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『人格淘汰じゃない』なんて!?

私がまだJWだった確か2003年頃あたりの塔の討議記事だったと思います。

目に留まって驚いた一文がありました。

 

 『この教えは人格淘汰を目的とするものではありません。』


え?! ちょと待って、、衝撃レベルに驚いた。

この時代に人格淘汰しない宗教に何の意味があるの?

組織の成員が人格淘汰しないということは、

揉め事が起こり放題じゃないか、と、

私は思ったものです。

組織内で何か起こっても現実的手立てを示されるというよりは、

表面をなぞったような提案をされることが多い組織。

これじゃあ組織内で辛い思いをしている人は辛いままだ。

それでただ我慢我慢、となると、

この図式はアダルトチルドレン構築みたいなもので、

放っておけば思考停止させられるのが続くだけ。

耐えて耐えて終わりまで?

それって、ヘンじゃない?

なんて思った、JWを本気でおかしいと思い始める数年前のことでした。

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