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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

読んだり観たりしたものまとめ

 夏休み中に読んだり観たりしたもので、感想を言いたいものについて感想をだらだら書いていく記事。なるべく核心には迫らないようにはするけど、あまりネタバレに配慮しないので、気を付けて読んで欲しい。
 また、私はどのような感想も意味のあることだと思うタイプなので、否定的な感想も書くと思う。口汚い否定ではなく、その感想が作品の理解を進めることになったり、自分の何かに活かせることができたりするように書くつもりではあるけれど、「自分がいいと思ったものは絶対に否定されたくない」と思う人は、見出しを見て該当部分は避けるなど自衛をしていただけると幸いである。


舞台「千と千尋の神隠し」

 お友達に誘われて観に行った舞台。舞台の観覧は、子供向けの舞台以来なのでは、というくらい観ていないので、果たして自分に合うのか、ちゃんと感動できるのか(お友達の手前、白けた態度しか表明できなかったら嫌だなあという意味)ドキドキだったけれど、めちゃくちゃ良かった。
 事前にお友達から、このカンパニーのNHK特集番組を紹介してもらっていた。まとまった時間がある時に視聴しようと先延ばしにしていて、結局舞台を見に行く週に慌てて視聴したのだけれど、その予習があったおかげでより楽しむことができたと思う。
 アニメの世界を舞台にするので、技術的に難しい点が沢山あったということだった。特に私が印象深いと思ったのは、湯婆々演じる夏木マリさんのシーンだった。湯婆々が怒る時は、生身の人間の顔ではなく、大きな張りぼてのようなもので顔を舞台いっぱいにみせるような演出をすることになっていたのだけれど、夏木さんが「俳優として一番感情を出したい時に、パぺット(ここでいう湯婆々の顔の張りぼて)に持っていかれてしまう。だから演じ甲斐がない、感情の入れどころが分からなくなる」というようなことを言っていた。そういった演者や運営スタッフの意見を聞きながら、でも演出上、あるいはこの劇の哲学上これは譲れない一線なのだというところは譲らないという演出家の姿勢には学ぶべき点が多かった。
 実際の舞台は、ただただ生身の人がそこで体を張って演じているという時点で想像以上の迫力があって、終始感情が揺さぶられていた。群舞は物語のクライマックス部でもあるので、感動するのは当たり前ではあるけれど、ストーリー以前に、多くの人が一つの何かを表現するためにこんなに体を動かし、訴えかけているという事実だけで泣けてきてしまった。あまり舞台芸術に明るくないのだけれど、ところどころバレエのような動きもあり、舞台の人にはバレエもコンテンポラリーダンスも役者としての演技も地続きなのかもしれないけれど、分類はなんでもよくて、何か伝えたい事がある時に表現される形は実は収斂して一意に決まるのかな、みたいなことを思った。数学の公式は何故か美しい形になるものが正しいという話のような。意外で美しくてとても良かった。

宝塚星組公演ライブビューイング「1789」

 こちらも、別のお友達に誘われて……というか私が興味があって食い気味に同行させてもらったもの。「1789」はパリの革命前夜を題材としたお芝居で、私にとって宝塚歌劇団のお芝居は初体験だった。
 ライビュなので音響がいいのか生の声がいいのかはよく分からない点があるけれど、宝塚の良いところは歌なのだな、という印象を持った。もちろん劇の内容自体、感動的なものだったり考えさせられるものだったりするけれど、それ以上に彼女たちの歌に、心揺さぶられる点が多いのだろうと思った。また、宝塚という一つの大きな夢を見ている人達が、それを心から信じて演じているという点が、宝塚の大きな魅力であり、それに人々が惹きつけられるのだろうなと思った。
 私が視聴したのは千秋楽のものだったので、この公演で退団する人のインタビューなどがあり、その様子もグッとくるものがあった。皆さんプロなので泣かないし、涙は流れていても笑顔で話をしているのよね。本当にすごい。そういうプロの態度は、宝塚というお城で叩き込まれたものなのだろうと思う。

「往生際の意味を知れ!」

  多分noteでもワーワー言っていた気がするけれど、すごく良かった。スピード感と先が分からない感じ。今日(8月30日)に最終巻の8巻が出るので、皆買って読んでみて。いや、ラストまで走り切れているか分からないけれど。
 タイトルが示す通り、執着の話。複数の人々の様々な執着が入り乱れる。主役の一人、海路くんは創作者でもあるので、彼の、人と創作への執着はとてもよくわかる。そんな執着、手放した方がいいに決まっている。そんなことは良く分かっているけれど、それでもその執着が何かを動かすこともあるし、もはや自分の一部になっていて諦めきれないのだ。ちなみに作者は一度も恋愛経験がないそうで、それなのに(といったら失礼なのは重々承知だが)こんなのを描けてしまうのだから、「経験しないとうまく描けない」という言い訳をしてはいけないね、と思う。 

