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悪いあの人と、可哀想なわたし。

タイトルを見て、なんだ被害者意識なのか?
それともなんだかひどい事をされたのか?

と意見は様々だと思いますが、これは私がいつだったか
見かけたフレーズです。

恋人、友人、家族、同僚、隣人、など

私たちは日々、色々なシチュエーションで様々なタイプの人と
会話をしています。

でも私たちの会話の中にたまに出てくる
【愚痴】の大半は『悪いあの人』と、『可哀想なわたし

という構成で成り立っているんです。

これは愚痴を言う時だけに限らず、冗談半分で話す際にもこの構成は多く使われています。

【例えば】
•旦那が家事や育児を手伝ってくれない、

•仕事で疲れて帰ってきてるのに、妻は子供ばかり気にして相手をしてくれない

•友達にこんなひどいことを言われた
•上司にこんなひどい扱いを受けた
•親は何も分かってくれない
etc....

これは私が生きてきた中でよく耳にしたり、口にしてきた話ですが
きっと多くの方も体験したことがある話だと思います。

相談をして、そのまま終わればまだ良いのですが

時に可哀想な自分をアピールして、グループで結託し
「悪いあの人」を皆で責めたりする。なんて事も起こったりします。

どんなに「可哀想なわたし」を訴えて
一時的に同情を得て、仲間を得ても
それは私たちの何の役にも立ちません。

むしろ、その内容がなければ
結託できない脆い関係になってしまいます。

では私たちはどうすれば良いのでしょうか。

相手の話しに共感することは
必ずしも悪いことではなく、
そこでストレスが発散されたり
良いアドバイスにより物事が良い方向へ
進むことだってあります。

大事な2つのこと

ここで大事なのは、

1: 話す側も、聞く側も『悪いあの人』と『可哀想な自分』の
構成をしっかりと理解すること。


その上で、話しをする際や聞く際は
問題点を客観的に分析し、俯瞰し
では【これからどうしていけば良いのか?】と
視点をよりよい未来へ向けて話し合うことが大切です。


ただ慰めたり、愚痴を言ってストレス発散するだけでは
また同じことの繰り返しが起こってしまい、聞く側も話す側もエネルギーを消耗するだけになってしまいます。

愚痴を言いたい時って自分のモヤモヤしたものを放ってただスッキリしたいんです。だから聞き手側には反論して欲しくないんですよね。

そこで議論するのはエネルギーを使うことにもなりかねないし、疲れてしまうかもしれないから。だから私たちの思考は『悪いあの人』と『可哀想な自分』という設定を使って、悲劇の自分を演じて反論させないようにして、気持ちよくモヤモヤを発散しようとするのです。

オーストラリアでもよくこういった会話が聞こえてきます。
あの人にこんなことを言われた!
あの人にこんなひどいことをされた!
この会社は全然私たちのことを大事にしてくれない

など、耳に入ってくる言葉は大体she(彼女)or boss(上司)が〜と言ってきた、された、してくれないの話が多いのです。

この愚痴の構造を知るまで私も気にしていなかったのですが、
一度この構造を知ってしまうと
「あ、これも悪いあの人と可哀想な自分の話だ」
「あ、こっちでも」とビックリするくらいこの会話が飛び交っていることに気づきます。

驚いたのが、朝10時にフードコートで見かけた2人組の女性が
5時間後も同じ場所でこの構造の愚痴の話しを続けていたことです。
よほど許せないことがあったのか少し離れていても聞こえるほどの声量で1人の女性は愚痴を言い続けていました。もう1人の女性もそれに乗っている形で2人でヒートアップしていたのです。

5時間あればもっと有意義な時間を過ごせたはずです。
時間は有限なんです。
5時間愚痴を言い合って、「あ〜スッキリした」
となっても結局問題は何も解決してなくて、聞く側はネガティブを受け取って自分もネガティブになり、話す側は肯定されることでやっぱり私って可哀想なんだ。という気持ちが強くなってグルグルと低い波動の中に居続けてしまうという負の連鎖に陥ってしまいます。

ここで大事なのは話す側も、聞く側も
愚痴というものの構造は『悪いあの人』と『可哀想な私』で
構成されていることをしっかり理解することなのです。

そうすることで、早い段階で話している側も聞く側も
「あ、これあの構造になっているな」と気づくことで
脳のその思考を早い段階で止めることができます。


2:私たちはいつも自分の外側に意識が
向いてしまいがちということを理解すること

全ては自分から
自分の内面を外側の世界は
反映しているだけ

このことを落とし込むと
相手に対して『怒り』のエネルギーを使って
疲れることも減って
格段に生きやすくなってきます。

何か嫌なことを言われたらイラッとしてしまいますよね。
人間なので生きている上でこういった場面は誰しもあります。でもそういった時に設定を『悪いあの人』と『可哀想な自分』にしないということです。

