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創作する人は、仮面をつけていることがある

ものづくりに携わる中で気付いたことがある。創作する人は仮面をつけていることがあるということだ。

仮面とは囚われのことである。こうしなければならない、ああしなければならないと不安を感じている人だ。

ここで断っておきたいことは、囚われがあることは良いことでも悪いことでもない。むしろ、これまで困難を乗り越えてきた勲章である。良いことも悪いことも経験してここまできた。言えるのは、人は子供から大人になる過程で誰でも仮面をつける。多くの困難に対応する。なんとか乗り越えていく。私が主張したいことは、誰もが仮面をつけるが、その仮面は外せるということである。執着をなくすことができる。今よりもより満たされる状態になることができる。

つくりたい人がいる。何か活動する、創作する。その結果を発信する。何か生み出したい意欲は、自分の不安を解消したいからという形からのこともある。また、自分がうまくいったことを書くこともある。自分はいい状態になれた、気持ちがよくなった、いいものだと思っているから発信したいという形である。

何か創作するのが悪い、うまくいったことをシェアするのが悪いというわけではない。しかし、発信している本人は、どこかに不安を感じていることもあるということだ。孤独だ、自分を見つけてほしい。やりきれない気持ちがある。イライラする。わかってほしい。それは藁にもすがる思い出ある。自分は大変な状態に置かれている。日々戦いである。戦いから少し遠のいたとしても、また日常に戻る。搾取される。疲れる。やる気がなくなる。本当に大変である。発信すれば、同じような人が見つかる。見つけてもらえる。親近感を持つ。安心する。

私自身、仮面をつけ、仮面に囲まれ、本当に苦労してきた。大変であった。大変な状態を乗り越えてきた。人に応えてきた。自分も何をすればより満足するか試行錯誤してきた。

私は30代のサラリーマンであるが、これまでに2回転職した。自分の意思でえいやと転職したり、会社での環境が変わり、保身のために転職したりもした。日々成果を求められる中で試行錯誤してきた。なお、そんなサラリーマン生活の中で、囚われのない人、仮面をつけていない人にも多く出会ってきた。見た目や行動は普通なのに、いつも目がきらきらしている。楽しそうである。子供のようである。冷静で論理的に考えることもできるし、人情深く人の気持ちが分かる。世の中の仕組みを理解した上で、毎日を楽しそうに生活している。私と同じような境遇に置かれているにもかかわらず、なんだかイキイキしている。好きなことをして、何事も意欲的に取り組む。周囲との関係も良好で、多くの人が慕い、ついていっていた。本人は慕われていることをあまり気にかけておらず、無頓着であった。しかし、冷酷というわけではなかった。無理に物事を進めようとせず、流れを受け入れていた。しかし、迎合するというわけでもなく、あれこれアイディアを出し、実行してはまたアイディアを出してを繰り返していた。仮面をつけていない人と私を比較すると、置かれている環境は同じようであったが、何か根本的なところが違った。

仮面をつけていない人の周りには、仮面をつけている人もたくさんいた。何かを強要してきたり、理論武装して攻撃して独りよがりになっている人もいれば、何かと怠慢で、サボってばかりのような人もいた。仮面をつけていない人は、その人たちを理解し、受け入れ、干渉も避けることもしなかった。気にかけていたが、そのあり方は無頓着だった。

私の場合は、仮面をつけている人に囲まれて疲弊した。強要してくる人に対してはそれにこたえて、攻撃してひとりよがりになっている人の仲裁をしたりした。何かと怠慢でサボってばかりのような人の気持ちがわかるので、そうだね、大変だよねと同意したりしていた。会社ではチームで何かやることも多く、それをうまくやろうと奮闘した。

創作する人は、仮面をつけていることがある。皆、今自分の置かれている環境をうまくやっていこうとしている。こうしなければならない、ああしなければならないと思っている。不安に感じている。これは当然かなと個人的には思う。みんな大変な中、邁進している。

私自身、囚われがあり、不安を感じることもある。しかし、囚われがない人に出会ってきた。囚われがない人が、イキイキと生活している姿を見てきた。仮面をつけていない人は元々そういう人であったとか、頭がいい、天才というわけではない。むしろ人並みに悩み、葛藤してきた。その中で囚われをなくしたのだ。

囚われをなくすことは、誰でもできる。それは、過去や未来の執着を手放すことである。今の自分のままで大丈夫だと思うことである。今の自分のままで大丈夫と思うためには、休息することである。頭を体を空っぽにすることである。人に話したり、ノートに自分の気持ちを書いたり、あれこれ創作してみることではない。自分の過去を振り返って、これがあったから今があると思うことでもない。将来に対して、何か根拠立てて安心することでもない。お金もなくて、なかなか休む時間が取れないかもしれないが、その今を受け入れることである。試験が近づいてきて、今ぼーっとしたら、点数が取れず苦労することは目に見えているのだけれども?という状態であったとしても、一度歩を止めることである。受け入れるというと何か思考するのかと思うかもしれないが、ただ、ぼーっとすること、休むことである。何か特別する必要はない。

そうすると、何かしてみたいなという意欲が湧いてくる。それに乗っかると、囚われのない人のように感じ、行動することができる。安全のために、保身のために、社会的地位を得たとしても、お金を稼いだとしても、時間に余裕があったとしても、周囲に認められたとしても、自分の持てる能力を持って何かに取り組んだとしても、根っこに不安があるのならば、それよりも大きな不安となって自分を襲う。囚われる。執着する。そして、それはより仮面に囲まれることとなる。



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