「キラキラとギラギラ」

 どこかで広告を見て即買いしてしまった。このサムネを見ても出オチ感あるというか、大体分かると思うけれど(分かるか?)、もうね、もうね。
 どちらかというと重たい話を喜んで読みがちな私だけれど、漫画に限っていえば、「くっっっだらねーーーー」とげらげら笑う作品が結構好きで、私の本棚はくだらない系とシリアス系にざっくり分かれている。くだらない系のネタバレは万死に値すると思ってるから詳しくは言えない。読んで。

「瓜を破る」

 これは電子で何冊分か読んだ。単行本にしたら一〜二巻分くらいなのかなあ。三十代で処女の主人公が、なんとか初体験をしたい、というところから始まる話で、最初はもっとエロに振れた話かと思っていたけれど、実際はいい年までまともな恋愛も、あるいは人間関係も築けてこなかった人が奮闘する話だった。一見うまく世の中を泳げていそうな人もそうでなかったり、自分がしていることが自分には見えていなかったり。主人公以外にもスポットがあてられる群像劇のような感じで、でも登場人物に向ける作者の目には愛があって(どの人もあまり悪しざまに描写しないし、さりとてあまりにご都合主義な展開にもしない)、読みごたえがあった。

「海が走るエンドロール」(五巻)

 四巻まで読んでいたのだけれど、ずっと踏み込みが足りないと思っていた。しかし、先日noterのたけのこさんが四巻までのあれこれは五巻のためにあったんだというような記事を書いていたので、「これでダメだったら続刊は買わないぞ」という思いを込めて買ってみた。
 確かにうみこさんの悩みや内心を一番深く掘り下げていたのが今巻だった。でも……私としてはまたしても、もう少し掘り下げて欲しかったと思ってしまった。
 私が今そうなんだけど、もう創作やめちゃおうよ、疲れたし、辛いし、あまり上手くないらしい私がやる意味なんてなくない?という時期はある。そこの描き方は上手かったと思う。でも、うみこさんはもう戻ってこないんじゃないかと周囲に思わせるくらい落ち込んでいるのなら、創作は自分を描写するという行為で、自分の尻尾を自分で食らうような、不毛な行為だな、やめたいなと思っていたのを「いや、やっぱりそうじゃない、私は創作する人なんだ!」と再び立ち上がるきっかけをしっかり言葉で描写すべきだろうと思う。あるいはその前段階で、うみこさんが「疲れてしまった」原因をもう少し丁寧に描写すべきだった。うみこさんが疲れたのは、身体的なことばかりではなく、自分を掘り下げることの苦しさでもあったはずだ。その辺りを匂わせるだけでもいいから書かないと、もう映画は辞めようかなと思う理由も、やはり撮るべきだと立ち返る理由も分かりにくくなる。
 私が思うに、そこのところをぼやかして雰囲気で描いてしまうのは、おそらく作者自身が創作を続けることに常に疑義を感じながら描いているか、うみこさんに「やっぱり〇〇だから、撮らなきゃ(創作しなきゃ)」と明言させると嘘っぽくなるから描けないかのどちらかなのだろうと思う。でも、たとえ怖くても〇〇をはっきり明言すべきだろう。賢明な読者は、その〇〇を一般的なものではなく、うみこさんにとっての答えだと受け取ってくれるはずだ。
 このように、肝心なところがはっきり書けない、無意識か意識的かにせよふんわり避けてしまうのは私にも心当たりがあるので、人の振り見て我が振り直せだな……と。つらい。五巻はいい掘り下げのところもあったのに、それが生かしきれていなくて勿体ない。この作者にとって初の五巻らしいのだけれど、「初の五巻」の人だってものすごい説得力で描ける人もいるから、この作者のクセなんだろうと思う。

「水星の魔女」

 夏休み中に1クール分だけ観終えた。百合要素もあると言われている話だけれど、主軸は自立しようとする子供と親の葛藤かな。
 既に多くの論評がされている作品だと思うので、私から取り立てて何か言うことはないような気がするけれど、せっかく感想を書くのだから、一点だけ、一番感動したところを書く。
 学業優秀で超大企業のCEOの娘であるミオリネが、いくらガンダムの操縦技術に長けているとはいえ、なぜ田舎から出てきたどうも垢抜けないスレッタのことを構うのか、ずっとよく分からなかった。親に勝手に結婚相手を決められるのを避けるために、スレッタのことを利用しているだけでは?と。その疑問が、回を追うごとに解消されていくのがとてもよいと思った。核となるところはしっかり説明し、視聴者に作り手側の考えを共有させなければならない。

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