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第二外国語を学ぶ意義

昨年の秋からイタリア語を勉強しています。NHKの2020年度の入門講座「ゆっくりじっくりイタリア語」がとても取り組みやすく、テキストとダウンロードした音声を使って独学しています。既に2021年度の新学期が始まっていますが、あと一ヶ月分くらいは昨年度の学習項目が残っています。新年度の放送も聞いてみたいけれど、忙しくて歯を磨いたり身支度をしたりする時間にしか音声を聞けないから、新年度分は昨年のものを聞き終わってからになるかも。

英語や学校で学んだ第二外国語とは違い、文法を細かく覚えるのではなく、講座で紹介されていることを繰り返し練習し、慣れるようにしています。

高田和文先生の「ゆっくりじっくりイタリア語」は、大人を対象にしているからか、飽きさせないような題材選びがとてもうまいなと思っています。英語なら不定詞にあたる表現などが早めに出てくる一方、活用が複雑で難しい過去形などは最後に出てくるのが工夫がされていていいな、と思います。

以前は、「せっかく第二外国語を学ぶのならば、何か役に立つものを」と思って他外国語を学んでみようとしていました。でも、長続きせず挫折。イタリア語は、コロナ禍に見舞われる直前の2019年夏に友人の招きでイタリアに旅をし、おしゃべりしているだけで歌っているような調子が心地よく、学んでみようと思ったのです。特に何かに役立てようと思ったわけではありません。

でも、学び始めてみて、「分からなかったことが少しずつ分かっていく喜び」を体験できることは何より得難い経験と思うようになりました。英語で仕事をし、英語の技能を教える中で、どうしてもテクニックであるとか、「役に立つこと(多くの場合、短期的な意味で)」を求めがちになっていたような気がします。

言葉を学ぶ純粋な喜びを感じる、という意味でイタリア語との出会いは大変貴重なものになりました。


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