Fieldwork #1 Watervliet 1/2
今回のフィールドワークは、アメリカ北東部と中西部にあったシェーカーコミュニティ跡を3週間かけて巡る計画である。
アメリカ北東部はニュージャージに住む友人宅を拠点に、通訳から食事、運転まで大変お世話になった。感謝の言葉しかない。
まず初めに、拠点であるニュージャージーから北上し、2時間ほどで訪れることのできるAlbanyへ向かった。
ニューヨーク州の州都は大都会ニューヨークではなく、実はここAlbanyである。
道中はカナダの山火事による不穏な空気もあったが、アメリカ東部の緑あふれる長閑な自然が印象的だった。
シェーカーが活動を始めた1700年代後半には既にオルバニーはこの地域の中枢都市であり、Albany市内は今も歴史的な建築が建ち並ぶ。
特に中心部はアメリカ東海岸の都会らしいクラシックで厳かな雰囲気を漂わせていた。
Albany郊外にあるオルバニー空港に隣接するエリアを管理するShaker Heritage Societyがこのフィールドワークの最初の目的地である。
ここにはかつてWatervlietというシェーカーコミュニティが存在した。
Watervlietは、シェーカーの人々が最初に居住地として定め開墾をした土地で、当時はNiskayunaと呼ばれた。アメリカにおけるシェーカーの起源と言える土地であり、創始者であるAnn Leeをはじめとしたシェーカー最初期の指導者たちが眠る場所でもある。
そのため、シェーカーにとっては精神的に特別な価値のある場所であった。
Watervlietは総本山マウントレバノンが建設されるまでの間、教団の中心地として機能していた。
各地へ布教の旅へ向かうのも、説教を聞きに訪れるのもWatervlietがシェーカーの拡大の基点となった。
コレクションや、周辺の様子は次回にまとめるが、私が最も印象的だったのはキュレーターであるジョアンナさんの話してくれた、この土地の管理運営の歴史についてである。
Watervlietは、シェーカーの人々にとっても特別な場所であるが、彼らがこの土地を手放した後にもユニークな歴史を持つ。
1925年に、Watervlietの最後のファミリーとなるチャーチファミリーが解散。
その後、オルバニー行政がこのサイトを所有することになり、Ann Lee Homeという介護施設として管理されることになった。
この時の運営方針によって、Watervlietは、アメリカにおけるシェーカー教団の、いわば発祥の地でありながら、本来の建築物の多くが取り壊され、改修されたという歴史を持つ。
実は、シェーカーの建築や土地、財産がこのように行政、民間の個人、もしくは開発地となり、使用されることは決して珍しいことではない。
このSchoolもかつては少年少女の学校として使用されたと考えられているが、その後の改修によりPowerhouse、発電施設に用途が変更されている。
1970年代半ばになり介護施設は移転することになり、Shaker Heritage Societyがこの土地の管理運営を行うこととなる。
彼らは教育的NPOであり、博物館としてシェーカーの文化や建築を残すために活動をしている。
彼らが管理をすることになった段階で、Watervlietのサイトのほとんどは、当時のままの形で残っているとは言えない状態となっていた。
当然、多くの家具や道具はこの場所にはない状態であった。
特に、建造物の多くは、いずれも、万全な状態で管理されていたとは言えず、私たちが訪れた時点で、安全に見ることのできる建物は片手で数えられるほどであった。
各地に広がるシェーカーサイトの現在の姿に至るまでの道のりは本当にそれぞれに異なっている。
改めてまとめていくが、ハンコックやカンタベリーのような大規模なシェーカービレッジは、シェーカーの人々の手を離れた後に、ミュージアムとして活用することを念頭に置いて管理されてきた。
シェーカー信徒の残るサバスデイレイクであっても、彼らの住むエリア以外の所有者は疎であるか、取り壊されている。
どのコミュニティであっても古い建物や施設は、老朽化し、いまだに改修は進められている。
もしくは、完全に個人所有となり立ち入れない地域や、そもそも開発によって、内見だけでなく、外観も見ることの叶わないエリアも珍しくはない。
そのように考えると、直接的に彼らの資産や財産を引き継ぐことで、純粋な形で文化を残すことに成功している物や場所は、大変貴重で奇跡的なことであることに気づく。
その上でShaker Heritage Societyは、この状況に自覚的に、積極的に向き合っている。そしてこのような背景があるからこそ、他にはない可能性と機会があると前向きに捉えて活動を進めているようだ。
ジョアンナさんは、私たちの突然の訪問にも関わらず、親切に、丁寧に対応をしてくれた。
彼らのシェーカーや文化への真摯なあり方は、この場所に行けば誰もが感じ取ることのできるものである。
Watervlietは他のコミュニティに比べてら一度誰かの手が加えられた、不鮮明な部分が多い。だからこそ、この場所のこれからの利用範囲や可能性、柔軟性が他のエリアよりも広いことを熱心に伝えてくれた。
彼女が伝えてくれたように、Watervlietのサイトは今、他のコミュニティに比べても大きな変化の時にあるように感じた。
それは展示だけではなく、アーティストとの共同のペイントやデコレーションによる施設の利用に見られる、保守とは正反対の意欲的な活動からも感じることができる。
これから先の文化の担い手である、若い人々の関心や、親近感のような物をどのように得るかという試行錯誤の中で、このような変化が生まれている。
修繕が必要な建築の多くも彼らの今後の課題の一つであるようだ。
一度に多くの建造物や資産を管理することになったという状況も大変苦労になるだろう。
歴史的建造物や財産の修繕が容易ではないことは想像に難くない。
歴史的にピュアに、そのままの形に残していくこと。
それは文化の継承の究極的な理想の一つであるかもしれない。
しかしその文化を聖域として、誰にも触れられないものになり、私たちの日常からかけ離れたものになってしまうということは、本末転倒の話でもある。
この場所に訪れて、文化の継承においていくつかの重要なこと、その一つは、それぞれの人、集団、場所がそれぞれの役割を担うことなのかもしれないと感じた。
文化継承の適材適所のような感覚である。
特に、Watervlietというシェーカー発祥の地とも言える原点の地に訪れ、彼らに与えられた独特な環境とその立ち位置から見据える将来像は非常に学ぶことの多い。
私たちが今、遠く離れた日本でシェーカースタイルを学ぶこともまたシェーカーの文化を繋いでいく一端になればと願う。
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