乗り鉄というほどでもない話

 二泊程度の旅行なら、キャンバス地と言うにはもう少し毛羽が長い、アニエスベーのミニボストンに入るだけの荷物しか持たないようにしている。大学時代、一番親しくしていた友人は恐ろしく旅上手で、荷物一個というポリシーも彼女から勝手に引き継いだものだ。ただ今回の旅行は真冬なので流石にボストン一つでは苦しく、また実際ボストンだけでは色々と不便なので、ウェストバッグにもなる小さいリュックに財布、ハンカチ、本、小さなお菓子、青春18きっぷを入れた。

 公式には盆休みがない職場で、個人の業務の繁閑に応じて休みを取れることになっていた。顧客企業の多くがお盆休みなので、家族持ちの職員はやはりお盆に長期休暇を取る傾向にあったが、独身の職員はオフシーズンの旅行や帰省を楽しんだ。ただ強制的に休みが取れないのも考えもので、修行中の若手に休む資格などないし、責任のある管理職にも休む資格などないという考えの所属長は、会社が推奨する日数をきっちり休む若手に苦々しい顔をしていた。そんな訳で休暇前は「休んで何が悪い、クソ所属長!あんな職場放擲してやる!」という荒ぶる私と、「こんなに仕事がボロボロなのに休んでいいの?休みの間、仕事関連の勉強をした方が良いのでは」という弱気な私と、「さてどこを見て回ろう、電車のダイヤも調べなくちゃ」という現金な私がいちどきに自らを主張するので姦しかった。仕事を前倒しでこなそうとして、結局思った程前倒し出来ずに前日深夜までパソコンにかじりつき、やけくそで荷造りをして電車に飛び乗るのもいつものことだった。

 上司に帯同して毎週のように利用する在来線は、顧客の最寄り駅を通過して友人の住む街も越えていく。もっと西に向かう電車に乗り継ぐために一旦電車を降りると、空一面に細かい雪が舞っていた。そんなに山深い印象はないのに、新幹線で通過する時もこの駅周辺だけはいつも白く、時に速度を緩めて走行している。その印象が強いので、夏場に旅行する時もなんとなく寒々しい印象がこの駅にはある。

 最初の一人旅は京都だった。今日と同じように鈍行を乗り継ぎ、ユースホステルに泊まった。その後何度も一人で国内を巡ったが、普通のホテルに泊まりはじめたのはごく最近だ。あの頃は一人旅に後ろめたさと淋しさがあったのだと思う。自分一人のために贅沢をするより、巡った寺社の数なり美術館なり、旅行を通じて何らかのものを持ち帰らないといけないと思っていたし、ユースホステルに泊まることで、他者と交流できる可能性を取って置きたかった。長らく恋人が居なかったので、意気投合できる人が居たらいいのにという宝くじ程度の期待もなかったと言えば嘘になる。私は初対面の相手には抵抗が薄く、向こうから話し掛けられればある程度感じ良く応対できる自信があった。しかし実際泊まってみると案外オープンマインドな人は少なく、自分から話し掛ける勇気もなかったので交流などできなかった。今思えばよくそんな所に、そんなあやふやな期待を含めて泊まったなと思う。ユースホステルは相部屋が基本で、大抵あてがわれた二段ベッドか三段ベッドの一角以外は共同スペースなので、一人でゆっくりすることなどできない。日常から離れて一人になりたくて一人旅をしているのに完全に一人になれず、さりとて他者の交流もできない、そもそもそれも根本では期待していないのにそこに泊まるのは、自らをダブルバインドで縛る修行のようではないか。

 そう、一人旅は修行なのである。私は本を最低四冊は持っていく。それで電車での移動中ずっとそれを読んでいる。長椅子で、コンパートメントの窓際で、単線のワンマン電車の隅で。隣に座る人は次から次へと替わり、空いて来たら膝に置いていた荷物を脇に置いて、ひたすら読む。折角の旅行なのだから車窓の風景も見ないと損だとたまに顔をあげるが、刈り取られた稲の断面が規則正しく並び、遠方に黒っぽい山並みが延々と続く光景にじきに飽き、また活字に目を落とすということを繰り返す。ずっと座っている尻はじりじりと痺れるような感覚に襲われている。旅行先で何をするかももちろん重要であるが、自分としてはこれがしたくて旅行をしているようなもので、大変に満足ではあるのだが、本当に自分はこれでいいのかと思うし、何もしていないのに段々グッタリしてくるし、本を読むだけなら家で寝ころんで読んでいた方がいいのではないかと思い始める。あるいは誰か他の人と連れ立って旅行すればいいではないかとか考えたりもする。事実入社して一、二年は入社時期が近い人同士で山に登ったり近場のお出掛けに行っていたではないか。

 でもそれでは駄目なのだ。私はきっと誰かがいると段々気詰まりになるに違いない。相手がなかなか注文を決められないことや、どちらが先に風呂に入るかで、お互い希望はあるのに遠慮して言い出せない空気とか、部屋で飲むお酒を本当はもう少し買いたいのに相手は下戸だとかいうような事に段々疲弊してしまうだろうから。

 わざわざ鈍行に乗るのは、これから非日常に向かう実感を得る為だ。ただそれだけでは無為すぎるので、普段なかなか読みたくても読めない本をここぞとばかりに吸収するのだ。でもそういうことを旅行の間中何度も反芻して確認してしまう位には、やっぱり私は孤独で、誰かとの温かいとまではいかなくとも、常温の交流を欲しがっているのだった。そして、恋人と内容のない旅行(そう、恋人と一緒なら行先はどんなつまらない所だって構わないのだ、会話すらああ楽しかったという後味だけが残って、内容など忘れてしまって構わない)をした方が楽しいだろうけれど、それを期待できない分、自分のやっていることに過度に意味を見出さないといけない気持ちになっていたのかもしれない。

 それでも一人上手になってくると、もうあちこち躍起になって見て回るのはやめて、宿も料理も少しいい所にして、早めに部屋に引っ込んでのんびりしようと思い始める。まあ結局部屋でも本を読んでいる訳だけれど、くつろいだ格好でいられる分、修行している感じからは幾分離れるのである。そんな風にして行った旅行先は鳥取、島根、広島、福井など多岐に渡るが、丁度私が一人旅を習わしにするようになってから、「女性のおひとり様歓迎」の雰囲気が醸成されてきたので、旅で不快な思いをしたことはない。昔は女の一人旅は自殺を企図していると警戒されたそうである。

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