20240319日記

 子供の学校が卒業式で、在校生は休みだったので、友達親子と連れ立って某テーマパークに行った。そこへは下道で行けるはずなのだが、慌てていて自宅を出る時の方向を間違えたせいでナビが妙な道を案内してきた。それでは待ち合わせより二十分遅くなってしまう。おそらくあの道だろうという道まで自力で復帰したら、そこは朝のラッシュで長い渋滞ができていた。仕方なくGoogle先生を起動。やや遠回りだが行きだけ高速を使って現地に着くと、待ち合わせ場所のコンビニに他の三組の車はまだなかった。

 このメンバーで集まるのはもう二年か三年くらいになるのだけれど、遠出する時の持ち物、ひらたく言えば子供たちに配る菓子についていつも悩む。
 暑い時期にチョコはダメというごく基本的なことにはじまり、駄菓子じゃなくてナチュラル系っぽいお菓子がいいかなあとか、味違いのものがある場合、二種類くらい選んであげたらいいかなあとか、男児向けと女児向けでお菓子を分けた方がいいかなあとか。あるいは、今日は食事処に行くのが決まってるから、お菓子は軽めにした方がいいかなあとか。どうも、友人たちのお菓子選びは私より何段か上手いような気がしてしまうのだ。
 夏にどこかに出掛けた時は、「普段は親として買いたくないけど、あったら実は嬉しい」という感じのお菓子を個包装で用意している友人が二組もいて、うちの持ってきたお菓子が(暑い時期だというのを考慮して準備したものだったにも関わらず)子供たちに不評だったこともあって「今回は失敗できない……!」という気迫で挑んだのである。大袋の菓子をあけて何種類かIKEAの袋に詰めて、なお足りないような気がしてサクマのいちごミルク飴を一粒ずつ忍ばせた。中に入れたジューCというラムネ菓子が子供に好評で、ほっと胸を撫でおろした。

 しかしである。
 「明日は待ち合わせのコンビニでお昼を買おうね~」というノリだったので、みんなそうだろうと思ってへらへら手ぶらで行ったら、二組が完全お弁当(ただし、お弁当では足りないと主張した小学生男子は追加でパンを買っていた)、一組はママだけ持参したスープジャーのスープ+コンビニおにぎりだったのだ。なにそれ! スープジャーとかお洒落!!
 前日に創作を書きあげたばかりでへろへろだったし、皆コンビニで買ってるのにうちだけお弁当でも「丁寧な暮らし感」が出ていやな感じかなあ、と自分が思ってしまうかなあと思って、オールコンビニにしたのにぃ! と、やっぱり妙に負けたような変な気分になった。
 お菓子ではうまくいったので一勝一敗というところだろうか。

 その施設は色々な歴史建造物を移築してできたテーマパークなのだが、それ故ちょっと大人のデート向けなスポットなのである。しかし、近年謎解きイベントが頻繁に開催されていて、建築にそこまで興味を持てない子供達でも飽きないだろうと、謎解きに挑戦することになった。何度も謎解きに参加したことのある友人を先導に、パーク内を進んだ。
 なんとかクリアできたのだけれど、そのクリアの過程が面白かった。謎解きの一番の山場で、A→B→Cの順に謎を解かねばならないところがあった。全員Aでつまずいたのだけれど、一人が「Cから逆算しよう!」と物理的行動に出た(これを読んで、「ああ、あの施設ね!」と思う人もいると思うので、ネタバレを避けてこう表現する)。
 あーでもないこーでもないとやっていたその友人、「こうじゃない!?」とCの謎を解いてしまったのだ。結果、無事ゴールに辿り着けた。
 でも、AやBは一体なんだったんだろう……と気になった私は、振り返ってAの謎を読んでみた。「これ、こっちからじゃなくこう見るんじゃない?」冷静な頭になったら、つまずいていたところがはっきり見えた。
 全員、「あああああーー!!!!」と大声をあげて、すっきりした気持ちで謎解きを終えることができたのだった。
 考えるよりも行動する人と、考えてから行動する人の強みを目の当たりにしたような体験だった。いずれ創作に活かそうと思う。

 帰宅後、上の娘がぐだぐだ調子悪そうにしていて、布団に入っても横になっていられないと半身を起こしてしまった。詳しく聞くと、げっぷが出て気持ちが悪いと言う。
 この子は外出するとよく、寝られなくなったり、妙に心細くなるのかへなへなになったりする。泊りがけの旅行などでは、美味しい食べ物を食べるのが楽しみの一つであるはずなのに、普段の半分も食べられないことさえある。
 なんとなく思いついて、「炭酸を飲んで、お腹のガスを一緒に出しちゃったら」と言った。家族にスーパーで炭酸飲料を買ってきてもらい、彼女に飲ませた。今日のお出かけは楽しかったし、嫌なこともなかったらしいのだけれど、彼女なりに気を張っていたようだ。無意識に空気を飲み込んでいたのではないかという話を彼女にすると、なんとなくほっとしたような顔をしていた。
 私も小さい頃は多分、こんな子供だったと思う。げっぷに苦しむということこそなかったけれど、知らず知らずのうちに溜め込んだものを出せなかった。でも私の母は私の気持ちを汲んでくれることはあまりなかったと思う。「お母さんもそうだったよ」と言うのではなくて、「お母さんはもっと強かった、しっかりしなさい」というようなことを言う人だった。
 母への恨み節というのではない。どちらがいいのかは分からないと思う。「お母さんはもっと強かった」と言われて、自分もそうなろうと思える子もいるはずだし、「お母さんに似たんだねえ、わかるよ」と言うことが、「こんな風に産んでくれなきゃ良かったのに」という気持ちを大きくさせるかもしれない。
 ただ、自分がされたかったことを娘にすることで、私が少し救われたということは確実に言えるなと思った。
 大きなげっぷが出て、娘はずいぶんすっきりとした顔になった。「一人で寝られる」と言い、私のブランケットをお供に、既に寝入った下の娘のいる寝室にあがっていった。

サポートいただけたら飛んで喜びます。本を買ったり講習に参加したりするのに使わせて頂きます。