対する揶揄も久美子の奏に対するあしらいも全てが安心する。
第二楽章ではいいキャラしてんな~くらいの印象だった久石奏ですが、この最終楽章で一気に好きになりました。まじでいいキャラしてる。

周りにどう思われても気にしないが、梨々花にだけはセンス良く思われたいことを原作者にバラされる久石コウハイ、とても好きです。


黒江真由

黒江真由ってなんなんだろうね。
先に黒江真由の異分子感について少し言及しましたがこちらでも補足を。
この黒江真由っていう女、わざと異分子的存在でいるんじゃないかなと思いました。
理由は彼女のこれまでの生い立ちから。
どうやらこの黒江真由、転勤族のよう。自分自身転校をしたことがないので気持ちを分かりかねるけれどもきっと彼女は幾度となく出会いと別れを繰り返してきたんだろうなと。しかも半ば強制的に。
多くの人との出会いがあると同時に離れがたい人との別れも経験してきたんじゃないかなと思う。その場所や人に未練があればあるほど別れというものは痛みが大きい。だからといってそれをどうにかできるほどに力を持っているとは限らない。特に小学生、中学生の内なんて自分の力じゃどうしようもないことだらけだ。

その中で彼女が身に着けた処世術が、他人と深く関わりすぎないことだと仮定したらどうだろう。
近づきすぎるから離れるときに悲しくなる、つらくなる、寂しくなる。だったら初めから近づきすぎなければいい。少し離れたところから見ていればいい。少なくとも今の自分ならそう考える。

そういったような真由の言動が見えるシーンをいくつかピックアップしてみた。

たかが部活なんだし、無理してしがみつくようなものでもないでしょう?

202頁より

「私、あんまり自分が写真に写るの好きじゃないの。(中略)自分が写ってる写真を見たら、ちょっとぞっとしちゃう」

302頁より

きっと彼女は彼女で色々なことを経験してきたのだろうなと思う。それこそ既に出来上がっていた関係に自分が介入してしまったことで上手くいかなくなってしまった経験も。
無意識のうちにその地で思い出を作ることよりもいかに問題なく平和な日々を送れるかということを優先してしまってるのかなと感じた。
そうじゃなきゃオーディション辞退しようかなんて言わない。彼女なりの自分を守る術なんだとしたら何も言うことはできないよ。


もう一つ。

それなのに、久美子は本能的な不快感を覚えた。
(中略)
真由のことは好きだ。いい子だと思う。だが、踏み込まれると抵抗がある。距離を縮めることに困惑する自分がいる。

353、354頁より

本能的な不快感。きっとそう言い表ことしかできない感覚。なんとなくわかるけど。
久美子と真由に関しては同族嫌悪、みたいなものかなあと考えている。
黒江真由に関してはまた後編でも述べられたら、と。


最後に

「自分が嫌なことを避けられるかどうかで、生きやすさは決まる。立ち向かうことも大事だが、意外と避けてもやっていける。若いうちはプラスばかりを追い求めがちだが、マイナスを減らす考え方も間違いではないということだ。」

342頁より

この最終楽章の前編で一番響いた言葉はこれだったりします。

私は性根が腐っているので、どうやったら嫌なことを避けられるか+どうやったら自分にとって一番大切なものを優先できる環境にできるかという観点からしか自分の進路を考えていません。
やりたくないことから徹底的に逃げています。もちろんその中には逃げたら色々な意味で自分が死んでしまうものもあるし、絶賛足掻き中のものもあります。
そもそも卒論と勉強をしなきゃいけないのに読書記録を優先してしまっている時点で詰みですけどね。

嫌なことを避けることって「逃げ」にとられることが多いですけど、避けられる嫌なことを避けない理由ってないですよね。
嫌なこと=壁を乗り越えてこそって言ったりもしますけど乗り越える必要がない壁だってありますよ。それは逃げじゃないです。それも選択の一つ。

だからこそ大事なのは自分の選択から逃げないことですよね。
嫌なことから逃げてもいいから自分でした選択にはきちんと責任と覚悟をもって向き合いたいです。
どうでもいい話でした。

この最終楽章では久美子たちの進路に関わる話も多く出てくるので何度も自分に置き換えて考えてしまいます。
私にとって、滝先生も美知恵先生も、お世話になった先生の一人です。
すげえなあ。

以上、どうでもいい話をしてしまいましたが5冊目の読書記録を終わります。
また後編で会いましょう。