他人を変えようとしても
決して変えられません。
なぜなら他人は自分であるから。


全ては自分の内側から来ていて
自分の周りにいる人も環境も、物でさえ
自分の内側に全て影響されています。

恋人や上司、同僚、友達があなたに何かをした訳ではなくて
あなたの内側にある意識がその現実を創りあげています。


あなたの中にある気づかずに構築された価値観や不満、または
トラウマを気づかせて解消するために宇宙はときに、あの手、この手を使ってあなたに気づかせようとしてくれているんです。



分かりやすく、私の例を挙げてみると
私が自分の内側に意識を向けず外側に意識が向いていた時の話しなのですが

以前、私はよく彼が『家事』のことについて
小言を言うと、過剰に反応して喧嘩になっていたんです。
家事のことは言われたくない!とばかりに一気に不機嫌になってしまう。

私だって彼に小言を言うのに何故か自分でも毎回家事のことになると過剰反応してしまって喧嘩に発展。。

何故、自分はこんなに過剰反応してしまうのか
自分でも嫌になり、深掘りを始めてみました。

▶︎何故こんなに反応するのか?
家事をちゃんとやっているのにやっていない時だけ言われて、いつもやっていないと言われているみたいで腹がたつ

▶︎なぜいつもやっていないと思われたくないのか?
ちゃんとやっている分、認めて貰いたい

▶︎なぜ認めて貰いたいのか
まるでお父さんと同じことを言われているみたいで嫌だから、これから人生を共にする人には同じようになってほしくない

という答えが浮き上がってきたんです。
私は3人兄弟の末っ子で、兄が2人います。
父は昔ながらの父で、『家事は女性がするもの』という考えだったので
小さい頃から私だけ母の家事を手伝わされていました。

大好きなドラゴンボールを兄たちと一緒に見たくても私だけお皿洗いをさせられました
『女だからってなんで私だけ家事しないといけないの!お兄ちゃんたちはテレビ見ているのに!』と文句を言っても
『お嫁に行った時、家事出来なかったらどうするんだ』と返ってくるだけ

どんなに自分の中で家事を手伝ったりたまに率先して家事をしても

父は『全然家事しないじゃないか』というばかり。そればかりか私だけではなく周囲の人にも娘は家事を手伝わなくておてんばだと言いふらすんです。
よく親って自分の子供をネタにして親睦を深めようとすることないですか?我が家だけかもしれないですが笑 
そんな家庭で育ったんです。


これはきっと甘えさせたくなかったんだなと今だったら理解できるのですが、その当時から気づかない内に【頑張っている自分を認めて貰えない】というトラウマが密かに私の心の中に構築されてきていたのです。

そして、そのトラウマを解消するために繰り返し、繰り返し、
家事に対して彼が小言を言うという現象が起きていたのでした。

自分の内側を内観し、手放す


自分の内側と対話して、
不満や、トラウマ、固定概念
が出てきたら、今度はそれを手放す必要があります。

私の場合は【頑張っている自分を認めて貰えない】
というトラウマが出てきたので

これを、まず『そっか、そういうトラウマがあったんだな。』
と素直に認めてあげて

彼にもこういう経緯で、こんなトラウマがあった。と伝えて気持ちよく手放しました。一度ですっと手放せる時もあれば何度も手放す必要がある場合もあります。そこは根気よくその度に手放してあげましょう。

この行為をしていくと段々と
その現象は起こらなくなっていくか、

起こったとしても
『あ、まだそのトラウマ残ってたんだね』と
冷静に対処出来る様になってきます。


特に時代が変わりつつある今は
過去のトラウマや、固定概念の
炙り出しが頻繁に起こってくる時期なんです。

風の時代で軽くなるはずなのに
喧嘩や、イライラすることばかり。波動が下がってこんなんじゃダメだ。

と焦らずに、
この時期はじっくり自分と向き合って
いらなくなった重い周波数を手放すことを
意識してみてください。

続けていくうちに自分でも気付かなかった
長年のトラウマや固定概念に出会えて、

それを気持ちよく手放せる
チャンスがやってくるはずです。


悪いと思っている出来事の裏には
実はより良くなるヒントが隠れているものなのです。


今回も最後まで読んでくださいましてありがとうございます🕊️


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