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さ の事

 ある日突然「さ」というひらがなが書けなくなった。「そ」んなバカなことがあるわけがないと思い、何度も書こうとしてみたが、どうしても書けない。「さ」の形を思い浮かべ、何度も声に出して発音し、パソコンの画面で拡大して目を凝らしながら、手元に置いた原稿用紙に書き写そうとして思いとどまった。
「ち」なら簡単に書けるのだ。
 試しに「ち」と書いた紙を裏返してみる。やはり逆写像のように見えるのだが、数学的には逆写像ではないはずだよ、「ね」だって! 
 いやいや、そもそも「ね」と「ぬ」の違いでも、「あ」と「お」のような違いでもないんだけど、「む」しろ、と書きながら、ますます確信が持てなくなった。
 いまや、「む」を書くのすら難しくなりつつある。数学的には「ぬ」もかなり複雑な曲線のはずで、祖父の時代には、「ゐ」や「ゑ」もあったはずだが、「さ」にくらべればまだ書きやすのは間違いない。
 冒頭から読み返してみた。ここまで、一度も「さ」を使っていないのだから、いっそ書けなくてもいいような気がして、思いなおした。
 1年後のおれが生きながらえているのは、がんで入院していた病室の壁に貼っていた、一枚の葉書のおかげなんだ「ぜ」。「ぜ」といえば、今日もとある役所で「せいのさん」じゃなくて「きよのさん」と間違われたが、よくあることだ。認知症を患いはじめていた母も、「さ」を書くのに難儀していたのだろうか。「さ」は五十音だとさ行あ段で、いろは順ではあときの間。古い写本には「左氏」とあり。
「さ」は「左」の草書体だろうと思いながら、楷書と行書と草書と万葉仮名を見よう見まねで書きくらべていると、2 画目と 3 画目が異なるふたつの「さ」が存在することが判明した。逆写像ですらなかったばかりか、埼玉市をさいたま市と書くようになったというのだから、最近のさいたまの小学生は「さ」を「さ」と書かないのかもしれない。半信半疑で母から届いた葉書を裏返してみたまではよかったが、「さて」と書いたところで躓いた。
 1年前の8月7日、白血球の値がかなり落ちている。
 ひといちばい食べて運動もしていたのに。一切関係ないようだ。薬がそれだけ効いているというのは、否定の演繹ぐらいわかりにくい話だった。
「おはよう!」
「君か!」
「今日も今日が来たぞ」
「今日は曇っているよ」
「そうだね。いいかい。放射線は血液細胞をつくる骨髄の働きを低下させるので、白血球が少なくなる副作用が出るけど、白血球が低くなると免疫機能が低下するので、感染症に罹患しやすくなる。
 ご飯を食べても運動しても、造血の働きは別な問題だね。でもご飯をしっかり食べて運動をすれば、もちろん骨髄機能のリカバリーは早いと思うよ。
 放射線と化学療法がそれだけ奏功しているということは、骨髄機能が低下するほど効果が出ているくらい病巣にも効果が出ているということだから、
治療が奏功しているのは間違いないよ。
 がん治療は正常な機能にも悪い病巣にも両方とも同じように影響を与えているから、そう考えるんだよ。
 食事もがんばってなんとか工夫をしながら食べられているようなので、それは良かった」
 白血球の数値がある程度戻ってから抗癌剤を再開するのだろう。
 入院時 5000以上
 8月6日 3000
「2000切ったらどうしようか?」
「白血球を上げる為には一日一本バナナを食べるのがいいとどこかに書いてあったよ」
「実は結構食べてるけど。熟したやつだね!」
「とはいえ、すでに明日採血だと思うけど」
「なんでも試してみたらいいよ」
「今日も、さ、書いてたぐらいだ」
「おやすみなさい……確かに書きにくいね」
「そうなんだよ。がんがあるのは、左じゃなくて、右側なんだ」
 がんは、「右の首筋」というわかりやすい場所に「寄生」していて、「痛みと腫れ」が急増していた。右側のおれと左側のおれについて否が応でも一から再考を迫られていた。もし、左側に転移などしたら、と考えてみたが正直なところ想像がつかいほどだった。これもすべては、がんが右側にできたせいだと確定し眠りにおちるところだ。
「おやすみなさい」

 


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