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最近の若いもんは

 久しぶりにねぽりんはぽりんを視聴する。今回は「特定が得意な人々」がテーマだった。

 特定といって、ピンとくる人と来ない人がいると思うが、SNSにおける特定とは、匿名のアカウントの中の人が誰か、あるいはどこに住んでいるのかなどを、そのアカウントのアップしている情報などをつぶさに調べ上げて特定する行為である。そういう人たちは、たとえば芸能人がアップしている写真の背後に映っている看板や、お風呂のバスタブ写真からその人の自宅をいとも簡単に特定してしまうらしい。

 番組には特定するのに長けた女子大生が出演し、彼女が特定スキルを利用して好きな人と交際に至った経緯について語っていた。まず、星の数ほどあるアカウントから、どうやって目当ての人のアカウントを見付けるか、そして見付けたアカウントがもし非公開アカウントの場合、どうやってその中に潜入するか。説明されれば「なるほど」と思えるのだけれど、それだけの情熱というのだか執念というのだかを発揮できるのがとにかくすごかった。

 彼女が好きな人のアカウントを特定して承認をしてもらうまでに一か月、交際にこぎ着けるまでにさらに三か月かかったそうで、その長さだと普通にアプローチしたのとあまり変わらないか、むしろ早いような気がする(ちなみに彼女の相手はアプローチ開始時点で他に恋人がいた)。そして、彼女ほどのスキルというのだか、執念というのだかはないのだけれど、特定のプロセスに妙な共感があった。

 世の中の人は、あまり慎重にアカウント運営をしていないと思う。だから、別に特定してやるぞという強い気持ちがなくても、アカウント名、アカウントのフォロー状況、つぶやき内容を少し見るだけで、どのアカウントがあの人の裏アカウントだ、というようなことを簡単に特定できてしまう。その人が迂闊なのだというわけではなく、特定の人に特定されたい(見つけて欲しい)がために、これは自分だと推察できてしまうような情報を敢えて散りばめているのだと思うが、そのせいで、特に見つけられたいと思わない人にまで見つかってしまうのではないかと思う。もうほんとね、別にこちらは見たくもないのに、そういう迂闊な運営しないで欲しいと声を大にして言いたい(注 もうTwitterはやってない)。それで大した手間もかけていないのに(なんならTwitterの機能として、誰かの裏垢をオススメされて知ることになることもあるのに)、こっちがネットストーカーみたいになるのは本当に釈然としなかった。

 と、Twitterへの呪詛が出始めたところで話題を元に戻すと、好きな人の鍵アカウントに潜入し、彼の好みや性格、人たらしの傾向にある彼の素の姿を知り尽くす一方で、交際している彼女のアカウントを監視して、破局が確認でき次第、リアルでアプローチするという手法でゲットできた彼氏だったが、結局かなり早い時期に別れてしまったそうだ。というのも、特定というマスターキーを使って(というか自分でそのマスターキーを作って)交際にこぎ着けたことへの罪悪感があったらしい。彼が、「俺たち、(同じ古着好きなんて)気が合うよね!」という時に、特に心がずきんとして素直に頷けなかったそうで(そりゃ、彼に合わせて古着を着ていたのだから、そうなる)。随分前からアカウントを見ているのだけれど、そうだと知られないように考えながら会話をするのも面倒だったそうな。

 しかし、昭和の時代だって、たとえば彼の友人に彼の音楽の好み、食べ物の好み、好きな子の好みを聞き出して、彼が好きだという芸能人の外見に自分を似せてみたり、偶然同じ食べ物が好きだというように装ったりというようなことはしていたと思うのだ。そういうことで付き合えるようになった人と、SNSというツールを使って情報収集して付き合えるようになった人の罪悪感は、どちらがどの程度高いんだろうか。前者だってやりようによってはストーカーまがいであり、「俺たち気が合うよね!」を作り込んでいる訳だ。たまたま交際にまで至ったからいいようなものの、特に好きでもない人に自分の身辺を探られるのは、そんなに気持ちのいいものではないと思う。

 また、番組でYOUが、「真っ向勝負をしたって付き合えたんじゃない? この番組でも話が上手いし、容姿だって可愛いのに」と彼女に言った時の彼女の返答が、「真っ向勝負をするのがストレスだから、その勇気をもらうためにSNS(の情報戦を制する)」だったのが印象的だった。真っ向勝負が怖いのに、交際はしたいんだ、と思ったし、真っ向勝負が怖い人の交際は真っ向勝負じゃない、本音の付き合いじゃない何かなのかと思った。最近は推し文化というのが定着してきたけれど、それも真っ向勝負が怖いから来ているのかもしれない。好きなアイドルなどの情報は得たいけれど、情報だけで十分、というような。ファンと言うのではなく推しという曖昧な言葉を使うのにもそれが現れているように思う。言葉は、ただファンというのが古いから、新しい何かを求めて付けられたという程度のものかもしれないけれど。

 これに関連させて、私が今家庭教師をしているJKとの会話に結び付けていきたかったのだけれど、なんだかうまくまとまりそうにないので、その話はまたいつか機会があったら。

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