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社会的処方から「地域日本語教育」を考える

先日、下記のイベントに参加しました。

このイベントは、KAIGO LEADERS が主催したものです。(KAIGO LEADERSの「2025年、介護のリーダーは 日本のリーダーになる」というvisionがかっこいい。「日本語教師は、多文化共生社会のリーダーになる」くらい言いたい。)

今回のイベントでは、医師である西智弘さんの講演を中心に『社会的処方』という観点から、これからの地域における支援のあり方を考えるというものでした。

西智弘さんの著書は以下。

これまで私は、「地域日本語教育」という視点から、「地域」とは何かを考えてきました。今回、「日本語教育」とは、全く別の医療という観点から「地域」を考えることによって、いろいろな気づきがあり、刺激的なイベントでした。ゲストの西さんは、とてもフレンドリーな語り口で、穏やかな雰囲気で進みました。(一方的に親しみを込めて「西さん」とさん付けで書かせていただきます)

今回は、このイベントを中心に、これまでの「地域」との関わりを振り返ってみたいと思います。

「社会的処方」とは何か?

まずはじめに、「社会的処方」とは何かを簡単にまとめておきます。(といっても、1冊の本をまとめるのは難しいので、興味のある方は、前述の西さんの著書をお読みください。たくさんの事例をもとに説明されていて、とても読みやすかったです)

著書の冒頭には、「社会的処方」について下記のように説明しています。
(とてもわかりやすく説明されているので、引用します)

たとえば、こころやからだの調子が悪くて病院に行くとしましょう。
診療を終えた患者さんは「この薬飲んでね」と、かかりつけのお医者さんから処方せんを受け取りますね。
このとき薬だけでなく、体操や音楽、ボランティアなど、地域のサークル活動を紹介されたらどうでしょう?
薬と同じように社会とのつながりを処方するから社会的処方。

医療という枠組みでは対処が難しい患者さんに対して、医療的な薬という処方でなく、「社会的な処方」をするというものです。

ここでいう「患者さん」とは、「社会的処方」が必要になる人、つまり、社会とのつながりを必要とする人です。問題の原因が「社会的孤立」であることが多いようです。「社会的孤立」にある人は、そうでない人よりも要介護になる人の率が高いということも紹介されています。

そして、「社会的処方」に欠かせないのが「リンクワーカー」と呼ばれる人の存在です。

「リンクワーカー」とは、 社会的処方をしたい医療者からの依頼を受けて、患者さんや家族に面会し、社会的処方を受ける地域活動とマッチングさせるのが仕事。(p.51)

と説明されています。

社会的処方が制度化されているイギリスでは、「リンクワーカー」に対して研修システムがあり、資格の認定が行われるそうですが、西さんは、この「リンクワーカー」を制度ではなく、みんなが「リンクワーカー」としてはたらけるような「文化」にしたいと述べています。

さらに、「健康」とは、「人が幸せに生きていくための手段であって、それが目的となるべきものではない」とした上で、「社会的処方」を以下のように説明しています。

私たちが考える社会的処方は、それぞれの身体的・精神的・社会的に不完全な部分を埋めて、完全な状態にするためのアプローチではない。むしろ、人がもつデコボコをありのままに生かし、生きがいに注目し、幸せを追求していくためのアプローチだ。マイナスをプラスにするのではなく、プラスをダブルプラスにしていく。(p.41)

私はこの点に、共感し、「社会的処方」に興味を持ちました。

イベントを振り返る

先日のイベントでは、著書である西さんの話を聞くだけでなく、途中でグループワークもあり、参加者の属する他地域の状況を聞く機会もありました。イベントの参加者は、介護や医療に関わっている方が多く、普段あまり接することのない福祉という観点から地域の話を聞くことができ、貴重な機会となりました。

イベント中は、西さんの講義を中心に自分に刺さった点をtweetをしながら聞いていました。といっても情報を追っていくのが精一杯で、あまり深く考える余裕がなかったので、改めて、自分が関心を持った3点について、少し深掘りしながらこれまでの自分の地域との関わり方を振り返っていきたいと思います。

人間中心性・エンパワメント・共創

「社会的処方」の基本理念を西さんは、以下のように説明していました。

「これ、地域日本語教育と通じるものがある」とコメントしていますが、この基本理念について、もう少し深掘りしてみます。

私は、これまで、国際交流協会の運営する「日本語教室」や、NPO法人が運営する「学習支援教室」、そして、先日まで関わっていた日本語学校と、かなり地域に密着した日本語教育を行ってきました。特に、日本語学校では、「地域に根ざした学校を創る」ということを目標にしていたので、地域とどう関わりを持っていくかを常に考えていました。しかし、「地域」と関わることにどんな利点があるのか、と聞かれても、うまく説明することができませんでした。

日本語教育という文脈で地域に関わろうとすると、どうしても「日本語教室」が拠点となり、地域の人が「日本語を教える人」、教室に通う外国人が「教えてもらう人」という関係性が作られがちです。また、イベントを企画しても、出身地の文化を紹介するとか、料理を作って試食してもらうとか、言葉を教えあうといった活動が中心となります。もちろん、相互理解という点では、このようなアプローチも重要だと思いますが、同時に、「○○の国の人」「日本語が話せない人」という固定観念を強化してしまうのではないかという疑問も感じていました。

