宮尾登美子『宮尾本 平家物語』
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』もいよいよラストに向かっていますが、大河を機に、以前から気になっていた『宮尾本 平家物語』をやっと手に取りました。全4巻で2000ページを超える超大作で、なかなかの読み応えでしたが、読み終わった達成感はかなりのものがありました(笑)
(個人的に、平家やその時代の出来事に明るくない上に、似た名前の登場人物が多く、登場の都度、それぞれの背景を頭でイメージしてやっと読み進めるという作業を経ることになってしまい、1ページ1ページに、思った以上に時間がかかってしまいました。)
「宮尾本」とある通り、『平家物語』の訳ではなく、平家の盛衰を女の視点から描いた作品となっていました。女性の中で、特にページを割かれているのが、平清盛の妻で、清盛亡き後は平家を引っ張っていく時子です。宮尾本は、この時子と、白河法皇の落胤であり、本来は武人ではなく殿上人であるはずであった平清盛が中心となる物語で、清盛が亡くなるのも3巻の中程となっていました。
清盛が亡くなる場面でも、本来の『平家物語』では清盛は「頼朝が首をはねて、わがはかのまえに懸くべし」と言い残し、その様を最後まで「罪ふかけれ」と描かれていたところが、宮尾本では、「今生の望みとしては何ひとつ思い残すことはなし」と言うだけで亡くなっていきます。
一方、宮尾本で「頼朝の首をはねて、自分の墓の前に供えるべし」という言葉を発するのは、清盛の死後、平家の行く末を案じた時子です。時子は、平家の秩序を守り、一門を鼓舞するためにやむなく嘘の遺言を伝えるのです。『平家』の清盛と同じ台詞でありながら、全く異なった印象を与える台詞となっていることに驚かされましたし、またそれ故に、本来殿上人であるはずの清盛が、武人として育てられ、栄え(武人として、位を得て殿上人となり)ながらも、また武人として滅びていかざるを得ない無常がいや増しているようにも感じました。
「平家に非ずんば人に非ず」に象徴されるような驕り高ぶる平家という印象がそれほど強くなく、また、軍記物的な戦いの場面にもそれほど焦点が当てられない宮尾本は、人間関係の中から浮かび上がっていく登場人物達の人となりや人生が迫ってくる作品だと言えそうです。
このような、宮尾本独自の創作の中で特に驚いたのが、平家の血を残すために、実は安徳天皇と守貞親王が入れ替えられていて、入水したのは守貞親王だったという解釈でした。後鳥羽天皇の即位によって、帝位を追われた後に海に沈んだはずの安徳天皇が、出家して天皇にはならなかったものの、承久の乱(後鳥羽上皇が敗れる)を経て、後高倉院として院政をしいたところを興味深く読みました。この最後の展開にも、宮尾本的な諸行無常を感じさせられながら本を閉じました。
どうやら宮尾さんは、『宮尾本』の内容に沿った『平家物語の女たち』というエッセイも書かれているようです。こちらを読めば、より宮尾さんならではの解釈が深まりそうだなと、さらに興味を引かれています。