あの頃
どーもコツコツです🍵
2023年3月11日土曜日は
一生忘れてはならない、いや語り継がないといけない
東日本大震災から12年
当時は高校2年生
3期選抜の試験がある為、
3月9日、10日、11日の3日間は休校だった。
11日、兄が郡山の専門学校で入学前のオリエンテーションに参加するとのことで
母と私は兄の付き添いでついて行った。
兄がオリエンテーションに参加してる間は
母と郡山駅の中のエスパルで遊ぶことに。
パワーストーンを販売するショップを見つけて
母がネックレスを作ろうと石を選んでいた。
私はてっきり母が自分用のネックレスを頼もうと勘違いして(当時の私は頭おかしくて🤣)
私も自分用のネックレスを選んでました……
それに気づいた母が
「コツコツの為に選んでるネックレスだよ?
なんで選んでんの??」
コツコツ「いや、自分用に……」
母が不機嫌になってしまった。
何故か私も不機嫌に……親子共々何をしてる😅
エスパルのそばにタリーズコーヒーがあったので
休暇しようと寄って行った。
注文して席に着いて一呼吸置いた途端、
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
母「何、新幹線??違う???」
そばに置いてあった冷水が大きく揺れてた
コツコツ「違う……!!!揺れてる!!地震だよ!!!」
そこからパニック映画のように
天井からホコリが落ち
経験したことない自立できないほどの揺れ
隣にいたカップルの彼氏さんが彼女さんに
「テーブルの下に隠れろ!!!!」
彼女さんを守った。
ただの揺れにしては長すぎる…
コツコツ「お母さん怖い😭」
母も必死だった。
店に取り残りそうだった時、
タリーズの店員さんが必要に
「外へ出てください!!」
待っていてくれた…
駅前の広場には大勢の人が塊になっていた。
揺れはまだ続いていた。
タリーズの店員さんが怯えるコツコツなだめてくれた。
母が「お兄ちゃんの所へ行かなきゃ…!!!」
駅から専門学校が近くだったから走ることが苦手な親子はは必死に向かった。
空から雪が降ってきた
雪だけでなく
電波塔の塗装が剥がれて雪に混じっていた。
兄も学校近くの公園に避難して無事だった。
家に帰るけど
通常片道、1時間程だが渋滞に嵌って
道中、余震が続いて国道4号線の車線が地割れしていた。
ラジオでは
「お願いです。危ないですから運転控えてください。」
家に祖父母いるのに…
電波が乱れて電話すらできない。
帰るしか選択肢ない。
6時間かかった。
家には父と祖父母がいて車に避難していたそう。
母は泣き泣き父に抱きついた。
ここからが不安な日々が続くのだ…
続きはまた書きます。
読んで頂きありがとうございます🙇♀️
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