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周りがみんな行くらしいので、適当に大学行った3

 2の続きです。急いで書いたのであまりうまく書けてないかもしれませんが、暇つぶしによろしくお願いします。

5 初めての一人暮らし

 母と二人、羽田空港へ向かう。飛行機の中でも新しい家の候補を絞り込み、なんとか条件のいい家を探していた。格安気分の室蘭の不動産雑誌を友達に自慢していたのも一週間前の話。今は真剣に今後のことを考えている。
なんやかんやで着陸し、なんやかんやで祖母の家に一泊。翌日ついに未開の地室蘭へ向かう。特急スーパー北斗から見る太平洋は新鮮なものだった。
 一時間半くらいだろうか。東室蘭駅に列車は到着した。駅から出て一番初めに出てきた感想は、「意外と栄えているのだな。というかうちの周りよりも栄えてないか?」だった。僕は東京からやってきたシティーボーイとして室蘭のことを大学のみならず町全体で下に見ていたのだった。
 その後、駅前にそびえるルートインにチェックインし、タクシーに乗り込み大学方面に向かった。
 「工大の新入生さんかい?合格おめでとう。これから四年間いろんなことを学ぶんだよ。」
 胆振なまりのタクシーの運転手さんは僕と母に対しそうしゃべりかけた。僕は適当に返事をしながら、ついに大学生になれた喜びをかみしめていた。
 タクシーは高度をぐんぐんと上げていく。バカみたいな坂。僕は室蘭到着1時間にしてこの街の評価を360度変えることになった。北海道についていろいろと興味はあり、いろいろと調べていたつもりであったのだが、集落の間隔が広いという理由以外の車社会である理由を初めて突き付けられたのであった。
 タクシーは正門前に止まる。料金を支払い、いざ構内には入らず学食方面へ向かった。中へ入ると、新入生向けアパートの写真が壁一面に広がっていた。あとで知ったのだが、ここの学生は九割が一人暮らしのため毎年このようになるのだ。
 立川、飛行機の中、祖母の家、北斗の中で絞り込んでいた物件が開いているか受け付けの人に聞く。なんと全滅。道内組は合格通知が家に届くとともに室蘭へ遠征してくるらしい。よさそうな物件はすべて埋まっていた。
 絶望の僕たちは案内の人とともに新たな物件探しに出かけた。トイレのにおいがキツい部屋、歩くと床が軋む部屋、その他もろもろ。最後の最後に条件とマッチした素敵な物件と出会いそこを新居にすることにした。ネタバレになるかもしれないが、ここには四年間住むこととなる。
 ルートインへ一度戻ってから夜の街を散策する。予定だったが、親に一時間だけ時間をもらい、近くのゲームセンターへ向かうことにした。BIGBANG室蘭店だ。
 室蘭のことを舐め腐っていた僕は、ゲーセンで一番うまいのは自分だろうなぁと心の中で強く思っていた。Fly Above(SPA)をプレーするまでは。
 beatmania IIDX25 Cannon Ballers時代のことである。1970点前後を出した僕の個人的な評価は「そこそこうまい!」だった。ランキングが表示される。5位。え?
 そう。このゲーセンは上手いプレイヤーの巣窟だった。
 意気消沈してホテルへ。その後は何をしたのか全く覚えていない。
一度東京に帰り、室蘭へもっていくものの吟味や荷物整理。あとは当分来ることのないこの街に最後の別れをするため、思いきり遊んだ。余談だが、この期間中にインフルエンザに感染した父が暇つぶしのために僕の録画していたアニメをこっそり見ていた。その名も、「宇宙よりも遠い場所」。あまり普段そのようなものに興味のない父だったが、12話で号泣することになった。そんなこんなですっかりハマってしまった父は、室蘭出発前日に立川にて開催されるイベントに一緒に行かないかと話しかけに来た。うれしくなって二人で南極探索の展示物を見たのはいい思い出である。
 2018年4月1日。僕は八年間住んだこの街を出て、北の大地へと向かったのであった。
 泣きそうになったとかは全く覚えがないのだが、やはりいろいろと感情は湧き出てくるものだった。西武拝島線は一人の期待と不安に胸を膨らませる男を乗せて高田馬場へと走り出した。
 そこからは怒涛の日々だった。家具を買い、家電を買い、電気ガス水道を通す。今まで当たり前だと思っていたことをやらなければいけなくなる責任感がわいてきた。その後は新入生歓迎会という名の顔合わせがあったのだが、特に面白いことはなかった。今金町から入学してきた人がいたなぁくらいか。
 入学式前日。だいたいのことは済み、お昼ご飯は学食で家族そろって食べることにした。リーズナブルなのに美味しい。北海道のご飯は、レベルの高い合格点をオールウェイズ出してくれるのかと感動した。そんな時、僕の向かいにはどこかで見たことのある顔が座っていた。「え、あれ?予備校一緒だったよね??」と、僕が問いかける。彼は、「え、あ、うん。え、なんで?」と困惑していた。
 Oくん。予備校時代は話したことはなかった。しかし彼と僕は必ず毎日9時55分に予備校を出て別々のゲームセンターへ向かっていたのでお互い知っていた。
 両親は「知っている人がいてよかったじゃない。」と話してくれたが、不真面目で二人ともここにいるのはわかっていたので複雑な気持ちだった。
 入学式は特に何事もなく終わり、親が東京に帰ることになった。「元気でやるんだよ。親のことは頼っていいからね。」母から言われたこの言葉はいまでも心に残っている。

6 音ゲーマーとの出会い


  入学式の次の日。僕はバスに揺られてルスツへ向かっていた。
 事前にtwitterにて音ゲーマーを探していたのだが見つからず、この学年には存在しないのかと思い一人落胆していた。学籍番号順に座らされたバスの車内で、隣の人と適当に話をする。余談だが、隣にいた二人は就職したとのことだった。気分が上がらない僕の後ろから、希望の一言が脳内に響いた。

 

「こんなの、ボルテでも押せねえよwwwwww」



 ボ、ボルテ??voltex??sound voltex???????
 二人組の叫び声は、騒がしい車内にかき消されていったが、確かに僕には聞こえたのだった。
 二時間ほど後ろを振り向くか葛藤した挙句振り返らなかった僕は、ルスツ到着後すぐに声をかけた。
 「え、もしかして、ボルテやってるの?」
 二人組はおぉ!と声を上げて間髪入れずに「やってるやってる!!君もやってるの?」と聞いてきた。
 「あ~やってるよ。或帝滅斗だよ~~」
 彼は、あぁ~~ふーん。と、急に態度が冷たくなった。暴龍天じゃない僕は彼にとってどうでもいい存在だったのだ。「んで、他は?」冷たく聞いた彼に、東大以外で使うことはないと思っていた構文を使ってやった。

「一応、皆伝だけど」


さて、彼らの反応はどうか。
 

「え~~~~~!!!皆伝!!!!初めて見た!!!!!おい、こいつ皆伝だってよ!!!!!」


 はしゃいでいた。自分の本棚にはない反応をされて僕は恐怖を感じていた。
 彼らは決して悪いやつではないのは後にわかるが、その時はあまりよくは思わなかった。とりあえずなんとかその場は流し、話を聞いてみるともう新入生音ゲーマーのLINEグループが存在するとのことだった。グループ外に音ゲーマーがいることは広まり、各学科のオタクたちが集まり午前五時まで音ゲーの話でひたすら盛り上がった。今までの浪人時代のように友達と音ゲーを楽しめることに感動を覚えた。
 2018年4月。学校に行き、ゲーセンに行き、家に帰る。このルーティンはすぐに出来上がった。

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