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高校進学、1年サイ組。

無事に高校へと進学できた小生ではあるが、そこは県立とは名ばかりの建築現場さながらのバラック校舎だった。その名は兵庫県立甲北高校。新設の高校である。この記憶は芦屋とはあまり関係はないが面白いので記録しておこう。

甲というのは地元では六甲山の意味であり、北というからには六甲山の北側にあるべきなのだが、所在地はなぜか灘区にある王子動物園の中。正確には動物園の敷地と同じエリア内にある原田の森・関西学院跡地だ。まったく意味が分からない。生徒の学び舎は“建築が間に合わなかった”という理由で急遽バラックで対応したと云うことだった。

もちろん初めて目にしたときは本当に驚いた。校門は金網で急ごしらえ、校庭はテニスコート4面分ぐらいで、芝なのか雑草なのか緑色をしていた。職員室や生物教室などがあるレンガ造りの旧関学校舎は、西洋建築の趣を感じられるのだが、生徒の教室は素材むき出しのバラック。だから夏になると教室内は激暑である。窓を開けてもその熱気は逃がしようがなく、冬は冬で断熱効果のない薄いガラスは風よけ程度。いま思うとよくもまあ社会問題にならなかったものだ。

ユニークなのは教室の窓からの風景だ。なにしろ実際に動物園の中にある状況だかけに穏やかではない。1組の西側にはカンガルー舎、2組と3組は北側にカバ舎、小生の4組と5組はサイ舎、6組はハンター邸という洋館がすぐそこに見えるのである。ちなみにサイはかっこいいので個人的には気に入っていた。動物園の営業中は結構賑やかで、花見のシーズンともなるとお祭り気分で授業どころではなかった。

それだけに市立葺合高校、松蔭女子、海星女子など周辺の学校の連中には奇異な目で見られていた。ほぼ同じ通学路の松蔭女子(夏は白い制服で有名)の生徒たちからすれば、高校生らしき団体が坂の途中で金網に囲まれたバラックの建物に入ってゆくのだから不思議だろう。もしかすると彼女たちには更生施設かなんかと思われていたかもしれないな。

3年になると不思議なことに今度は学校名が変わってしまう。新設の校舎が東部第4工区埋立地の奥に建てられたことから「県立東灘高校」になる。しかもそれは小生たち1回生のみが対象であり、甲北高校に入学して東灘高校を卒業するという妙な学歴になってしまった。知らない人からすると「この子なんか悪いことでもしたのか?」と思われても仕方がない。

さて新築の校舎は全館エアコン完備の最新鋭施設なのだが、なにしろ工場地帯の真ん中にあるので窓を開けると工場が排出する煙や臭いが襲いかかってくるのだ。特に製油会社の臭いは最悪で、いまだにあの大豆から油を精製する強烈な臭いだけは好きになれない。これならまだ動物園の臭いの方がましだとさえ感じていた。とにかく昭和は当たり前のように我慢を強いられた時代であり、小生たちもそれなりに腹は立つけど、あまり気にもしていなかった。

校庭から海を挟んで見える対岸の芦屋では、近代的なシーサイドタウンの開発が進んでおり、日本を代表する建築家・黒川紀章が設計した超モダンな高層マンションASTMの建設がはじまろうとしていた。ただ、その大規模な海岸の埋め立てによりのんびりとした“白砂青松”の浜辺の美観は失われることとなり、芦屋が違う角度に発展し始めたのもこの頃からだった。






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