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赤インク生活から逃れたい

 赤インクを大量に使うのに、近所のどの店にも赤インクのカートリッジ、または瓶インクが売っていなかった。ある店では、取り寄せしてもいいが、注文した十個単位全部買い上げてくれないとと言われた。通販では、本体より送料の方が高く付く。実店舗に行く交通費より安いと言われればそれまでだが。

 しかし、近隣のスーパーで一店だけ、一個単位で取り寄せすると言ってくれた店があった。そこの担当者は、少なくともしばらくの間は、このように注文できると断言してくれていて心強かった。

 最近、瓶インクの二度目の注文をした。スーパーはパートさんが入れ替わり立ち替わり勤務するので、事情を知らない人が出たらしい。面倒くさいなあというような応対をされ、今後はこのような特別扱いはしませんから、と嫌味まで言われた。振り返ってみれば、確かに特別扱いをしてもらっていたのだと分かるけれど、当時はそれがサービスの一環だと信じていたし、少なくとも私が店に強要して、どうしても取り寄せてくれと言ったわけではないのに、こんな言われ方をされるのは理不尽だと感じた。

 このことを友人に話したら、お客様センターに文句を言うべきだと彼女は言った。ただ、それに私はまだ踏み込めずにいる。すべてのお客様に均一のサービスをという店側の(というか、そのパートの人の)主張は分かるからだ。私(と友人)がモヤモヤしているのは、店のあるパートの人が厚意でしてくれていたことだったのに、こちらのせいにしたという、今回の窓口の人の言い方の悪さに尽きるのだから、その言い方の悪さについて文句を言うのは品位に欠ける気がしたのだ。言い方が悪いと抗議したって、お客様商売である相手を黙らせ、溜飲を下げることができるだけでリターンが少ないというのもある。なんなら抗議することで、憎悪が却って増幅する。抗議したってまたインクを取り寄せてもらえるようにはならないのだし。

 しかし、私がモンスター消費者でした、で終わらせるのも何か違うという気がする。そもそも、特別対応をしないという方針を徹底しなかったのは店側のマネジメントの問題であるのに、私のせいにされたらたまったものではない。
 ただ、抗議することで、その店になんとなく行きづらくなるのは不便だ。店側は、私が抗議しようがしよまいが、私のことをモンスター消費者のケのある顧客だという認識は変えないだろう。

 こんなことを書いたのは、店側と私の側、どちらが正しいのかと読者に問いかけるためではない。少なくとも私はどちらにも言い分はあって、どっちともつかない話なんだと思った。そういう時、私側としては、どうしたら外交上手といえるんだろうか。言われっぱなしでは負けだから、やんわり私の認識は伝える方がいいのか? でも、たまたまその日窓口に出た別のパートに詰め寄るのも違うし、担当した当該パートに詰め寄るのも、ただの個人攻撃であるような?

 たとえば国家間のあれこれも、政治上のあれこれも、全部こういうたぐいのことなんじゃないかと思うのである。こちら側は自分の認識した事実の方を正しいと思っているが、相手もまた、べつの事実が事実だと思っている。私は長らく、一つの正しい事実(イデア)があって、その解釈や理解度が違うという話だと思っていたが、多分事実だと思っていること自体が違う。だから、認識がすりあわなくて当然なのだ。そして、(抗議といった)ある行動をすることそのものが、その本来の意図以上に、双方の関係をねじ曲げる方向に働く。それなら、どうせわかりあえないのだから、さらに自分の印象がモンスター消費者になってしまうのを避けて、抗議しないほうが賢いのかもしれない。そして、その店にはなるべく行かないようにする方が。

 とりあえず、赤インクはヨドバシカメラのインターネットサイトで送料無料で購入できることが分かったので、次回からはそこで買うことにしようと思う。そう、衝突回避の方向に舵を切ったのだ。瓶インクはコンバーターに移す時にどうしても手に赤インクがついて、大怪我した人みたいになって、見た人をびっくりさせるので、本当は赤インク生活そのものから脱却したいのだけれど。

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