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二年詣り

 毎年、ウェイな若者たちに混じって近所のお稲荷さんまで二年詣りに行くのに、今年はコロナのせいでどこにも行けないのだった。もっとも、去年二年詣りに行った折りには、感染拡大を恐れて年越しの振る舞い蕎麦は数量限定の有料蕎麦に変わっており、私がようやく境内に入った時にはそれも売り切れていて、仕方なしにお供え用のお神酒と油揚げのセットを買ってお神酒の方は飲んでしまった。二礼二拍手一礼をした後、神社の若い衆からお神酒の振る舞いがあって、そこでもまた飲んだ。ウェイな若者たちなどは何杯もお代わりをしていた。若い衆といっても地元の青年会のメンバーだから、青年といっても一番下が三十代で主力は五十代、そろそろ徹夜はキツいお年頃なのであくびを噛み殺しているし、お神酒と缶コーヒーを交互に飲んでなんとか目を開けようとしている。その中に、中学の頃ほのかな恋心を抱いていた曽我君らしき人がいるのを発見した。いやいや、曽我君とは中学卒業以来会っていないのだから、お神酒の樽が置かれている白いテントの奥で器を洗っているおじさんがそうかどうか断言はできないのではないかと自分で自分にツッコミを入れたが、ツッコミを入れる代わりに私は二杯目の振る舞い酒を要求していたのだった。お姉さんよく飲むね、まあ若い子は日本酒のまないし、未成年には飲ませられないから飲んでもらった方がいいんだけどと、私が明らかに成年に達している外見であるということを遠回しに言われるのに少しカチンと来るも、飲ませてもらえるなら飲もうじゃないのと杯を煽ったところ、それは甘ったるいカフェオレだった。うええ、この取り合わせは最悪、あんたらよく飲めるねとカフェオレを寄越した奴に文句を言うと、じゃあこれを食べなよと餅入りのうどんをくれたのだった。青年会ってばズルい、しかもこの餅搗きたてじゃないの、そりゃ仕事もしているから美味しい思いもしたっていいじゃない、でも私は本当は蕎麦が食べたかったのだった。うどんはいっちょまえに柚子の刻んだのがちょんと上に載っていて上品な白だし仕立てであったが、私は塩っ辛く甘ったるいどん兵衛関東出汁の気分だったのだ。そんなの家で食って来なよおばさんと、通りがかりのウェイな若者が言った。その若者は後のせサクサク天ぷらのチャックを開けて小銭を出し、露店のたこ焼き(しょうゆ味)を召喚していた。

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