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悟りとは何か?

どのようになればより満たされるのか?突き詰めるとどのような形があるのか?と考えた事がある人はいないだろうか?心の状態変化は他者との関係を切り口で見た時に、次の通り4つの状態で説明することができる。

行動形式を整える:
子が親から集団で行動できるための行動形式を習うような状態のこと。その他者との関係は依存的であり、これまでのことや欲求を受け止めることを行う。何か罪悪感や劣等感、自意識過剰な状態はここで解消される。
心情的思考を整える:
子が親以外と接する中で、人との主従関係を理解することや駆け引きができるようになる状態のこと。その他者との関係は自立的であり、将来のことをあれこれ予想することができる。自分で進むイメージをつくり取り組める。
論理的思考を整える:
集団に属する中で、リーダとして人を導いたり、自分のやりたいことを理解してそれを体現する状態のこと。他者との関係は無頓着であり、努力せずに様々なことができるようになる。世の中の仕組みを理解している。
世界を整える:
いわゆる悟りを経験した状態で、すべては何かの1つといったような認知をする。自分のエゴがなく行動し、子供のような無邪気な状態に回帰した状態とも言える。他者との関係は、多くの人とかかわり慕われる。人を変えようとせずに、自分の意欲のままに行動するが、落ち着いている。

なお、私は心の成長プロセスや過程、レベルといった言葉を使うことを好まない。なぜかといえば、何かを満たさないと次の状態にいかないというものでもないからだ。どの状態にいつでもなり得るからだ。多くの心理学ではそう説明しないのであるが、私は完全に何かの状態であり続けることはなく、ある状態に置かれる時間が長くなる、というところがリアルだと考えている。本当は理想を当てはめた方が、白黒つけられて説明が楽なのであるが、実際はこのような形であると思う。

さて、話を戻すが、心の状態を突き詰めると、必ず”悟り”のようなワードが出てくる。私は理系のサラリーマンなので、このような感覚的な事は苦手なところではある。悟りになると、スピリチュアルな表現や宗教など、少し”病んでいるなぁ”と感じる人が多い世界となると思っている。占いやタロット、瞑想や宗教は、苦しんでいる人を救う。そのため、手段としては選ぶ人はいると思う。私はどこか感覚的なところよりも、何か心当たりのあるものに対して取り組みたいなと思っている。

そのような私が考える”悟り”とは何か。私は”統合的な人”だと思っている。統合的な人は社会に属する中で、ひとりになる時間を持っている。ひとりになった時に、あえて何もしない時間をつくっている。つくっていると書くと、意識してつくったかのような印象を持つかもしれないが、自然とひとりになっている。その時は、このようになれたらいいなと将来像をイメージしてひたむきに努力するのではなく、何もしないということをしている。これは、頭を空っぽにしているということだ。すると、どこからともなく意欲が湧いてくる。何かアイディアが閃く。これは2種類あると考えており、こちらに記事をまとめたので参考までに。

そうして湧いてきたエゴのない意欲で取り組んだことは、下手でもそれでいいとなる。何か現代の法則に乗っ取ってうまくやろうとしない。自分のこれまでやってきた何かできることと、自分のひらめきが組み合わさって、どんどん特徴的なものをつくっていく。その人らしい、と周囲が思うことをする。それは個性になる。そうして、自分は大丈夫と思って取り組んでいる時は、目がキラキラしている。子供のようである。こうして創造したことは、人を惹きつける。人を集めた結果、慕う人が出てきる。それは一つの分野となる。時代を切り開いている。一つの分野をつくるが、本人はそれに執着しない。また新たな分野をつくり始める。何者にでもなる。周囲はその周りで、これが正しい、これが間違っているといった議論をし続けているが、本人はそれに気がつきつつも、別に気にしない。自分の好きなことをする。より満たされる。

悟ることとは、世界を整えているような状態であると思う。課題を解決したり、風穴をあけることで、中庸を取る。バランスをとる。無理せずに自分にこたえた結果、周囲のこともそのようにしている。人によってはこの状態を、超越、ワンネスなどと呼んでいる。


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