そこで、ITエンジニアを育成するというコンセプトで行っていた日本語学校では、その学生の得意な分野を生かした活動を行っていきました。例えば、小学校でプログラミング教室を行うとか、地域のお祭りで、VR、ARが体験できるブースを設けるという試みです。

また、プロジェクト活動として、IT技術を使って町の課題を解決するサービスなどを考え、町の人を招いてプレゼンするということもしました。教室では、どうすればもっといいサービスになるのかという点について、実際に町の人との議論が生まれました。

このような活動を通して、徐々に留学生たちが町に受け入れられ、町になくてはならない存在になっていったように感じています。

人間中心性:マイナス部分を埋めるのではなく、その人の価値を尊重する
エンパワメント:その人がやりたいという気持ちを尊重し、自発的に参加できるようにする
共創:一緒に創る

このような「社会的処方」の基本理念と照らし合わせると、まさに日本語学校でやってきた取り組みは、「社会的処方の理念」と一致するものがあったのではないかと思ったのです。

あえて、「言葉」とか「文化」にフォーカスしない地域との関わり方の可能性を、言語化できたような気がしました。

場を整えること

参加者に介護、医療従事者が多いということもあって、後半部分は、今のコロナ禍において大切なことや今できることについての話がありました。以下のtweetはコロナ禍で何をすべきかという文脈で、西さんが話されたことです。

今の状況下では、イベントを企画することも、集まって人と話をすることもできず、非常に歯がゆい状態が続いています。特に、活動の足がかりとしていた日本語学校という場がなくなってしまい、どう地域で活動を続けていくのかで悩んでいたため、「場を整える」という視点は、心に響きました。

コミュニティというのは、作ろうと思っても作れるものではありません。人が集まって、何か一緒に活動することによって、だんだんコミュニティとして認識されるものなのではないかと思っています。

西さんは、同時に「呼ぶ系」(イベントを企画して集客する)のコミュニティではなく、「ある系」(細く長くあり続ける場)の提案もしていました。これを実行し続けるのは、どちらも大変なことですが、以前に学習支援をしていた時の主催者(まさにリンクワーカーの鏡のような人だった)の言葉「子どもにとっては、同じ時間に同じ場所があり続けることが大切子どもには、今日は○○だからお休みという理屈はわからない」という話をされていたのを思い出しました。

今は、私自身、常にあった「場」を失ってしまいました。私にとっては、結構、痛い経験なんですが、逆に、日本で暮らす外国人の目線で考える機会にもつながりました。日本に来たばかりの外国人は、「場」自体がありません。所属する学校や職場があれば、一応「場」を確保することができます。しかし、それ以外の「場」が確保できなかったら、学校がなくなったら、職場がなくなったら、それこそ、行き場がなくなってしまうのではないかということに気がつきました。

ということは、学校や職場を地域につなげ、学校以外の行き場への入り口を開くことは非常に意味があることだったのではないかと思い当たったのです。

「リンクワーカー」の役割再考

イベント終了後、じゃ、私はどうすればいいんだと、何かぐるぐると考えながら、最後にひらめいたのが、下のtweetです。

最後に、参加者から、「社会的処方は、何から始めればいいのか」という質問がありました。それに対して、
「まず、町に出て、入ってみるところから始めよう」
という話がありました。

入るためには、入り口が必要です。しかし、この入り口を見つけるのが結構難関なのではないかと思っています。どこにアクセスしたらいいかわからない、特に、外国人の場合はそうです。学校という足がかりをなくしてしまった私自身も、入り口にどう踏み込めばいいのかを悩んでいます。結局、アクセスするための入り口が見つからず、つながれないということが多いのではないかと思いました。

これまで、場を整えるというと、物理的な場所がどうしても必要だと考えていたのですが、実は、そうではなく、リンクワーカーとして、入り口を見つけやすくするために、明かりを灯し続けるという役割もありだなと思いました。

まとめ

「処方」というと、対象になる人は「患者」であり、何か問題を抱えている人、というイメージがあります。この点に、少し抵抗を感じていたのですが、西さんのお話を聞き、いわゆる「処方」を目指しているのではないと感じました。「人間中心性」「マイナスを埋めてプラスにするのではない」という考え方は、「患者」をマイナスと捉えていません。

同時に、「日本語が話せない」ということをマイナスと捉え、日本語を教えることによって、「マイナス」を埋めて「プラス」にするという考え方を改めてもいいのではないかと思いました。日本語をどの程度習得するのかというのは、本人次第だと考えることもできます。日本語教師は、どうしても日本語習得にフォーカスしすぎてしまい、日本語以外の部分を見落としがちであるように思いました。

今回のイベントでは「社会的処方」という観点から「地域日本語教育」を再考することによって、何か今までもやもやとしていた感覚を解きほぐす、大きなヒントを得たような気がしました。「地域」については、これからも考えていきたいと思っています。

今回も長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!