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対症の怠惰 2021/01/26の日記

 課題に追い詰められていたという言い訳をしてもいいのだけど、実際は25日の余韻に浸っていたおかげでほんとになにもしていなかったというのがホントのトコロ。短めです。

 時に、おもしろい映画に出会ったり悲しい出来事に出会ったりした場合、人は必ず引きずる。秒~年単位で。今日は比較的幸せでそうなっていたので悪い気はしなかった。ずっとおなかが空いてた。

 1973年に公開されたエクソシストを見た。ディレクターズカット版。僕たちくだらない人たちは、ブリッジをして歩いている姿を見ると「エクソシストかよ笑」と思わず言ってしまうが、当時公開された本編にそのシーンはないそうで、ディレクターズカット版でのみの収録となった。じゃあいつからそれがいわれるようになったんだろう。でも興味があったのは、今日はエクソシストブリッジの歴史ではなくシャア・アナルズブというギャグを言ったやつのことだった。まあまあガノタの父に言わせれば、クアトロ・ヴァッギーナが匿名ネット掲示板で書き込まれてからだそうだ。2000年前後?そこらへんは詳しくない。

 話をエクソシストに戻そう。印象的だったシーンは、最初にメリン神父が遺跡を掘っているシーンとリーガンちゃんがあらゆる検査を受けて症状が起きている原因箇所を見つけようとするシーン、そして彼女の描いた絵にバウムがあったこと、最後にカラス神父が母を死なせた罪悪感と戦うシーンだ。

 臨床というスタンスについてかなり考えさせられる映画だった。だけどこれは講義の課題のために見た映画で、感想文はもう散々書いてしまったのでその力がもう残ってない。

 彼女のバウムでも分析しよう。

 まず冠(葉っぱ)は比較的普通で、枝が中にしっかりある。幹も太めで逆エンタシスを保っている。彼女の年齢で描くバウムならかなり成人的。

 気になったのは、こうもりのような形の黒い果実。腐っているのだろうか。バウムテストの教示があったかどうかについては不明なので、子供のお絵描きとして捉えると、木に果実を描くのは依存欲求の表れだそう。彼女の父親は別居しており、彼女の誕生日にも電話にでない。また、母親は女優で家事はお手伝いさんに任せてかなり忙しい。といったところだ。

 さらに、幹に大きな穴が開いていた。これもトラウマや不安感の表れだそうです。

 解釈についてはかんたんに勉強した程度なので信頼性は低いが、問題を抱えた家庭だったのは誰が見てもわかったと思う。彼女の心に寄り添える信頼できる大人がおらず、心にできたスキマに悪魔がとりつかれてしまった・・・みたいな映画でした。

 以前に、家庭内の問題の描写なしに悪魔に急に取りつかれる映画を見たので、エクソシストは悪魔系の映画のなかでも相当現実に根差して作りこまれているように思いました。大切なのは、体のどこで何が起きているかというより、普段の生活が如何なものかということかもしれません。みんな人生は初めてなので、気づけない人も多いと思います。だからこそ歴史を学んで勉強していくのです・・・。おわり。

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