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デニーズの場所

 今日の記事は、前回の続きのような話。
 祖母の葬式に際して、普段ほとんど会わないし話さない妹と長く話す機会があった。誕生日を祝う時の話になって、私が「私の時はいつも、本当はステーキが食べたかったのに和食のうどん屋にさせられていた」と話したところ、「違うよ、そのうどん屋は冬生まれの私の誕生日の時で、お姉ちゃんの方は洋食だった時も多かったよ」と反論された。いやいやいやいや。
 子供の誕生日祝いは、祖父母とともに外食することになっていた。母はおばあちゃんたちはもうあまりくどいものを食べたくないから、無理に連れて行ってもおばあちゃんの苦虫噛み潰したような顔を見るだけだから、ね、と言って、自分のお祝いなのにしみったれた(と子供には思えた)和食屋にさせられることが多かった。今思うと、それは「母が」そんな祖母を見たくなかったからなんだと思うし、母が「我儘な祖母像」をひたすら意識していただけで、祖母がどこまで孫のことより自分の胃袋のことを気にしていたかは分からない。
 脱線した。ともかく、妹は「寿司かうどん店しか行かせてくれなかった」と主張して譲らない。いや、あなたその寿司店好きだったでしょ……と思ったけれど、私にだって「本当は〇〇に行きたかったのにうなぎ屋とかよくわからん和食屋にさせられた」という記憶は明確にあるのだ。だから、「お互い我慢させられたんだよきっと。しかもお母さん、『来年の誕生日はちゃんと希望の店に行くから』なんて言って期待させて、やっぱり次の年も……ってことあったじゃん? だからお互いより不満だったんだよ」などといってお茶を濁した。

 祖父母の家はまあなんというか子供がいないせいで裕福で、当時において最新のものをポンと買うところがあった。一番初期のジョーバもあったような気がする。私たちが小さい頃は、レーザーディスクのカラオケマシンまであった。今では信じがたいが、当時はでっかいCDみたいな円盤を機械に入れて、それでカラオケをして喜んでいた時代だったのだ。そんなカラオケマシンを持っている家は少なかったから、祖父母の家には度々近所の人が歌いに来ていた気がする。
 祖母が亡くなった時ふっと思い出したのがそのレーザーディスクだった。祖父母の家にあったディスクは演歌や歌謡曲がほとんどで、童謡+ちびまる子ちゃんの主題歌が入ったものが一枚あったきりだった。私達は祖父を喜ばせるために「北の宿から」や「天城越え」などを歌った。
 誕生日の店の話が一息ついたとき、妹が話し始めたのもレーザーディスクカラオケのことで、なんと当時家の近くにレーザーディスクカラオケ店が出来て、そこに家族で行っていたじゃないかと言うではないか。「家だと買ったディスクでしか歌えないから」と。
「ほら、今は〇〇になった……前はコンビニだったところにデニーズがあって、その隣がカラオケ屋だったじゃん」
「ふえええ? だってデニーズは●●駅の近くにあるじゃん」
「いや、あそこ前は京樽だったでしょ?」
「ふえええええ????」

 まっっっったく思い出せない……。言われてみれば確かに、京樽がレストランをやっていて、近くにあったような気もする。しかしカラオケ屋があったとか、ましてやその場所がどこかなんて、ほとんど記憶から抜け落ちていて心底びっくりした。妹も私がその辺りのことを殆ど覚えていないことにドン引きしていた。私、認知症だった祖母を笑えないのでは……。妹に言われて、無理矢理記憶をひねり出そうとしても、それはもはや捏造でしかない気がする。私、どれだけ外界のこと……というか多分、家族のことに興味がなかったの。
 妹がそのようなことを逐一覚えているのは、逆に他のことには気が回っていないということなのだろうと思う。私が忘れてしまったことの代わりに覚えているもの、こだわっていることは何なんだろう。きっとそれは「あの時ああだったよね」という風に他人と共有できるようなものではないのだろう。

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