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むかし話

30-day Challenge もあと8回となりました。その日思いついたことで、なるべくお役に立つような内容を書く、という意図でチャレンジしているのですが…

昨日の熱の入った深夜の投稿(笑)から自分の時代を振り返ってみたくなり、
生徒さんからリクエストを受けていることもあって、
わたしと英語のかかわりを、数日のあいだ記録してみようと思います。

わたしの思春期は、英語それ自体が目的で、英語ができたらそれでいい、英語ができたらカッコいい、以上!…の色合いを持つ時代でした。

自分が何ページに当たるか予測しながら準備していたり、当たるか当たらないかビビりながら受けている英語の授業。英語のテストで高得点なら、英語ができる生徒、とされた時代です。

英語との出会いは小学四年生。ある日のチラシに、その当時バイリンガル子役としてテレビドラマに出ていた女の子が、クリスマスパーティにやってくる!という宣伝を見つけました。寝ても覚めても釘付けになり(なんでだったんだろう?)どうしてもどうしてもその子に会いたくて両親に懇願しました。そのパーティに参加するには、その教室に入会しなくてはならず、その教室は自宅から離れた場所にありました。
両親からの返事は NO。

めぐってまた1年後。再度わたしは両親に懇願します。クリスマスパーティにまたその女の子が来るかもしれない…と思ったのかな。とにかくしぶとく懇願したそうです。一緒に教室に行ってくれる近所のお友達もいて、やっとOKが出ました。

先生は帰国子女で(今でもしっかりフルネームで覚えています)、中学で英語の授業が始まるまで、わたしにとって英語はものすごく楽しい遊びでした。文字が違う、発音が違う、モノの名前が違う、リズムが違う。ぜんぶが真新しくて新鮮で、明るいウキウキした気持ちになれました。

そんな楽しいばかりの時間を、中学に入ったら授業として受けられるんだー♪楽しみすぎー♡と思い込んでいたら… 奈落の底にまっしぐらでした。
そこまで極端に違う?!っていうくらいの、恐怖で支配された厳しい英語の授業。宿題を忘れたり質問に答えられなかったりしたら、連帯責任として隣の席の子も一緒に罰を受けます。ご想像にお任せしますけど、the 昭和の罰です。

おまけに、先生にとってわたしの発音はよくわからない発音として認識されたらしく、カタカナっぽい発音で音読するように言われました。
そこでわたし、超絶大混乱です。今まで良しとしていたものを差し替えなければならなくなって、というか、そうしなければならないのかどうかさえ、わからなくなりました。

英語は楽しいもの、楽しいはず!という、わたしのbelief も相当強かったのでしょう。恐怖心しかないビクビクした授業にも納得できず、カタカナ発音のこともあり、学校の英語はどんどん色褪せていきました。