日記 20230308

 今週はものすごく忙しかった。普段私は在宅の仕事をしているのだが、取引先に請われて、出勤の必要な仕事をしていたのだった。実際月曜日に事務所に行ってみたら、事前に頼まれた以上の量の仕事を期日内にやって欲しいという話にすり替わっていた。時給でなくて出来高払いなので、やればやるだけ手取りが増えるのでまあいいのだが、余分の仕事をするくらいなら原稿を進めたかったので何とも言えない気分になった。子供が学校から帰ってくるまでの時間しか勤務できない私は、できれば事務所外に持ち出して欲しくないような仕事を、結局家に持ち帰ってやっていたのだった。
 
 しかしその仕事が予定以上に早く終わり、今日、金曜日は午後一番のオンライン講座まで執筆に充てることにした。ここ半年、仕事を前倒しにしてやっても、執筆の時間が十分割けないことに気付いた。仕事を先に済ませて夜執筆しようと思っても、その頃には眠くなったりだるくなったりしてしまうのである! 
 そのため、先に一日で一番頭の冴える時間を執筆用として確保して、残り滓の時間で仕事をすることにしたのである。仕事が間に合わないかもしれないという切迫感が、効率アップにつながっている側面もある気がする。これも、仕事にそれなりに慣れてきて、抜群のクオリティではないにせよ、要求水準を満たすような仕事をよれよれ状態でもやれるようになったからだと思う。

 オンライン講座で、太宰治賞にひっかかった報告をすることが楽しみだった。賞に出した作品は講座で見てもらったものではないが、その前から付き合いのある先生で、私のぐだぐだに長く付き合っていてもらっていたうちの一人だからだ。しかしZoomの画面越しでは、そして他の受講者の手前なのか、思ったほどはハートフルな展開にならなかった。
 おそらく私が期待したのは、直木賞作家も担当したことがあるという事務局のダンディな編集者からもコメントをもらえることだったのだ。彼も内心「おっ」と思ってくださったかもしれないが、彼は何も発言することはなかった(そもそも通常の状態では、先生と発言者以外はミュートすることになっている)。
 彼との間には、以前新潮新人賞に作品を送る際、先生に追加料金を払って特別講評を頼んだ時の思い出がある。なかなか書ききることができず、「もう途中書きでも、今の時点での作品を先生に送って見てもらった方がいいのではないか」と弱音を吐く私に、彼は「現時点での最善を送るべきです」と叱咤してくれた。作家と編集者の関係を疑似体験させてくれた恩を勝手に感じていたのであった。

 講座を受講しているのは三人で、そのうち一人は年金暮らしらしき男性で、歴史に取材したエッセイ風な物語をずっと書いている。彼の話はとにかく長いので、たまに「私の講評の時間が削られないだろうか」とひやひやする。もう一人の受講者は、職場の昼休みを抜けて受講しているようで、いつも遅くやってきて途中で抜けてしまうのだが、もしかしたら彼の語りを聞くのが面倒だからそういう設定にしているのかもしれないと今日思った。
 しかし、彼がもし淋しい老後の話し相手欲しさに講座を受講しているのだとしても、責められはしない。彼は決して少なくないお金を毎月払い、自分で頭をひねって文章を書き、投稿しているのだから。スターバックスには、若い女性店員と話したくて、なかなか注文せずカウンターで自分語りしたり、店内を巡回する店員を呼び止めたりする中年男性が少なくない。

 金曜日は習い事の送迎の日なので、子供が習い事をしている間、習い事をしている建物に一番近いコメダで過ごすのが私のルーティーンになっている。仕事が忙しい時は仕事、忙しくても創作を優先するのだという時は創作なのだが、今日は夜創作をするために仕事をしていた。
 私の背後のボックス席に、片方は敬語、片方はため口の二人客が座った。小児科とか先生とか〇〇(地名)のクリニックがとか健診がとかいう話が出ていて、MRと医師とか、MRの先輩後輩とか、医師と薬剤師とかいう関係性らしい。敬語で話す方の男が、「医師って真面目な職業ですかあ?」と馬鹿にしたように笑っていた。女癖が悪いとかそういうニュアンスの発言だった。「〇〇先生は元々△大出身なんだけど、在学中に学校と揉めて飛ばされて、▲大に行ったんですよ。だから息子の◎◎先生も▲大で」云々。親の失敗が末代まで影響する世界なのかと思う。

 本当は出勤した日の描写風日記を書く予定だったのが、本当に忙しくて説明的な日記しか書けない。オンライン講座で停滞している原稿についてアドバイスをもらったので、週末でなんとか書ききりたい。無理かな。

 今週はこのあたりで。

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